3. 出会い
「―――はぁ。腹減ったな……」
丘の上から遠方に確認した街らしき場所へと駆け出してからしばらく。ケイはげんなりとした表情で音の鳴った腹を抑えながら呟いた。
それもそのはず。異世界で覚醒してから、食事はおろか水すら飲んでいないのだから。
昼頃になって周囲を警戒しながら彼が入った森の中。その周囲を見渡せば食べられそうな果実やキノコがあり、目視で確認する限り綺麗で清浄そうな湖も存在している。しかしここはケイにとって未知の世界だ。ただでさえ危険そうな怪物が闊歩しているこの環境で、おかしなものを口にして身動きが取れなくなるのは致命的だった。
「ここはいち早く街にたどり着くしかない、か……」
冷静な判断をくだしつつ、今が汗をそれほどかかない過ごしやすい気候という偶然に感謝しながら方針を固めたケイは、空腹感だけでなく未知への好奇心を抑えながら森を出ようとする。
しかし、彼の足はすぐに止まることとなった。
「T l κάνεις εδώ ?」
背後から掛けられた声によって。
(なっ!? いつの間に!?)
背中に冷や汗が流れるのを感じつつ、ケイは声の主へと振り返った。そこには彼が声から想像された印象通り、まだ十四、五歳くらいの少女が首を傾げて立っている。
敵意や害意を微塵も感じさせない、どこかボーっとしているように見える少女に、ケイは多少の警戒心を維持しながら向き合った。
透き通った白色の肌、美しく大きな翡翠色の瞳、綺麗なブロンドの長髪。細身の華奢な肢体は、修道服を動きやすくしたような、それでいて魔法使いのローブのような感じで、ケイにとっては見慣れない衣装を纏っている。容姿としては美少女であることに間違いはないが、ケイが気になったのはその圧倒的な存在感だ。
(この感じは、いったい……?)
「…… T l κάνεις εδώ ?」
観察と分析に脳をフル活用しているせいか固まってしまったケイへ、少女からもう一度同じ問いが投げかけられる。そこにはやはり純粋な疑問しか感じられず、警戒すらしていないようにも見えた。
こてっと小さく首を傾げる姿を素直に可愛いと思ったケイだが、ここで一つの事実に気が付いた。
(あれ? もしかしてギリシャ語か?)
とある事情で様々な言語を学んできた経験からそう判断した彼は、片言になりながらも『ここで何をしているの?』という問いに対して返答をした。
「街へ、向かおうと、しています」
(これで通じるか……?)
勉強したのが直近だったこともあり、なんとか単語をひねりだしたケイ。その甲斐あってか、なんとか意味は通じたらしい。
「……少し怪しいけど、まあいい。あなたはどこの領地から来たの?」
(どこからって言われてもなぁ……)
詳細までは分からずともニュアンスを理解できたケイだったが、正直に答えるかどうかを彼は迷った。荒唐無稽な話という自覚があり、信用を得られなくなると困るためだ。しかし嘘をつくにも知識が皆無なので、誤魔化すことなどできそうにないこともまた事実。
そのため返答は馬鹿正直なものになる。
「えっと、異なる、世界、から?」
「? 右手、見せてほしい」
案の定少女はケイへと訝し気な視線を向けたが、特に呆れたという様子はない。ちょこんと再び首を傾げてから、彼女は何かを確かめるようにケイの右手へと手を伸ばした。そこに確かめる方法があると言わんばかりに。
「え? はい」
「なにも、ない……? まさか本当に?」
細く華奢な指で右手を握られたケイが困惑していると、少女もまた同じように翡翠の瞳へと困惑の色を宿していた。そうかと思うと、右手へと向いていた視線が上を向き、二人の視線が交錯する。
(え。なんかめんどくさそうな顔してる? この子)
「……ついてきて。使徒様に報告する」
(街までいけそうだし、逆らえる感じでもないか……。それより今、誰に報告するって言ったんだ?)
聞き覚えのない単語の意味は流石に分からなかったが、おそらく街の何かしらの責任者のもとへ連れていかれるのだろう、とそんな推測をしつつ、ケイはおとなしく可憐な美少女の後ろをついていくのだった。
森を出て街の方向へと草原の上を歩く二人の間に、当然会話はなかった。少女は何を考えているのか分からない表情で黙々と歩を進めていて、ケイはただただついていくことしかしていない。色々と尋ねてみたいこともあるケイだが、あらかじめ言語化する準備が必要なためすぐには質問できそうになかった。
もっとも、ケイが静かな最大の理由は、周囲から何が出てきてもおかしくないために警戒しているからなのだが。
そんな彼の警戒心とは無関係といった感じで、突然くるっと振り向いた少女が心情の読み取れない表情で唐突に口を開く。器用に後ろ歩きをしながら。
「そういえばあなたの名前、聞いてない」
「えっと、ケイ、です。……あの、あなたの、名前も、教えてください」
いきなりのことで驚いたケイだが、シンプルな質問であったためなんとか返答と質問を言葉にできた。そのことにホッとしていた彼だが、少女の後ろの方から近づいてくる大きな生物が視界に入って身体を硬直させてしまう。
「私は―――― 止まって」
ケイの視線を受けた少女が言葉の途中で後ろへ振り返り、足を止めて同行者を制止した。
巨大な生物は一体。全長五メートルくらいある白と赤を基調とした色の鳥型怪獣である。その大きさから動きは遅いものの、獲物を狙う狩人の目をして一直線に二人の下へと迫ってきていた。
(えっと、これは不味いのでは?)
「……あの、逃げないん、ですか?」
まさか実際に怪獣を見ることになるとは、とやや興奮しつつも危険なサイレンが警鐘を鳴らしているケイの脳内。少女へと尋ねる声もわずかに震えている。
しかし、その巨大鳥獣を見つめる少女はなおも変わらず無表情だった。それが何故か頼もしく思えたケイが内心でショックを受けていると、少女が一歩前へと踏み出して小さな唇を開く。
「アレを狩るために、ここまできた。待ってて。すぐ、終わらせる」
「へ?」
ポカンと呆けてしまったケイの眼前で、少女が右手を前に差し出した。その甲から神々しい青の光が溢れ、いくつかの青い光点が浮かび上がる。それはまるで星のように爛々とした輝きを放ち、ケイは心を奪われてしまった。
「<光ノ剣>、<風ノ加護>」
小さな呟きとともに、少女が地面を蹴る。
そうして一瞬で巨大鳥獣の真上へと移動した彼女は、そのまま右手に握った剣を怪獣の首元へと振り下ろした。
スパッ
断末魔を上げることもできず、頭部と胴体を分断された鳥獣が地へ落ちる。血しぶきを噴水のようにまき散らしながら。
その光景を見ていたケイは夢でも見ているような気分になって頬をつねった。
「うん、夢なんかじゃないな。ははは……マジか」
放心一歩手前の彼に、返り血の一滴も浴びていない少女が剣をどこかへ消しながら近づく。
「あ、そうだった。シェーナ。それが私の名前。……ケイ? どうかした?」
「な、なんでもないです……。宜しく、お願いします、シェーナさん」
「そう? それなら食料も確保したし、使徒様のところに向かう。《風ノ手》」
「……はい」
再び青い光が輝き、謎の力によって巨大な鳥獣の死体が空中に吊り下げられる。ぼたぼたと血が落ちていく様を横目に、ケイはシェーナの背中を追いかけるのだった。
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