2. 異世界の空と誓い

 思考の海から意識が戻ったのか、青年の重たい瞼がゆっくりと持ち上げられた。もう何も映らないはずであった瞳に光が差し込み、そのぼやけた視界は異様に明るい夜空を捉えた。次第にクリアになってきた満点の星空はあまりにも綺麗で、寝起きの彼も自然の美しさに自身の生を実感させられる。


 ただ、彼が生を望んでいるかといえばそうではなかった。


 「……どうしてっ! なんで俺は生きてるんだっ!? どうしてこんな、わけのわからない場所にいるんだよっ!?」


 大きく丸い満月の明るさに負けることなく夜空に爛々と輝く星々。その光に照らされた見渡す限りの美しい草原に、絶望の咆哮を聞くものはいない。


 彼の上空には、見覚えのある並びをした無数の光の点があった。しかし、己の常識ではありえない位置に座したそれらが、問答無用に事実を突きつけてくる。


 「アレを見れば、どうしたって理解させられる。ここは日本でも、地球上のどんな場所でもないって。ありえないだろ、こんなの……」


 ケイの視界に入ったのは、非現実的でありながら神々しさを感じさせる雄大な星空。直上の月を中心に選ばれし黄道十二星座が並び、それらは彼の記憶にあるものより明るく、そして力強く燃え輝いていた。その光景から、ケイは夢の中で手を伸ばした唯一の星を思い出す。


 そして独り、叫んだ。


 「何もできず、何も為せなかった俺が……。ユウナを残して先に死んだ俺がっ! 最期もあの子を守れなかった俺が! こんなところで何をしろっていうんだよっ!?」


 目が覚めた時から背中を包んでいる柔らかな草地を、力強く極限まで握られたこぶしで思い切り叩きつける青年。ただ、少しだけへこんだ地面は冷たく、その雄大な器の大きさを見せつけるように、自然あふれる優しい草木の香りとともに動転していた彼の思考を冷静にしてくれている。


 だが落ち着いて考えたところで、彼には何も分からなかった。


 「……たった一つだけあった俺の星はもう見えないよ、ユウナ」


 右腕で視界を閉ざし、夜空を遮る。


 頬を伝って地面に落ちる流星は、美しくも儚く消えていった。



―――――――


 何もない広大な草原に一つだけ影を落とす彼に、天から小さな手を伸ばすナニモノかがいた。


 魔物と呼ばれる人間の敵が彼に近づかないように。彼を再び死なせないように。


 我がままに、傲慢に。それが正しいことだと信じて手を伸ばす、人ならざる天上の存在。


 (わたしの好奇心が、あなたを殺した。だから……)


――――――――



 現実から逃げるかのように夢の世界へと旅立った青年、ケイ。彼が天を遮るために顔へと上げていた右腕は、既に地面へと落ちている。その右手の甲に、いくつもの小さな星が輝いていた。


 彼の元居た世界において黄道上に位置している星座でありながら数えられなかった十三番目の星座。それを形作る光の点は、この世界の天には存在しない。


 輝く星々を宿した彼の右手は、大切なものへと至る可能性を決して手放さないと主張しているかのように、強く握りしめられていた。




 翌朝、眩しい朝日に照らされて目を覚ましたケイは、改めて現状を理解させられた。


 「……やっぱり夢じゃないんだよな」


 昨晩は周囲を観察する余裕もなかった彼だが、十分に休息をとって冷静になった今は周りがよく見えているらしい。立ち上がって丘になっている現在地から下を見渡し、広大な大地を覆う草木は見覚えのない植物たちと、遠くの方を歩く異形の怪物の姿を確認したケイの脳内でけたたましくサイレンが鳴り響く。


 「……こんなところで寝るとか、危機感なさすぎだろ。いや、でも生きる意味なんてないし、そのまま殺された方がよかったのかもな……」


 生存本能は変わらず警告していても、ケイの内心では諦めの気持ちの方が大きかった。


 わけもわからず放り出された未知の世界で、死ぬ前と同じように生き恥を晒すのはみっともない。足掻いたところで唯一の望みには届かないのだから、楽になりたいと思っても仕方がない。そんな諦めがあったのだろう。


 ただ、それを今の段階で決めつけてはいけないという思いも、ケイは同時に抱えていた。


 「生きているなら、こんなありえない世界があるなら、可能性もあるかもしれない、か……」


 これだけ非現実的なことが起こっているのだから、ポジティブに考えれば無限の可能性が広がっていてもおかしくない。科学では起こりえないような奇跡を起こす力があるかもしれないのだ。


 「諦めるにはまだ早いか。―――よし!」


 (大切な星を確認することができない暗闇の世界。それでも歩いていれば、何か分かるかもしれない。立ち止まるな、足掻き続けろ。ユウナだって、諦めていなかっただろ!)



 心にそう強く誓い、深く息を吸い込んだケイがやるべきことだと考えたのは、情報収集だった。そのためにはまずこの危険地域を抜け、会話できる人を探さなければならない。幸いなことに、彼の今の位置から視認できる範囲に街のように見えるものもある。しかし、ここは異世界だ。そもそも人以外が住む街かもしれないという可能性もあったが頭を振って考えないことにしつつ、ケイはその街らしき場所へと向けて一歩を踏み出した。



 「でも言葉が通じない可能性の方が高いんだよなぁ……」


 しかし、問題は山積みで悪い方向に考えると不安要素ばかり。とはいえ、何事も行動してみなければ分からない。


 その状況で命を守りつつ、遥か遠くに見える街を目指す。彼の不安要素が的中した場合、みじめに逃げ回ってどうにかするしかないわけだが、進むべき道は一つだけだ。


 ただ、死の間際に何も持っていなかったためか所持品は身に着けている服のみ。


 そんな最悪な状況なのに、いったんポジティブになったケイの表情には小さな笑みがこぼれていた。


 「ああ、そうか。俺の世界も、実際にはこんなに広かったんだな……」


 彼の目標は変わらない。大切な人を助ける。それだけだ。けれどそのアプローチは、一つではなかったのかもしれない。


 今できることを、立ち止まらずにひたすら考えて実行する。自らの指針を決定した彼の瞳に、もう迷いはなかった。


 歩み出したその両足はしっかりと大地を踏みしめて前に進み、次第にそのスピードを上げていく。時間的な余裕がないことを忘れてはいない。焦って思考を乱さないように、でも可能な限りスピーディーに。


 (足掻いた先に何が待っていたとしても、この何故か繋がった命がある限りは走り続けてやる!)


 不思議と軽く、いつもよりよく動く肉体で風を切っていくケイ。その視線は前だけを向いていた。


 (もしも神がいるなら、問いたださなければならないことがある。神を信じていない俺の命を繋いだ理由と、人間の信仰に対する考えを。そして、ユウナの行く末を。いないのなら、それでいい。だがもし存在するなら、俺は何をしてでもたどり着く。何をしても、必ず……)




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