第13話

 それからしばらく、柾木まさき隼子じゅんこや他の客、もちろん五月さつきとも今後の交渉の進め方について相談し合い、杯も幾度か交わした。

「……っと。もうこんな時間かい。五月、そろそろ上がりな」

 ふと気付いて時計を見上げた隼子が、五月にそう促す。

「はあい」

 五月は返事すると、客に一礼して、カウンターの奥から別室に消える。

「……あれ?お店、十二時までですか?」

 柾木は、表の看板にあった営業時間を思い出しつつ、聞く。確か、AM二時までとあったはず。

「ああ、あたしの方針でね、若い子は電車が終わる前に帰すことに決めてるのさ。どうせこの後はこんなのしか残ってないからね」

 たいそうな物言いで、店にたむろする客を見回しながら隼子が言う。こんなのとはご挨拶だな、などと抗議が上がるが隼子は意に介さず、軽口をたたき返している。

「お店は丑の刻うしのこくまでやってるさね。この連中はそれまでここに居て、それから丑三つ時にはそれぞれ持ち場に行こうって算段なんだよ」

「ああ……」

 そういう事・・・・・か。柾木は、客をもう一度見回して納得する。柾木に気を許しているのか、今は皆正体を晒しているが、柾木が店に入ったときは皆それなりに人の姿をしていた。つまり、彼ら彼女らはそういうもの・・・・・・で、ここで仕事前に一杯引っかけている、そういう状況なわけだ。どこで何の仕事するのかまでは知らないし、あまり知りたいとも思わないが。

「……まあ、みんな大した悪さはしないから安心おしな。せいぜいが脅かして腰抜かさせる程度のものさ」

 柾木の顔色を読んだのか、隼子が柾木の耳元に口を寄せてそう呟く。

「……これだって、急にやられるとそれなりに驚きますけどね」

 柾木が、吐息がかかるくらい近くにある、いや実際に柾木の耳朶に吐息をかけながら呟いた隼子の顔から、少し身を離しながら振り向き、苦笑して言う。

「そうかい?驚いてくれりゃ嬉しいけどねぇ、お兄さんはそうは見えないけどねぇ」

 カウンターの向こうに置いた体から白い首を伸ばした隼子が、にまっと妖しく笑いつつ、柾木に返す。

「実際、脅かすくらいしかしないし、出来ないのさ。あたしらのほとんどは元々そういうもの・・・・・・だし、あんまり人の世を騒がすと居づらくなるしねぇ」

 周りの客も、口々に同意しながら頷く。

「それに、おいたが過ぎると、こわぁい人たちがお仕置に来たりもするのさ」

「……怖い人?」

 柾木は、右の人差し指で頬に線を引くジェスチャーをしながら聞き返す。

「もっと怖いものさ……お兄さん、会った事あるって五月から聞いてるよ?」

「え?……あ!」

 言われて、柾木は気付いた。この歌舞伎町で出くわした、いろんな意味でおっかない、でも妙に優しくもある狼女。

 その柾木に頷き返し、隼子は続ける。

「それだけじゃあないけどね、まあ、こっちにもこっちで色々あるのさね。まあ、ハメを外さなけりゃ問題ないけどね……お、出てきたね」

 カウンター奥の扉が開く音に気付き、隼子が首を戻して振り向く。

「それじゃあ、お先に上がらせてもらいます」

「あいよ。また明日頼むよ」

「はい。じゃあ、失礼します」

「おっと、ちょっとお待ち。お兄さん、良かったら駅まで送ってってやってくれないかい?」

「え?まあ、そりゃ構いませんが」

 送ってくって、俺なんかより五月さんの方がよっぽど腕っ節立つんだけどな。そんな事を思いつつ、柾木はお会計しようと思って財布を出そうとする。

 その機先を制して、隼子が言う。

「お足はいいよ、あたしのおごりだ。その代わり、交渉事は上手い事頼むよ」

「あら、これは責任重大よ、柾木君」

「ええー……」


「お店、楽しいですか?」

 「轆轤ろくろ」の入る雑居ビルを出て数歩歩いたところで、柾木は五月に聞いた。

「……そうね。ここ、良い職場ね」

 前を向いたまま、五月が答える。たっぷりめの、淡いグリーンのニットに白のスリムジーンズ、白のそれほどヒールの高くないパンプス。先ほどまでの和服とはまるで違う、活発なイメージのファッションの五月は、薄化粧もあって女子大生くらいに見えなくもない。

「「伯林ベルリン」も良い所なんだけど。そうね、こういうお店のママってのも、悪くないかもね」

 言って、振り向いた五月は嬉しそうだ。

「……なら、その職場をなくさないように、俺も頑張らないとですね」

「あら、気を使ってくれるの?」

 五月が足を停め、体ごと振り向いて、聞く。

「そりゃまあ。お世話になりましたし、恩返しってわけじゃないですけど」

「やだ、あの事なら、助けてもらったのは私の方よ……」

 ふふっ。わずかに首を傾げて、五月は微笑む。肩で切りそろえ、内巻きにした髪がさらりと揺れる。

「……柾木君、ほんといい人ね。玲子さんより先に唾つけときゃ良かったかな?」

 冗談とわかっていても、そんな事を言われては、恋愛経験の薄い柾木はどきりとせずにはいられない。

「からかわないで下さい……酔ってるんですか?」

 柾木は、柾木が店にいる間だけでも、五月がジョッキ二杯はビールを呑んでいるのを見ている。

「あの程度、呑んだうちに入らないわよ?」

 そう言って、五月は笑う。そういや、あの時も割といいペースで呑んでたっけ。柾木は、五月と始めて出会った時のことを思い出す。

「……で?相手先とはいつ交渉するの?」

 再び歩き出した五月が聞く。

「明日の午後イチ、談話室「高澤」って知ってます?」

「知ってるわよ、確か東口の奥の方にあったわよね。玲子さんも一緒?」

「いえ?俺と「協会」の笠原さんとですが?」

「ふうん……ま、いいか」

 職安通りまで出たところで、五月は立ち止まる。

「じゃ、私は東新宿から地下鉄だから、ここで。明日がんばってね」

 地下鉄を乗り継いで西葛西に帰る五月は職安通りを右に折れて東新宿駅に、西武新宿線で田無に向かう柾木は職安通りを反対に左に折れて西武新宿駅に向かわなければならない。

「はい。それじゃあ、ありがとうございました。おやすみなさい」

 柾木も、挨拶をして、手を振って五月と別れる。歩き出した柾木の背中に向けた五月は、何事か企んだ風に微笑んだ。

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