第14話
「僕は自動車ディーラーの営業なんで、土地取引は専門外なんですが」
「一応、引き受けた仕事なので、色々調べてみました」
柾木が
柾木の隣には、「協会」の事務の
「今の時点で残っているテナントが八軒、店舗賃借人には借地借家法というのが適用されるそうですね?裁判になると、場合によってはオーナー側から店子側に結構な額の立ち退き料を支払う必要性が発生すると聞きますが?」
「ええ、まあ、そうですね」
俯き気味に答える、宮崎会計士の表情は読みづらい。
「この土地そのものの評価額は調べきれてないのですが、向かいの公示価格が平米あたり百四十万ですから、更地の価格は大体このくらいでしょうか?」
柾木は、ブリーフケースからプリントアウトを出し、宮崎に向けて差し出す。
「さっきも申しあげた通り、僕は土地は専門外ですから良くわからないのですが、一応、推定で計算してみました。判例によれば賃料の一年分程度の立ち退き料はザラのようですから、そうなるとざっと四、五千万は固いでしょうか」
プリントアウトを指し示しながら、柾木は畳みかける。
「ビル自体も相当古いですから、耐震性その他の理由でこのままって訳にもいかないでしょう。取り壊すにしても、リノベするにしてもそれなりの額はかかる。そうなると、土地を売っても利益は相当目減りしてしまいますよね」
プリントアウトから目を上げて、柾木は宮崎の顔を見る。柾木にいわれるまでもなく、宮崎としてもそこは苦しいところだという自覚、理解はあるのだろう、苦い顔をしている。
「……そこで、なんですが。テナント側から、このような提案がありまして」
柾木は、二枚目のプリントアウトを取り出す。
「詰まるところ、テナント側で居抜きでビルごと買い取ろうという提案です。もちろん、評価額そのまま、というわけではありませんが、これから個別に立ち退き交渉や場合によっては裁判を行う事を考えれば、時間的にも、解体やリノベにかかる費用的にも、悪い話ではないと思いますが、如何でしょう?」
一気にまくしたて、柾木は一旦話を途切る。
宮崎は、しばらくプリントを凝視し、言葉を絞り出す。
「……なんとも即答は致しかねます、何しろ依頼主の了解が必要ですので……」
「もちろん、それはそうでしょう。査定額も正確に出さないといけないでしょうから。一旦お持ち帰りになって、オーナー様側の了解を得てから決定、という事で構わないと思います。ただ……」
柾木は、一旦言葉を切ってから、続ける。
「……テナント側もそうですが、オーナー様側もあまりお時間をかけるのは望まれないご様子に見えますが。それに、テナント側もあまり長引くと態度を変えてしまわれるかも知れません。僕の方でも土地と建物の査定を進めてみます。
「……ふう」
カバンに資料を収めた宮崎が店内から見えなくなるまで見送った柾木は、大きくため息をついてソファに座り込む。
「ご苦労様でした。すごいですね、終始押してました」
隣の弘美が、笑顔で柾木をねぎらう。その声が合図であったかのように、後ろの席に背中合わせに座っていた女性二人、
「お疲れ様でございました、柾木様。あんなに堂々と交渉されるなんて、
柾木と相向かいのソファに腰を下ろしつつ、玲子がうれしそうに言う。
「いやぁ、冷や汗ものでしたよ。賭けだったんですが、上手くいったみたいで良かったです」
「でも柾木君の作戦あっての話よ、やるじゃない?」
玲子の隣、弘美の向かいに座る五月が柾木を褒める。
「隼子さんがテナント側の合意を取っておいてくれましたからね、資料が嘘にならなくて良かったです。自信持って話出来ました」
柾木も、まんざらではなさそうに返す。
この談話室に来る直前、柾木は作戦の最後の調整を兼ねて、隼子の店「
こうなっては失敗は許されない。涼しい顔で背中を叩く五月を半分恨みつつも、半分は覚悟を決めるきっかけと思い直して頭を切替えた柾木は、宮崎が来るまでの時間で再度作戦を確認し、万全の体制で交渉に臨んだ。
「ご遺族の立場からしたら、立ち退き交渉だなんだは金銭的にも時間的にも可能な限り避けたいはずだと思ったんで、そこを押してみようって思ったんですよ。宮崎さんもそこがボトルネックだったみたいで、上手いことこっちの話に乗ってくれて良かったです。それに」
冷めてしまったアメリカンの残りを飲み干して、柾木は言葉を繋ぐ。
「宮崎さん、事務処理専門で交渉事は得意そうじゃないな、って感じがしたんで。だったら強気で押せば何とかなるかなって」
「素晴らしいですわ、そんな事を見抜かれてらしたなんて」
「本当ですね、北条さん、今年大学卒業された新入社員さんですよね、交渉事に向いてらっしゃるんじゃありませんか?」
嬉しそうに微笑む玲子に続いて、弘美までもが柾木を褒める。女性陣にこうも持ち上げられて、嬉しくならない男など居ない。
「いやぁ……前回話したときに、あの宮崎って方は、絶対にスタンドプレーはしないタイプだなって思ったんで。よく言えば慎重だけど、逆に言うと必ず上司の判断を仰ぐ、絶対に自分の判断だけでハンコ押さない人だって。それってつまり、絶対にリスクを取らないタイプだなと。だったら、逃げ道になる数字のサンプル用意してあげて、あとはあっちで決めてもらっちゃえって思いまして」
通りかかった、ピシッとしたウェイトレスにコーヒーのお替わりを頼みつつ、柾木が続ける。
「多分、あっちも数字が出せなくてゴタゴタしてるんでしょう。あ、いや、出せないってより、言っちゃ何ですがご遺族がそれぞれ都合の良い数字ぶつけあってるのかな。それで停滞しちゃってるでしょうから、そこに外からでかい数字をガツンとぶつければきっと状況は動き出す、って読んだんですけど」
「確かに、停滞した状況を外圧で動かすのは常套手段ですね……でも、さらに紛糾しません?」
弘美が、柾木に聞き返す。
「相手方にもよりますけど、よっぽど銭ゲバで損得勘定出来ない人でなければ、僕が出したサンプルは充分に良い条件のはずです。双方納得のニュートラルな立場ってのが僕の立ち位置だと心得てるつもりですから、なんて、えらそうな事言っちゃいましたね」
柾木は、言ってから頭を掻く。
「いえ、柾木様はご立派に依頼をこなしていらっしゃいます。自信をお持ちになって下さいまし」
「本当ですよ。スポットじゃなくてフルタイムのネゴシエイターとして引き抜きたいくらいです」
「……大変だ、柾木君、モテモテじゃない?」
女子二人に、ちやほやと褒め殺されかけている柾木をニヤニヤと見ながら、五月が冷やかす。
「だから五月さん、からかわないで下さいって……」
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