第9話

「……なんだい、深刻な顔しちまってさ」

 ひとしきり話し終わった本所隼子ほんじょ じゅんこが、黙り込んでしまっている北条柾木ほうじょう まさき西条玲子さいじょう れいこ青葉五月あおば さつきを見て、ため息をつく。

「身の上話なんて、大なり小なりこんなもんさ、いちいち親身になってたらやってらんないよ?ま、嬉しいこた嬉しいけどね」

 言いながら、隼子はすっかり醒めてしまったほうじ茶を注ぎ直す。

 そうはいわれてもなあ。柾木は、考え込んでしまう。ちょっと簡単に考えすぎていたかも知れない。そりゃ、人外の妖怪がやってる店なんだ、それなりの事情ってもんもあるだろうとは思ってたけど、事情もともかく、「家に憑いているから動けない」ってのは考えてなかった。考え甘かったな……

 柾木は、ちらりと左右を見る。自分よりこういう場になれていると思われる、左隣の五月は、それでも申し訳なさそうに茶をすすっているが、反対側、右隣の玲子は軽く俯いてしまっている。蘭円あららぎ まどかの一件以降、物の怪妖怪に対する見識は矯正されているはずなのだが、妖怪そのものにも事情や過去のしがらみがあるという発想が、まだ抜けていたのかも知れない。あるいは、まだ少女と呼ばれる年齢真っ盛りである玲子にとっては、隼子の身の上話は刺激が強かったのかも知れない。


「ところであんた、五月って言ったっけ?」

 煙管きせるに火を付け直して、隼子が聞く。

「え?あ、はい?」

「あんた、今日もこれから「伯林ベルリン」行くのかい?」

「あ、いえ、今日は、日曜はシフト入ってないので」

「いつ働きに行ってるんだい?」

「金土の夜はたいがい。平日の夜は頼まれれば」

「なんだい、週末だけかい?じゃあ平日は何してんだい?」

 紫煙をくゆらせ、隼子がたたみかける。

「ショッピングセンターの占いコーナーのシフトに入ってます、毎日じゃないけど」

「じゃあ、夜は空いてるのかい?」

「ええ、まあ……」

 五月は、隼子の質問の真意が掴めず、怪訝な顔をしている。

「じゃあさ、あんた、平日の夜、うちで働いてくれないかい?」

「え?」

 唐突な勧誘に、五月は思わず聞き直し、

「……え?」

 一拍遅れてそのやりとりを認識出来た柾木と玲子が声を出した。

「いやね、前から一人手伝いが欲しかったんだけどね、働けて見栄えもする子って「こっち側」だとなかなか居なくてねぇ、人間でもあんたなら問題なさそうだし、どうだい?」

「いや、そう言われましても……」

 あ、五月さんちょっと心揺れてる。柾木は、五月の顔を見て気付く。というか、誰が見ても分かる程度に五月の顔が緩んでいる。

「……五月様?」

 玲子が、冷静に声をかける。

「何なら、のれん下げてる間はここで占いやってもいいよ、自分の店って無いんだろ?」

「えっ?」

 明らかに顔を輝かせて、五月が聞き直す。

「近所のもんが来るから昼飯時は開けてるけど、だいたい二時過ぎから六時過ぎまでは店閉めてるからね、夜手伝ってくれるなら、好きに使って構わないよ」

 拝み屋と占い師、どちらもそこそこ腕が立つだけに逆にどちらにも仕事の主力を絞れず、為に五月は自分の店、というか決まった営業拠点を持てずにいた。その事情を知るはずの無い隼子だがそこは亀の甲より年の功、少しの会話と顔色だけでピンポイントで五月の弱点を見抜き、突いてくる。

 あ、こりゃ五月さん陥落したな。柾木は、どうしよう柾木君、そんな目でこっちを向いた五月の顔を見て直感する。

「……まあ、良いんじゃないですか、五月さんが問題ないなら」

「じゃあ決まりだね、早速明日から頼めるかい?」

「あ、はい、じゃあ、お願いします、明日は昼間占いコーナーあるので夕方から……」

「いいよそれで。よろしく頼むよ」

「……よろしいんですの柾木様?」

 コロッと懐柔された五月を横目で見ながら、玲子が柾木に耳打ちする。

「……まあ、五月さんの働き口は俺がどうこうする話じゃないですし。それに、俺が五月さんにお願いしたのは万が一の時の事の備えですから、隼子さんがこういう方である以上問題ないでしょう」

「それは、そうですけれど……」

 玲子はもう一つ納得いかなげだ。

「……そうか、こうやって間を取り持つのも「協会」の仕事なのか?」

 柾木は、ふと気付いた事を口にした。

「え?」

 話の飛躍について行けなかった玲子を置いてきぼりにして、柾木は呟く。

「だとすりゃ、二重三重に仕事依頼されてたって事なのかもな……」


「……と?すみません、ちょっと失礼します」

 突然尻ポケットで鳴り出したスマホを取り出し、柾木は隼子に一言断わると横を向いてスマホを耳に当てる。

「……はい、北条です、あ、笠原さん……はい、今、ちょうどお話伺ってる所で、はい、非常に友好的に、はい……え?今からですか?……ああ……はい、わかりました、何とかします、二十分後にアルタ前で、はい。じゃあ、失礼します」

 通話を切った柾木は、軽くため息をつく。

「……笠原弘美さん、からですの?」

 玲子が、俯き気味の柾木の顔をのぞきこむようにして、聞く。

「はい……すみません本所さん、「協会」から急な連絡で、地主の方が今からなら時間取れるから面会に来いって……」

 申し訳なさそうに、顔を上げた柾木が隼子に詫びる。

「……そうかい、まあ、そういう事ならしょうがないね、行っといでな」

「すみません……」

「もっと色々話したかったんだけどねぇ……どっちみちまた来るんだろ?何なら、仕事抜きでご飯食べにでも呑みにでもおいでな」

 そう言って、隼子は柾木に微笑む、蠱惑的な、年増の色気を隠さずに。

「はい。ありがとうございます」

 バカ正直にその隼子に礼を言った柾木は、

「玲子さんと五月さんはどうします?「協会」の笠原さんが同席されるそうで、他の方は遠慮願いたいって事なんですけど」

 左右それぞれに聞く。

「私は、もう少し残ってお仕事の事聞いてから帰るわ、さすがに何も知らないまんまで明日からってわけにはいかないから」

 柾木が鈍感であるが故に、二重の意味で低気圧を発生させそうだった玲子の機先を制する意味で、五月は先に答え、そのまま視線で玲子に答えるよう促す。

「わ、わたくしは、柾木様をお家までお送りしなければなりませんから、どこか近くで待機しておりますわ。お話しがお済みになりましたら呼んで下さいまし」

 隼子の秋波と、それに素直に礼を言ってしまう柾木にピリピリしかけていた玲子は、突然振られた会話に少し慌て、思いつくままに答える。

「済みません玲子さん、じゃあお言葉に甘えます。本所さん、そういう事ですので、別途日を改めてまたご相談に伺います。本日はありがとうございました」

「はいよ、今度来るときゃ地主の話、聞かせとくれ」

「はい、失礼します」

「失礼致します。五月様も、それではまた……」

「はい、玲子さん、お気をつけて」

「お嬢ちゃんもまたおいで、今度はお茶菓子でも用意しとくよ」

「はい、よしなに……」


「……五月さんが、ああもあっさり取り込まれたのは、ちょっと予想外でした」

 アルタ前まで歩きながら、柾木は玲子に言う。

「さすがに長生きしているだけの事はおありでした……五月様も、ああいう、ちょっと抜けているというか、脇の甘いところがどうにも……いずれにしろ……」

 おとがいに手を当て、可愛らしく考え込ながら歩きつつ、玲子が答える。

「……はい、五月さんもその気になっちゃった以上、立ち退かない方向で解決する作戦を立てないといけないって事ですよね……」

 昼下がりの新宿、歌舞伎町一番街からアルタ前に続く道のり。一分の隙もなくゴスロリ――今日は鮮やかな水色のワンピースに白いフリフリのエプロンの、いわゆるアリス系ファッションだ――で決めた小柄で白銀の髪の少女と、背広の社会人風の男が連れ立って歩いているとなれば、嫌でも人目を引く上にその関係を色々と邪推されかねないが、柾木も玲子もこれからの事で頭がいっぱいで周りの視線を全く気に留めていない。

「……割と大仕事だな、こりゃ……」

 柾木は、ため息をつく。

「……柾木様が、御自分でお選びになったのですから、御自分で決着つけて下さいまし」

 ちょっとだけ拗ねた口調で、玲子が突っ込んだ。

「……そうですね、俺が自分でやるって決めたんだ、自分の力でやり遂げなきゃな」

 自分に言い聞かせるべく、柾木は口に出して言う。

「……その……お力、お貸ししても……よろしゅうございましてよ?」

 拗ねて見せた手前、素直には言い切れず、小声で玲子は付け足す。

 それでも、ちゃんと聞いていた柾木は、玲子に向き直ると、

「ありがとう、玲子さん。でも、ギリギリまで自分でやってみます。見極め難しそうだけど……あ」

 柾木の視界内で、アルタ前で待つ笠原弘美の姿が確認出来た。同時に、推し量ったかのようなタイミングで、玲子のセンチュリーが大ガード方向から現れ、アルタ前で一時停車した。

「じゃあ、一段落したところでまた連絡します」

 柾木は、センチュリーの手前で立ち止まった玲子にそう告げると、笠原弘美に向かって小走りに去った。

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