第7話
あたしが生まれたのは、幕末って奴のちょっと前でね。信州の山ん中の農村の生まれさ。もうね、何でこんな所に住もうと思ったんだろうってくらい、なんにもない村だったねぇ。それでもなんとか食っていける位には野良仕事でやっていけてたんだけどね、あたしが十の頃だったよ、ひどい冷夏でね、ああ、今は学校で天保の大飢饉って教わるんだっけ?それだよ。村ごと食い詰めちまってねぇ。
あたしだけじゃない、村の子供がいっぱい奉公に出されたよ。でもねえ、奉公なんて言ったって、要するに人買いでね、あたしを買った男は、近くの村も回って女の子ばっかり五、六人買ってたかねえ、それから子供の足で丸一日歩いて、山を二つ三つ越えた先の宿場で、あたしらを旅籠に売っ払ってバイバイさ。
それからは馬車馬みたいに働かされたねぇ。そりゃあ辛かったけど、子供の足じゃ二つも三つも山越えちゃあ逃げ帰る事も出来ないし、少しは大きくなって山越え出来そうな年頃になりゃ、もうそういう生活に慣れちまってねぇ……飯盛り女って知ってるかい?その頃はお上の遊女の取締が厳しくてね、許された遊郭でないと遊女は置けなかったんだよ。それで、飯盛り女、客に飯を盛るって体で、それ以外も、ね。
そうさ、あたしも自然に、そういう事になってたのさ。
けどね、ある時、良く来る客の一人にあたしゃ入れあげちまってねぇ。よくいる行商人だよ、話はうまいし女あしらいも上手い、顔だってまあまあとくりゃあ、あたしも世間知らずのネンネだったからねぇ、すっかり頭に血が上っちまってね。そいつにしてみりゃ、あっちこっちに居る都合の良い女の一人に過ぎないのに、そのうち身請けしてやろうかなんてのを本気にしちまってね。バカだよねぇ、それなら、ややこでも出来ればきっと今すぐにでも、なんて思っちまってね。そしたらどうなったと思う?そうだよ、その男はもう二度とその宿場に立ち寄らなくなったさ。
騙された、捨てられたって思ったさ。なんて薄情なんだって恨みもしたさ。もう、何から何まで憎んで、恨んださ。
気が付きゃつわりも酷くって、身重じゃ働くったって上手くいかない、客だって取れやしないさ。けど、恨もうが憎もうが腹は減るんだよ。蓄えは少しはあったけど、そんな事してりゃすぐに底をつくのは見えてたし、そうなるともうね、お腹の子まで憎くなるのさ。あの男の種だ、こいつのおかげでってね。酷い話もあったもんだろう?
爪に火をともすってのはああいう事を言うんだろうねぇ。その時のあたしはそんな有様だったさ。空きっ腹をなだめようって、行灯の油を舐めてね。行灯の油ってのはね、あたしが居たような安い飯盛旅籠なんかじゃ、魚の脂を使うのさ。ろくに明るくもならない、煤ばっかり出る臭い油だけど、舐めて気を紛らわす位には役に立ったね。
知ってたかい?病で客が取れなくて、痩せちまった女郎が行灯の油を舐める、痩せ細った首を伸ばして必死に舐める、そのおぞましい様がろくろっ首の正体だなんて言われてるんだよ。まあ、あたしに関しちゃその通りになったんだけどね。
そんな事してたら、いつの間にかややこは流れてねぇ。でもそうすると今度はなかなか血が止まらない。働けない、痩せる、油を舐める、その繰り返しさ。酷い話さ、それでも、流れた子には、その時は一つも可哀想とも思わなかったねぇ。今思えば、もうそん時には心が死んじまってたんだろうねぇ。それでも、死にたくはなかったんだろうねぇ、油舐めるのは止められなかったねぇ。
正直言うとね、そこら辺はあんまり良く覚えてないんだよ。何を考えて、何日そうしていたのか。気が付いた時はね、旅籠の旦那が障子開けて腰抜かしててね、それをずいぶん高い所から見下ろしてたのは覚えてるよ。旦那はきっと、あたしの様子がずいぶんおかしいから様子を見に来たんだろうねぇ。
あたしゃ、何が何だかわからなかったけど、旦那は腰抜かす、他の女どもは逃げ回る、あげくにゃ旅籠の用心棒が
そうするとね、人の足ってのはどうしても生まれ育ったお里に向かうもんなんだねぇ。一晩山ん中を歩き通して、開けたところに出たと思ったら、何の事はない、あたしの産まれた村さ。帰って来ちまった。
でも、誰も居ないんだ。結局、
それがわかるまでしばらくかかったけど、わかった時は泣いたねぇ。もう、一生分涙出した、枯れ木になっちまうと思ったよ。でもね、不思議なもんでね、とことん泣くと人ってのは落ちつくもんなんだねえ。自分の家だったところで一晩泣き通して、家だって言ったって掘っ立て小屋に毛の生えた程度のもんだったからね、天井なんて落ちて、柱と壁がちょこっとだけ残ってたってなもんだったけど、とにかくそこで一晩過ごして、朝になりゃ腹も減ってるし喉も渇いてるのさ。
そうなると現金なもんさ、一晩泣いて心は空っぽ、飲まず食わずで腹も空っぽ、喉もカラカラ。色々どうでもよくなってね、とにかく水飲んで木の皮でも囓ってやろうって。有り難い事に井戸は涸れてなかったからね、つるべの水桶のぞき込んで、そこに映ったバケモノを見て、それが自分だって気が付いて、やっとわかったのさ。
あたしは、ろくろっ首になっちまってたんだって。
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