第6話

「おや、驚かしちまったかねぇ」

 いつの間にか、普通の人と変わりない首の長さに戻った本所隼子ほんじょ じゅんこは、北条柾木ほうじょう まさきにしがみつき、脅かされた事を恨めしそうに見上げている――としか思えない視線が、見えないベールの奥からでも感じ取れる――西条玲子さいじょう れいこに言った。

「……そういう事だったんだ」

 その隼子を見ながら、柾木が、ぽつりと呟く。

 ん?と、その声におびえがない事に気付いた隼子は柾木に向き直り、玲子もしがみつく手の力を抜き、やや不思議そうに柾木を見上げる。

「いや、先日お昼食べに来た時も思ったんですけど、ずいぶん大胆に肩を出す服着るなあと。実際綺麗だし、さぞかし自信あるんだろうと思ってたんですが。そうか、その綺麗な首筋、見せたくもなりますよね、うん。納得いきました」

 いたって真面目な顔で、柾木は言う。

「……柾木様?」

「やだよ、なんだいお兄さん、年増をからかうもんじゃないよ?」

 素朴な玲子の疑問符と、言われてまんざらでもないのか笑って返そうとする隼子に、柾木が言葉を重ねる。

「いやいや本当にお綺麗です、特に料理されている時なんか、こう、色気があって」

「やだねぇどうも。おだてても何にも出ないよ?」

 あ、わかった。青葉五月あおば さつきは気付いた。この子、悪気なしに素でお世辞が出るタイプだ。柾木君には悪意も計算も、もちろん悪気もない。ただ本当に思った通りに言っているだけだろう。もちろん柾木は営業職だから、嫌味にならない程度なら褒めから入る手もありだろうし、今の状況にはこの程度なら丁度いいかも知れないけれど、ろくろっ首目の前にして最初の一言がそれか?この子、霊的不感症なんじゃなくて、単純に肝っ玉が極太なだけなんじゃないの?あるいは美的センスがちょっとずれてるの?

 五月は、半ばあきれながら柾木を見、そして、

「……柾木様?」

 若干のトゲを含んだ玲子の二言目の疑問符を聞き、あ、こりゃヤバいと少し慌てる。


「そろそろ仕事の話しましょうよ、柾木君」

 場も何とか暖まったと言えるし、何より玲子の低気圧がこれ以上発達する前に話題を変えようと、気を利かした五月が柾木に話題転換を振る。

「あ、そうですね。さっきも言いましたが、僕はこういうの初めてで、なるべくニュートラルに両方から話聞こうと思ってるんですが、その前にどういうお店なのかも知っておこうと思いまして、こないだ仕事のついでに寄らせていただきました」

「まあ、珍しい客だとは思ったけどねぇ。こんな店に一見いちげんの、しかもこんな若い子が来るなんて滅多に無いからねぇ」

 スツールに腰掛け直し、隼子は煙管きせるを手に取る。

「偵察みたいでちょっと心苦しかったですけど、おかげで色々わかりまして……このお店、もう長いんですか?」

「そうさね、かれこれ三、四十年やってるかねぇ。このビル建ってからすぐ入ったからねぇ」

「失礼な聞き方だったらすみません、このビル、他のお店も「お仲間」さんなんですか?」

「半分くらいかねぇ、もう半分の店主は普通の人間さんだよ」

「……いくつか、看板が抜けてましたけど……」

 柾木は、先日気付き、そして今日来た時に再確認した、ビルの壁面にかけてあったネオン看板を思い出して、聞く。十軒分ほどある看板の、半分弱は、白かったり裏返ったりしてテナントが空いている事を示していた。

 柾木に聞かれて、隼子は煙管を一服してから答える。

「……人間さんはね、腰が軽いからねぇ……」

 立ち退き交渉に応じて、人間の経営する店舗はさっさと店を畳んだのか。柾木はそう理解し、口が重くなった隼子に、重ねて問う。

「……あなた方は、そうではないんですか?」

 聞かれて、隼子は寂しそうな笑顔で答える。

「あたしらは、一度居着くとなかなか動けないのさね……妖怪、モノノケの類いってのは、たいがいそういうものなのさ」


「体のない本当の幽霊なんてのも居るけどさ、ここに居るのはたいがい、あたしみたいな体のあるヤツばっかりさね。あたし含めて、大体みんなここに住み込みで居着いてるのさ。あたしもこの奥に自分の部屋があるしね。そうやって一度居着くと、なかなか人間様みたいに引っ越すって訳にはいかないもんさ。なにしろ、相性って奴が大事なんでねぇ。そうさね、あたしが住み着いて雰囲気作ったから、他の連中も寄りついたのかねぇ」

「本所さんは、このビルに来る前はどうしてたんですか?」

「……まあ、たまには昔話もいいかねぇ、けど、面白い話じゃあないよ……」

 本所隼子は、客三人と自分の茶を入れ直すと、煙管をもう一服し、話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る