第4話
「いらっしゃい、……おや、見ない顔だねぇ。まあいいや、昼飯かい?」
引き戸を開けるなり、カウンターの中のママさんらしき女性から、威勢のいい声がかかる。
「あ、はい、えーっと……」
柾木は、咄嗟にざーっと壁のお品書きを見つつ、同時に店内を見回す。
「おーっと、そっちは夜の営業分でね、今日は昼はカレーか炒め物か、お勧めは
フライパンを振りながら、その女性は柾木を見ずに言う。年の頃なら四十半ばか、下ろせばそこそこ長いだろう髪をアップにまとめ、うなじから肩口まで大きく開いたゆったりしたセーターの上にエプロンを纏った年増の女性。白く長い首と後れ毛が実に妖艶だ。
「じゃあ、塩焼きで」
言いながら、柾木は手前のテーブル席に座る。テーブル席は三つ、カウンターは六人分だろうか。店の規模としては大きくはない。客は、カウンターに一人、奥のテーブルに一人。どちらもそこそこ歳の行った男性に見える。
「あいよ。ごはん、大盛りにするかい?」
「あ、いえ、普通でいいです」
生身だったら大盛りでもいいけど、今はエータだからな。柾木は、自分の体が今はオートマータである事を意識する。大盛りでも食って食えない事はないだろうけれど、無理をする必要もない。
席に着いた柾木は、ブリーフケースからタブレットを取り出し、仕事のスケジュールのチェックをする……体で、今見た事をメモする。
「あいよ、お兄さん悪いね、持ってってくれるかい?」
「は、はい!」
気っ風のいい声で呼ばれて、柾木は思わず緊張して返事する。
「いい返事だねぇ。お兄さん、新人さんかい?」
切れ長の、少し垂れ気味の目を細めて、ママさんは柾木に微笑みかける。
「はい、日販自動車に今年入社しまして」
「へぇ。営業さんかい?」
大きめの茶碗にてんこ盛りの白米、味噌汁、香の物に魚の塩焼き。典型的な定食の載った盆を柾木に手渡しながら、ママさんは聞いて来た。
「はい」
「じゃあ、たんと食べて力つけないとねぇ。」
言って、ママさんは何かの小鉢を取り出すと、柾木の盆に載せる。
「良かったらこれもお食べよ、精が付くよ」
「お、いいな若いの、そりゃ女将のお手製だぞ」
奥のテーブルで、同じ魚の定食に徳利をつけてチビチビやっていた小柄な老人が、笑いながら柾木に声をかけた。何かと思ってその小鉢見てみれば、それは蜂の子の甘露煮だった。
「……蜂の子っすか」
「おや、知ってたかい?」
「はい、実家じゃたまにお客さんが持ってきてましたから。いただきます」
「はいよ、めしあがれ」
「……美味しい……」
海なし県出身の柾木は、鰆と言われてもどんな魚か見当がつかない。味付けはちょっと塩味濃いめ、生身だったら間違いなくご飯大盛りだったな、柾木がそう思う程度に、エータの体であってもご飯がすすむ。
「そりゃよかった、若い人の口に合って」
ママさんが微笑む。熟女趣味のない柾木でも、ちょっとグッと来るその笑顔。こりゃ手強いと、柾木は内心警戒する。この笑顔にほだされず、ニュートラルで臨まないと。そう思いつつ、本来食事を必要としないエータの体であっても、やはりご飯大盛りにしなかったのは惜しかったかなと思いつつ柾木は鰆塩焼き定食をかっ込む。
「なんなら、お替わりするかい?」
柾木の心が読めるのか、ママさんが声をかける。
「……お願いします」
「……というわけで、
柾木は、会社の業務終了後、「協会」に連絡を取っていた。
「わかりました、いつがご都合よろしいですか?」
電話口から、笠原弘美の声がする。向こうも残業中らしい。
「僕の次のオフは日曜なので、そこであれば時間はいつでも」
「では、一応午後イチ目安で調整してみます」
「お願いします。それから、オーナーさん側の情報とか、アポイントメントとか、どうなってますか?」
「そちらは、今資料まとめてます。アポイントメント取れましたら折り返し連絡します」
「わかりました、よろしくお願いします」
こちらは会社員、「協会」も法人格の団体職員であれば、互いに事務的対応で話が進むので柾木的にはやりやすい。社会人になって足かけ二ヶ月だが、そういう意味で社会人になったんだなぁと、変なところで柾木は感慨にふける。
スマホを切った柾木は、もう一件電話する相手が居る事を思い出す。
「……玲子さんにも連絡しとかんと……」
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