第3話
「もう!柾木様ったら
田無の柾木のワンルームマンションに向かう旧型センチュリーの左後席で、玲子がプリプリ怒っている。
「……すみません。でも、なんか、仕事の肥やしになるかなーって……」
申し訳なさそうに、それでもちょっとだけ、にやけも見えるような顔で、柾木は言い訳する。それは、若いが故の自信によるものか、それとも、単におかんむり状態の玲子の、そのしぐさがかわいいと思っているだけか。
「北条様、老婆心ながら、油断は禁物、自惚れると身を滅ぼすと、この老骨から苦言申し上げておきますぞ」
時田が、助手席から振り向いて柾木に声をかける。その声色は柔らかい。
「はい、アレだけ怖い目にあった直後ですから、肝に命じては居るつもりです、ありがとうございます」
社会人一年生の営業職は、その箴言を心からの親切と受け止める。
「とはいえ、向上心や功名心は若さの特権でもございますからな。お
時田が、まるで玲子などこの場に居ないかのようにすっとぼけて言う。柾木にはその瞬間、バックミラーにちらりと見える運転席の袴田の顔の、片方の口角が上がるのも見えた。
「……もう!わかりました!これは柾木様に依頼された事ですから、柾木様のお好きなようにされれば良いのです!」
玲子はそう言い捨て、次いできっと柾木に向き直り、
「ですが!よろしいですか柾木様、そのお店に交渉に行かれる際には、私もご一緒します!よろしゅうございますね!」
最後の一言は疑問ではなく断定である。柾木は苦笑しながら、こう答えるしか無かった。
「はい……それと、万が一って事もありますから、出来れば誰か、その手の腕の立つ人についてきて欲しいところではありますね」
「……でしたら、五月様に相談してみましょうか?腕も経験も私が保証致します」
「五月さんって、青葉五月さん、ですか?」
「はい、柾木様もまんざら知らぬ仲ではございませんでしょう?」
「そうですが……なんか申し訳ない気も」
柾木的には、自分に振られた仕事で五月にタダ働き的に動いてもらうのは心苦しいというのもあるが、何よりも先日の、自分に懐く玲子を見て一瞬ものすごい目つきで威嚇してきたように見えたその視線が忘れられていない。
「大丈夫、五月様は優しい方ですから、私からもお願いすれば、きっと聞いていただけますわ」
俺の懸念はそういう事じゃないんだけど。いやむしろ懸念に輪をかけるような気も。柾木は、一抹の不安をいだかざるを得なかった。
その数日後。柾木は、挨拶回り兼新人の面通しでOJTの下山と一緒に朝から新宿周辺の得意先を数軒訪ねていた。そして昼頃、じゃあ昼飯は……となったところで、実は知り合いとメシ食う約束してまして、と言い訳して独りになった柾木は、その足で歌舞伎町二丁目のスナック「
目的は、あくまで下見である。事前に「協会」の笠原弘美から聞いたところでは、そのスナックは昼頃はちょっとした定食などを出す小料理屋的な営業もしており、為に地元になじんでいる事も立ち退きを嫌がる理由の一つになっているとの事だった。
であれば、客層やママさんの人となりを見る上で、一度は客として店に行って情報収集しておくのは大切だろうと柾木は考えていた。もちろん、その後に交渉する為に再度訪問した時に、あの時の、と面バレする確率は高いが、それはそれ、その時に考えれば良い、今はとにかく情報収集、難しい事はそれからだ、柾木はそう腹をくくって、どっちかと言えば確かに小料理屋的なそのスナックののれんをくぐり、引き戸を開けた。
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