第2話

 その日、外回り営業の合間に、昼食を摂りにわざわざ先輩と別れてその店に柾木が寄ったのは、偶然というわけではなかった。

 新宿、歌舞伎町二丁目。区役所通りから西に一本入った雑居ビル街。その中でも、見るからにひなびた昭和テイストの雑居ビル、四階建てに十軒以上のテナントが入っているらしいそのビルの二階に、目的のスナック「轆轤ろくろ」はあった。聞くところによれば、夜はスナック営業だが、昼は小料理屋的に定食など出しているという。こういう雰囲気の店は全く持って初めての柾木は、唾を飲むと意を決して階段を上がった。


「こんなに頂けるんですか?」

 柾木がスナック「轆轤」に入ろうとする数日前。仕事がオフの日に「協会」から呼び出された柾木は、西条玲子と共に東銀座の喫茶店「ファン・ゴッホ」に居た。

「スポット契約で、必要経費相当の消費材もなし、特殊技能なしという事で、拘束時間からこのようになっております。特に指定がなければ、NPO法人「協会」からの作業報酬として銀行振り込みとなります、課税対象になりますのでご注意下さい」

 「協会」の経理担当、笠原弘美かさはら ひろみが事務的に答える。

 NPO法人だったのか。何をどうやって法人登録したんだ?柾木は、ものすごく聞いてみたかったが、そこには色々なタブーがありそうなので聞かない方がいいだろう事は理解出来た。

「……参考までに聞いて良いですか?消費材とか、特殊技能って、いや、聞かなくても解る気はするんですが」

 それでも、聞かずもがなであるとは思いつつも、柾木は思わずそこは聞かずにはおれなかった。

「消費材とは、おふだ、聖水、その他使い捨ての呪術道具一式ですね。弾薬なども含まれます。不正使用や過剰請求防止のために、ハンターにはレポートの提出を義務づけてます」

 冷静に考えるとかなり物騒な事を、微笑みながらさらりと通常業務であるかのように弘美は言う。

「特殊技能は格闘技の有段者やタイトル保持者から、そう言った客観的位置づけの難しい妖術の使い手まで色々です。スポット契約の場合はこれらの評価難しいので、ほとんどの場合は一律に該当なしになります。お試し契約していただければ、お持ちの技能に見合った判定をいたしますけど?」

 明らかに契約を勧める目つきで、弘美は柾木と玲子を交互に見る。

「そう言われましても……俺みたいな一般人の出る幕じゃなさそうですけど」

「あら?まどかさんから、北条さんは「交渉人ネゴシエイター」として見所ありそう、って伺ってるんですが?」

 遠慮八割不安二割で返事する柾木に、弘美が畳みかけた。

「ネゴシエイター、ですか?」

「はい。「協会」の業務はどちらかというとネゴシエイターの方がはるかに需要も多く、常に人材不足なんです」

「そうなんですか?」

「はい、「協会」の業務のほとんどはいわゆる民事ですし、ハンターの方もほとんどは実際にはハンター兼ネゴシエイターという扱いですね」

「はあ……」

 なんか、イメージ違うな。先日、ノーザンハイランダー号に潜入する直前に契約書にサインさせられた時も思ったが、NPO法人として登録されている事もあり、「協会」とはもしかしたら本当にお役所的な何かなのかも知れないと、柾木は思う。

 そう思って、手元の契約金支払いの明細を見直す。そこには、総額としては大したことは無いが、実働八時間ほどとして時給換算にすると自分の本来業務である日販自動車でのサラリーの倍ほどになる金額が記載されている。NPO法人が支払う報酬としては、破格であるとは言えるだろう。

「……そこでなんですが、北条さん。改めまして、ネゴシエイターとしてお仕事を一つ、引き受けて下さる気はありませんか?」

「……はい?」


「歌舞伎町で頓挫している立ち退き交渉がありまして、「協会」に調停依頼が来てるんです。状況確認だけでも結構ですので、見てきていただけないでしょうか?」

「お待ち下さい、柾木様はまだ、やるとはおっしゃってません!」

 柾木が反論するより早く、それまで黙って聞いていた玲子が声をあげた。

「あら……これは失礼しました。でも、引き受けていただけますよね?」

 笑顔で、弘美が畳みかける。若い女性の営業担当だけが使える必殺技だ、新人男性営業マンである柾木はそう理解する。が。

「……とりあえず、お話しだけは聞きます、それからの判断でもいいですか?」

「柾木様!」

 玲子の批難をよそに、柾木は考える。面倒ごとは正直ごめんだが、興味がないわけではない。「協会」に持ち込まれる案件なら、依頼者側か相手側か、どうせまっとうな依頼ではない。手に負えないと思った時点で投げてもいいような口ぶりだから、とにかく話聞いて、自分でも出来そうなら……

 柾木には、自分の力を試してみたい気持ちがあった。それは、東大あずま まさると対等、とは言わないがなんとかやり合えた事実と、その後に自分の肉体修復その他について蘭円から協力を取り付けた事が、もしかしたら交渉事でやっていけるんじゃないかという自信に繋がっていたからであった。自惚れたらいけない、そうは思っても、じゃあ、どこでその線を引くかというのは、まだ経験の浅い、浅すぎる柾木には難しい注文だった。

 まるでその柾木の心の奥を見透かしたかのように、弘美は微笑み、言葉を続ける。

「もちろん、構いません。状況としては、雑居ビルのオーナーが、消防法や耐震性の問題からビル建て直しの為にテナントに退去を求めているのですが、テナント側が拒否しているという構図になります」

「見てくるだけで良いって、双方の言い分だけ聞いてくれば良いって事ですか?」

「まあ、そういう事になりますね。手に余りそうなら、別のネゴシエイターに担当を替わる事は可能です」

「テナントは何軒?」

「手元の資料では、えっと、八軒ですね。ただ、まずテナントをまとめているお店のママさんと話をされるべきかと思います」

「町会長的な?」

「そんな感じでしょうか」

「オーナー側は?」

「そちらは、少々手続きが必要です。いずれにしろ、どちらにお話しに行かれるにしても「協会」からアポイントメントを取ってからの方が良いでしょう」

「……」

「……柾木様?」

 玲子の問いかけにはトゲがある。迂闊な返事をするなと警告しているのだ。だが、

「……もう一つ、どっちが、「人じゃない側」なんですか?」

「柾木様!」

 鋭い玲子の声が飛ぶ。だが、弘美は、全くそれを気に留めず、言う。

「テナント側と聞いてます」

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