第7話 辺境伯の呪い
「……君はあの時の」
そう。以前王立図書館で解呪の禁書を貸してくださった銀髪の方だ。
今日はクラヴァットもしていて、奇妙な模様の装飾は付けていない。
まさか辺境伯のレオポルド様その人だとは。
「その節は本を貸していただき、ありがとうございました」
二度目の礼をしていると、銀髪の青年から魔力の痕跡が漂ってくるのを感じて、思わず身構えそうになるのを我慢する。
これは……微かに闇の魔力を感じる?
おそらく彼のものであろう爽やかな風の魔力の中に、僅かに闇の魔力を感じる。
それもこれはよく知る呪術をかけたときの魔力!
「レオポルド様、貴方は呪われているのですか!?」
見覚えのある青年に気が緩んでいたからか、不穏な魔力を感じたからか、私は最初に言われた「近づいてはいけません」という言いつけを完全に忘れていた。
いや理解はしていた。魔力暴走で使用人を傷つける辺境伯の噂は知っていたし、それが近づいてはいけない理由なんだろうなとは思っていた。
しかしそれよりもそれが誰かにかけられた理不尽な呪いなら、なんとかしなければと思った。
思わず問い詰めるように近づいた瞬間……。
「近づくな!!」
「いけません!」
レオポルド様とトールキンから悲痛な声が掛けられたと思ったら、ヒュルルルッとかまいたちのような風が目の前に発生する。
「……キャアァ!!」
左肩から胸にかけて激痛が走る。
白いブラウスが破けるのと一緒に、ベタっとした血の感触が肌を伝う。
(私……結局死ぬの……?)
そういえばこの方は解呪の本を持っていたわね。つまりご自身の呪いを解こうとしていたということなのね。
唐突に理解して、胸のぱっくり割れた傷跡を認識したのと同時に、私は意識を手放した。
……。
…………。
……どれだけ意識を失っていたのだろう。
胸にまとわりつくベタっとした血の感触がまだ固まっていないことから、思ったより早く気がついたらしい。
さっきから頬に水滴が滴り落ちてくる上に、なんだか胸が暖かいような……?
「すまない……」
震えた声は先ほど聞いたばかりの声だとぼんやり思えば、ここがどこかを思い出して慌てて目を開ける。
私の胸に手を当てていたレオポルド様は、そのエメラルドの瞳を涙で濡らしていた。
突然私の目が開いたのに気がついて、レオポルド様は驚いたように素早く身を起こし、ビタっと壁にへばり付く。
そしてそのまま壁を伝ってどんどん離れていった。
胸を触られていたのか、いやその前にさっきの傷がどうしてもう傷痕になっているのか、それになんだかやたら頭が重いような、そしてなんてふかふかなベッド……。
もう何が何だか分からずグルグル考えていると、周りを見てハッと気づく。
私が寝ているベッドは豪華な天蓋付きで、それには綺麗な刺繍が施してある。
何よりもお父様のベッドよりふかふか。
とても使用人のベッドとは思えない。
こ……これはレオポルド様のベッドでは!?
私の血で汚してしまう!
「申し訳ありません! 主人のベッドで寝るなど、使用人としてあるまじき……」
謝りながら急いでベッドから降りようとしたところで、クラっと倒れ、両手をふかふかのカーペットにつくことになった。
思考がグルグル回っているだけでなく、なんだか視界もグルグル回っていて立つことができない。
「まだ寝ていた方がいい」
レオポルド様は恐る恐る私に近づき、再びベッドに寝かせてくれた。
「傷は治せたと思うけど、かなりの血を失った後だからね。しばらく貧血で動けないと思うよ。まだ痛いところはないかい?」
「いえ……」
正直治したばかりだから、傷の辺りがジンジンしてよく分からないが、多分大丈夫そうだ。
しかし首を振ろうとするも、目眩のせいかそれすら叶わない。
フルフル顔が震えただけだった。
「僕に近づくと魔力が暴走して傷つけてしまうんだ。君の傷は僕の魔法で直したけど、高位の光魔法でもないと……その、どうしても傷痕が残ってしまう。…………すまない。女性の肌に傷をつけてしまうなんて、取り返しのつかないことを」
レオポルド様はクシャッと顔を歪めて、悲痛な面持ちで謝罪する。
嗚呼、だから傷つけた私のために泣いてくださったのだろうか。
……なんて優しい方。
「いいえ、そもそも近づいてはいけないと言われていたのに、近づいた私が悪いのです。それに私はもう誰かに嫁ぐことは難しいので、傷跡が残っても問題ありませんわ」
自重気味に笑って答える。
エルガー殿下に婚約破棄され、妻として相応しくないというレッテルを貼られてしまったのだから、今更だ。
「そんなっ……!」
レオポルド様は言いかけた言葉を止め、ギュッと拳を握り、気持ちを落ち着けてから私を嗜める。
「僕が言えたことではないかもしれないけど、もう少し自分を大事にした方がいい。君はうら若く麗しいお嬢さんだ。まだこれからの事は分からないよ」
「でもベッドを使わせていただいて、恐縮ですわ。血で汚してしまうかもしれません」
「汚れるのは構わないよ。その血も僕のせいだ」
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