214.分厚く覆われた本心


 リオが怪訝そうな顔をしている。俺は少し迷ってから、言葉を続けた。


「いくらギフテッド・スキルの力があるといっても、身の回りでこんなことが起こって」


 飛んできた石。中身をぶちまけて空になったバケツ。奇跡的な範囲に収まった補修材。

 一歩間違えば、大怪我をしてもおかしくなかった。


 ――『大怪我をしていたかもしれない』と恐怖を抱いてもおかしくなかった。


 その恐怖感を、リオは――。


「きっと、一度や二度じゃなかっただろう。こんなこと。怖いと思ったことは」

「へいきですわ」


 リオは、そう答えた。即答だった。

 作業の手を止め、俺を見上げてくる。


「わたくしは、神様をしんじていますもの」


 神様、か。

 確かにギフテッド・スキルは天から――神様から与えられたもの。

 その力を、恩恵を信じ、感謝し、「きっと大丈夫」と確信することは大切だ。

 それこそ信仰心の表れだろう。


 ただ、こんな小さな子が信仰心だけで目の前の恐怖感を忘れることができるのか。俺はそこに、言いようのない不安と哀しさを感じてしまうのだ。

 リオはもしかしたら、一度、神様の思し召しだと思ってしまったら、どんなことでも受け入れてしまうのではないか。それこそ、自らの破滅すらも。


 いや、考えすぎか。

 神様への信仰心で心の平穏が保たれるのなら、それもまた生き方だ。

 俺がとやかく言うことではないだろう。

 俺は、リオが社会で生きていけるだけの知識と経験を積ませることに集中しよう。そうすれば――。


「うけいれますわ」


 ――ふいに、ぽつりと。リオが言った。


「べんきょうも、運動も、人よりおとっていること。いくらやっても、ちっともうまくならないこと。ギフテッド・スキルによって護られていること。わたくし、ずっとまえから知っていましたわ」


 俺や、ミテラや、グリフォーさん。ギルド・エルピーダの大人たちを元気いっぱいに振り回してきた亜麻色髪の少女は、今、視線を下に向けている。

 言葉が、まるで腐敗した果実のように地面に落ちる。


「これは神様からあたえられた試練。なら、わたくしはわらってうけいれますわ」


 長い髪に隠れ、横顔が見えない。

 笑っているようには、聞こえない。


「試練だから……きっといつか。いつか、さきにすすめる日がくるはずですから」


 小さな手を握りしめる。


「おとうさまも、おかあさまも、じいやも、みなが心配しなくてすむような、わたくしに、きっといつか、なれる」

「リオ……」


 哀しさの正体がわかった。


 元気のよさ。

 無謀な行動。

 世間知らず。

 そして、ギフテッド・スキル。


 それらに分厚く覆われた本心は、いつも、あがいている。それこそ、生まれてから、物心ついてから、ずっと。リベティーオ・グロリアという少女はあがき続けているのだ。


 ほとんど誰にも知られないまま。

 リオ自身も、知らせる術を持たないまま。


 それは、どうしようもなく哀しいことだと、俺は思った。


 俺はゆっくりとリオを抱きしめた。亜麻色の髪をなでる。彼女の小さな肩は震えていない。嗚咽を漏らすわけでも、向こうから抱きしめ返してくるわけでもなかった。


 身体を離す。


 俺を見上げたリオは、きょとんとした表情をしていた。

 俺は無理矢理微笑みを作って、リオの頬をぐにぐにと触った。「うー!」と不満を漏らすリオ。

 その隙に、リオの頬に流れた一筋の涙を拭って消した。

 彼女は最後まで、その涙に気づいていなかった。


 もう一度、リオを抱きしめる。彼女は大人しくされるがままだった。

 どのくらいそうしていたか。


「イスト・リロス」


 身体を離すと、リオがびしりと俺に指を突きつけた。

 いつもの、元気と生意気を煮詰めたような表情で。


「このわたくしに、もっともっと、試練をみせてちょうだい。すたーくおーつ級ぼうけんしゃのあなたなら、わたくしのしらない試練をたくさんみせてくれるとしんじていますわ」

「試練、か」

「そうですわ! なんたって、あなたはわたくしのみとめた、最高のぼうけんしゃですもの!」


 光栄だと思った。


 リオが何を思ってウィガールースにやってきたか。

 何を目指して頑張るのか。

 彼女は今の自分をどう見ているのか。

 少しわかったような気がする。

 もしかしたら、リオは俺たち大人が考えるよりも、ずっと大人なのかもしれないなと思った。


「ありがとう、リオ。君の期待に応えられるよう、俺も全力を尽くそう」

「ふふん。その意気ですわ」


 腰に手を当て、その場でふんぞり返る亜麻色髪の少女。

 生意気全開。実にリオらしい。俺は笑った。


「そういうことですから、イスト・リロス。はやくわたくしをぼうけんに連れていきなさい」

「駄目」

「なぜですの!? まだじょうへきすら越えていないのですよ!?」

「だから、駄目。ほら、ここ終わったから。戻るよ」


 バケツを持ってギルドの建物に向かう。

 リオは唸っていた。いつまで経っても動かない。彼女の視線を追うと、先ほど石を巻き上げた荷馬車をじっと見ているのがわかった。


「リーオ」

「むー!」


 むくれる亜麻色髪の少女に苦笑しながら、俺はとりあえず、道具を片付けるため建物内に入った。


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