159.支部長を襲う黒い靄


 路地の向こうにギルド連合会支部の建物が見えてきた。

 俺とグリフォーさんはさりげなく周囲を警戒する。


 ここまでの道すがら、俺は最近起こった数々の出来事とゴールデンキングの関係性について、考えを伝えていた。ミテラ経由で一連のあらましを耳にしていたグリフォーさんは、「もしかしたら奴らの尖兵が連合会支部を張ってるかもしれないな」と言った。

 だが、俺たち二人の警戒の網に、怪しいものは引っかからない。


 何事もない顔をして、連合会支部に入る。

 ホールは職員が忙しそうに行き交っていた。どことなく、緊張した空気がある。グリフォーさんの話では、まだ支部長の容態について知らされていないはずだ。おそらく、ここ数日、街の各所で起こっている不可解な事件の情報が集まり、彼らは神経を尖らせているのだろう。


 受付嬢の前に来る。



 すると受付嬢の顔が一瞬だけ強ばった。すぐにいつもの柔和な笑顔を取り戻すと、「こちらへ」と階段へと先導する。

 二階、そして三階。さらには四階まで進む。シグードさんがいる支部長室は三階だ。受付嬢はゆっくりとした足取りで四階の廊下を進み、奥にある別の階段の前まで来たところで振り返った。


「お待ちしておりました。グリフォー様、イスト様。これまでのところ、怪しい動きは見られません」

「彼女は事情を知っている数少ない者のひとりだ」


 グリフォーさんが教えてくれる。


 それから俺たちは足早に階段を降り、周囲を確認しながら三階の支部長室に向かう。

 廊下を歩いているとき、無意識に歩速が緩んだ。グリフォーさんが怪訝そうにする。


「どうしたイスト」

「いえ。何か、嫌な気配を感じます」

「さすがイスト様でございます」


 受付嬢が緊張した面持ちのまま言った。

 シグードさんの執務室前に着く。受付嬢が変則的なリズムでノックすると、ややあって扉が開いた。俺たちはすぐに中へ滑り込む。


「よくぞお越し下さいました」


 扉を開けてくれた男性が駆け寄る。見覚えがあった。確か、俺たちに冒険者タグを交付してくれた人のひとりだ。彼が側近なのだろう。

 側近の男性の視線を追い、俺は部屋の隅を見た。


「う、これは……」


 思わず呻く。

 部屋の隅に設けられた即席の寝台に、シグードさんが寝かされている。その身体を包み込むように、黒い靄がまとわりついていたのだ。


「シグードの現状だ。ここ数日、まったく変化がない。この状態になったのも急なことだった」


 グリフォーさんが苦々しく言う。受付嬢は口元を押さえ、視線を逸らした。側近は落ち着きなく手を擦っている。

 ここからでもわかる。シグードさんの苦悶の表情。黒い靄は、まるで彼の反応を楽しんでいるかのように揺らめいていた。悪夢を見せ続けるという所業。俺は奥歯を噛んだ。


「サンプル発動」


 寝台に歩み寄りながらスキルを使う。


「ギフテッド・スキル【絶対領域】」


 忌まわしきモノを拒否する聖なる領域。黒い靄は、【絶対領域】の輝きに弾かれてシグードさんの肉体から離れた。どうやら、完全に一体化していたわけではなさそうだ。


 天井付近に集合した黒い靄は、何度か蠢いた後、壁面の方へ流れていく。


「逃がすか!」


 俺は結界を操作し、今度は黒い靄を包み込む檻に変えた。シグードさんにまとわりついていた靄をすべて捕獲し、結界を縮小していく。その状態を維持したまま、俺は側近の男性を呼んだ。念のため持ってきていた回復薬の瓶を渡す。


「今のうちにこれをシグードさんへ。空き瓶は俺に返して下さい」

「は、はい」


 狼狽えながらも回復薬を受け取る。さすが支部長の側近だけあって、自らの動揺を抑え込み、淀みない手つきで回復薬を飲ませていく。


 空き瓶を受け取った俺は、そこに結界ごと黒い靄をねじ込んだ。瓶の中が不気味な黒に染まる。しっかり蓋を閉めると、室内の空気が心なしか軽くなったように感じた。


 それから俺はシグードさんの枕元に立って、再びギフテッド・スキルを解放した。


「【神位白魔法】」


 ここのところ何度も世話になっているスキルだ。慎重に、かつ素早く癒やしの力をシグードさんの身体に浸透させていく。

 黒い靄が剥がれたことで、支部長の顔に血色が戻っていた。眉間の深い皺が緩んでいる。それでも、こけた頬と首筋が痛々しかった。

 寝息が穏やかになったところで、俺は額の汗を拭い、枕元から離れた。


「とりあえず、これで容態は安定するはずです」

「ああ……よかった……!」


 受付嬢が大きく息を吐く。側近の男性も手近なソファーに深く身を沈めた。


 グリフォーさんが俺の前に立つ。その大きな手で俺の両肩を握ると、頭を下げた。


「ありがとう、イスト。友人として、心から礼を言う」

「グリフォーさん。今朝も言いましたよ。礼はいらないと」


 苦笑する。いつもなら笑みを返してくれるグリフォーさんは、固い表情のまま俺から離れ、寝台の傍らにひざまずいた。やつれたシグードさんの手を握り、一度だけ、ぎゅっと力を込める。


「アレがボスを苦しめていた奴か」


 グリフォーさんはテーブルの上に置かれた瓶を見て、躊躇いなく手に取った。受付嬢や側近の男性が慌てる中、内部の様子にじっと目を凝らす。おもむろに、俺を手招きした。


「見ろ。黒い靄が瓶の中で一定の方向に流れている」


 俺も瓶の中身に目を細める。確かに、狭い瓶の中で流れが起こっていた。その方向は、先ほど黒い靄が逃れようとした壁面に向いている。


「どうやら、元凶のところへ戻ろうとしているらしいな」

「なら、俺が行って調べてきます」


 瓶を取ろうと伸ばした手を、グリフォーさんはやんわりと拒んだ。彼は小瓶を自らの懐に入れた。


「ワシが行く。お前はここに残れ。イスト」

「しかし」

「お前はワシらにとって切り札だ。いざとなったら街や皆を守れるのはお前だ。ワシがそう信じられるのもお前だ」


 静かで淀みのない口調だった。気付けば側近や受付嬢も俺を真剣な瞳で見つめている。

 ふいに、グリフォーさんが表情を崩す。


「なに、心配するな。何もひとりで行こうってわけじゃない。冒険者仲間を連れて行くさ。魔王クドス事件からこっち、暇していた連中だからな。ちょうどいい仕事さ」

「グリフォーさん……」

「ワシだって駆け出しの新人じゃあない。これがどれほど危険な任務かは理解しているつもりだ。ワシはあくまで、この気味の悪い靄の正体を確かめるだけ。無茶はしない」

「……わかりました」


 俺はうなずいた。ここで彼を信じないのは、逆に失礼だと思った。

 だから代わりに伝える。


「グリフォーさん。先日、気になる情報を聞きました。真偽は不明ですが、もしかしたら今回の事件、『大地の鯨』も絡んでいるかもしれません」

「お前と初めて会ったときに遭遇した、あのデカブツか」

「もし敵対するとなれば、危険度はさらに上がります。十分に気をつけて」

「わかった。肝に銘じておこう」


 グリフォーさんとすれ違う。

 扉の前で彼は一度立ち止まった。顔だけ振り返る。


「イスト。ボスが目覚めたらお前から進言しておいてくれ。ゴールデンキングを調査するように、とな」


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