140.キエンズの感謝
今日の営業活動を一通り終え、俺たちはグリフォー邸に戻った。いつもの場所にレーデリアの鉄馬車を停める。ゴーレムから鉄馬車へ、まさに変幻自在だ。
実はちょっと心配していたのだ。アヴリルの炎にさらされて、ちゃんと鉄馬車に戻れるのだろうかと。杞憂だった。御者台が焼けた鉄板にならなかったし、荷台の中のエルピーダ孤児院もまったく無傷であった。大したものである。
御者台から降りて背伸びをしていると、ルマがススッと寄り添ってくる。
「お疲れ様でした、イスト様」
「ん? ああ、ルマたちもお疲れ。今日はこれで終わりだから、ゆっくり休んでくれ」
「はい。では湯浴みまでご一緒します」
「繋がりがおかしい」
「疲れを溜めがちなイスト様のために、勉強したのですよ。いろいろと」
「聞いて?」
ルマという子は相変わらず……。
そしてこの流れになると必ずと言っていい騒ぎが――。
「ルマさん! ずるいですよ一人だけ!」
ほら来た。
一日働きづめでもまだまだ元気が余っている様子のフィロエが、いつものように憤然とルマに食ってかかる。
助け船を出してくれたのは、これまたいつものメンバーだった。
「フィロエ。馬鹿言ってないで、行くわよ」
「姉様。湯浴みなら私と一緒に入ろうよ」
アルモアとパルテがそれぞれ引っ張っていく。俺は心の中で二人に礼を言った。いつもすまんね。
「さて。俺はもう一仕事するかね」
荷物袋から一本の瓶を取り出す。しっかり封をした中には、地下水路で採取したあの発光植物の花がある。持ち運びやすいよう、わざわざアリャガの人たちが手頃なサイズの瓶を用意してくれたのだ。
今の時間なら、キエンズさんはあそこかな。
『あ、あのう』
「ん? どうしたレーデリア」
歩き出した俺の後を、人型レーデリアがちょこちょこと付いてくる。少し背中を丸めて歩くものだから、実際の背丈よりも小さく見える。
長い前髪に半分ほど隠れた顔には、照れ笑いが浮かんでいた。
『えへ。えへへ……』
「ずいぶんご機嫌じゃないか。何かいいことでもあったのか?」
『あ、いや、えへへ。そのう、今日はマスターがいっぱい庇ってくれたなって』
庇う?
ああ、そうか。各ギルドへ営業したときに、レーデリアのことをよろしく頼みますって頭を下げてたことか。レーデリアらしい捉え方だ。
けど、それで喜んでくれているってことは、ちゃんと俺の気持ちは伝わっているようだ。
レーデリアがこの街で生きやすいようにしてやりたい――俺はそう思っているってこと。
「言っとくが、お前はミスなんかしてないからな。むしろ、俺の期待以上の働きをしてくれてる。だからこそ、ギルドの皆の反応も上々だったんだ。よくやったなレーデリア」
『あわわ……』
俺は苦笑した。
「お前も休んでいろ。明日もあっちこっち回るんだからな」
『あ、我なら大丈夫です。ぜんぜん』
首を振りつつ、ずっと付いてくるレーデリア。まあいいかと俺はそれ以上何も言わなかった。
やがて、一軒の平屋小屋が見えてくる。
あれがキエンズさんの新しい研究施設だ。
元々はただの物置だった場所だが、グリフォーさんの厚意でキエンズさんが使えることになったのだ。館の一室にコテコテの研究室を作るのは、いかにグリフォーさんでも許可できなかったらしい。それで物置小屋を一軒丸ごと改装して明け渡すのだから、やはりあの人の懐は大きい。俺も見習わないと。
ちなみに、改装作業にはエルピーダの子どもたちの活躍もあったようだ。院長として鼻が高い。
窓から明かりが見えた。どうやら在室のようだ。
扉の前に立ち、ノックする。
「キエンズさん。イストです。ちょっとよろしいですか?」
反応がない。もう一度呼びかけると、「あっ、どうぞ!」と慌てた声がした。
中に入る。
二週間という期間からはちょっと想像ができないほど、雑多な設備や実験器具が並んでいる。確か、実家に保管していたものを引っ張り出してきたと聞いた。
すっかりくたびれた格好になったキエンズさんが、実験用の瓶を片手にこちらに駆け寄ってきた。
「いや、申し訳ありません院長。少々、研究に夢中になっておりまして。気付くのが遅れました」
「お気になさらず。研究というのは、『幻のキノコ』についてですか?」
「ええ!」
子どものように目を輝かせるキエンズさん。
「まったく、あのキノコは素晴らしい! 調べれば調べるほど新たな発見があります。まずですね、ぴったり一定量を維持するように増殖を繰り返す仕組みなんですが――」
饒舌になりかけたところをやんわりと制する。本当、没頭すると一直線な人だ。
でもそのおかげで、幻のキノコに秘められた効果の一端がわかってきたのも事実である。話が長かったので俺も一部しか覚えていないが、要するにどんな薬にも使える万能の素材であるらしい。それが半永久的に採取できるのだから、改めてとんでもないものを手に入れたと思う。
我に返ったキエンズさんは照れくさそうに頭を掻いてから、やおら表情を引き締めた。
「院長。改めて、お礼を言わせてください。あなたがいたおかげで、私はこうして本来の研究――薬学に集中できる。ギルドの利益のためではなく、大切な人たちのために自分の知識を活かすことができる。これほど幸せで、恵まれたことはありません。本当に、本当にありがとうございます」
「顔を上げてください、キエンズさん」
彼が、心から感謝の言葉を述べているのが重々伝わってくるから、俺は短く応える。
「あなたが仲間になってくれて、俺も嬉しいです。助かっています。ありがとう」
「相変わらずですな、院長」
身体を起こしたキエンズさんは柔らかな笑みを浮かべていた。
それから彼は、改めて来訪の意図を聞いてきた。俺は手にしていた瓶を差し出す。
「実は、キエンズさんに見てもらいたいものがあって。今日、営業先で見つけたものなんですが」
「ほう。どれどれ……なっ⁉」
一転、目を見開いたキエンズさんは瓶に取り付く。かと思うと、短く悲鳴を上げて手をどける。まるで沸騰した湯に触れたときのように。
「い、い、イスト院長! これをどうして……どこで手に入れたのです⁉」
ただならぬ様子に、俺は表情を引き締めた。事情をつまびらかに話す。
一通り聞き終えたキエンズさんは、慎重な手つきで瓶を受け取り、作業台に置く。それだけのことに額に汗をにじませていた。
俺は彼の隣に立った。
「教えて下さい、キエンズさん。これは一体、何なのです?」
返事は一拍置いた後だった。
「これは通称『
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