141.徒花の向こう
日が傾いてきた。窓からさし込む光が弱まり、床の陰が濃くなる。
キエンズさんの言葉で、室内が重々しい空気をまとっていく。
「
俺は眉をひそめた。
確か、徒花は実を付けない花のことだったはず。転じて、外見が華やかなだけで中身が伴わないものの喩えになったとか。
これをゴールデンキングが作ったというなら皮肉なことだが……あのアガゴがそんな無駄なことをするだろうか。
地下水路では種を見かけた。徒花の意味とこの点でも食い違う。
いったいどういうことだろう。
「もちろん、通称ですので実際の効果とは異なります」
俺が疑問に思っていることを察して、キエンズさんが補足する。
彼は片眼鏡の位置を直した。レンズ越しに鋭い視線で徒花を見据える。
「この植物は、自ら実を作らない代わりに、別の生き物を取り込んで種に変える習性を持つのです。獲物があって初めて意味を持つ――ゆえに徒花と通称されるようになりました」
なるほど、と首を振りたいところだったが、ちょっと待ってくれ。
「別の生き物を取り込む? この植物が、ですか?」
「ええ。私が『タチの悪い』と申し上げたのは、まさにその習性ゆえです」
キエンズさんは説明した。
徒花はゴールデンキングの実験室で作られた新種の植物で、まだ正式名称がない。おそらく公的な名前は付けられないだろうとキエンズさんは言った。
元々、『罠』の一種として開発されたものらしい。人間が対峙するには危険で凶暴な魔物でも、この徒花を使えば、人的被害を出すことなく、その魔物の力を凝縮した素材――すなわち種を手に入れることができるという。
その効果をより確実に発揮するため、徒花には特定の対象を強く惹き付け、誘い出す匂いを発するように改良が加えられてきたらしい。
なるほど。そういうことなら、あのアガゴが徒花を生み出そうとした理由がわかる。自らの権威のため、より強い力を効率的に集める。奴の考えそうなことだ。
「キエンズさん。徒花が罠であるならば、地下水路に生えていたものは何をおびき寄せようとしていたのでしょうか」
俺の問いかけに、キエンズさんは顎に手を当てて考え込んだ。しばらく無言の時間が流れる。重たくなった空気に、レーデリアがオロオロと左右を見ていた。
「……人間」
「え?」
「イスト院長。これは私の推測なのですが……この徒花、人間の力を集めるために作られたのではないでしょうか」
部屋の中をゆっくりと歩くキエンズさん。
「ギルド・アリャガの反応を聞くに、花の香りは忌避感と同時に酩酊感を与えるものだった。一方、実際に現場に立った院長たちエルピーダの方々は酩酊感……意識がぼんやりする感覚をより強く覚えた。地下水路に生えていた徒花は、一般人や力の強くない人間に対しては弱く、イスト院長のように力の強い人間には強く反応する臭いを発していた……そう考えると、この花が作られた意図はまさしく『人』、つまり才能を持った人間たちを種に変えて集めるためではないか、と」
「なんですって……!」
「まだ確たる証拠はありません。分析を進める必要があります。ただ……まさかこれほど早く、実用化までこぎつけるなんて」
キエンズさんの額に汗が浮いている。それはそうだ。素人の俺にも、キエンズさんの推測が当たっていたときのヤバさはわかる。
ゴールデンキングの研究者でいたころ、キエンズさんは徒花の存在を耳にしていた。実際にサンプルも見た記憶があるという。けれどまだ試作段階で、実際に完成したという話はなかったらしい。もちろん、部署主義が激しいところだから、隠蔽されていた可能性は否定できないが。
「それでも、これほど劇的な効果を持ったレベルまで仕上げるのには、まだまだ時間がかかるはずだった。いや……そもそも、人間を取り込む花など、そんな怖ろしいものを生み出すなんて信じられない……」
キエンズさんの顔に浮かんでいるのは、恐怖だろうか。
俺は静かに言った。
「ですが、ゴールデンキングなら。アガゴなら、そんな考えを持っているのかもしれません。あるいは……その先に何か別の目的があるのかも」
「ああ、なんてことだ」
落ち着きなく部屋の中を歩き回るキエンズさん。
――こうなると、地下水路なんていう人目に付かない場所に徒花を広めたのも、徒花を人知れず成長させるためじゃないかと思えてくる。植えたのはおそらく、アリャガに短期間在籍していたという元ゴールデンキングの者。
何を企んでいる、アガゴ。
俺たちがなんとかしなくては。
『あ、あの』
そのとき、レーデリアが控え目に手を上げた。俺もキエンズさんも、嫌な思考に沈みかけていたところで我に返る。
「ああ、すまんレーデリア。俺はもう少しキエンズさんと話しているから、お前は戻ってていいぞ。その身体になってから、皆で一緒にワイワイできるようになったんだろう? せっかくだから楽しんで――」
『い、いやその。わ、我もゴミ箱ながらちょっと思ったことがあって。我自身にも、身に覚えがあるので……お伝えしたく』
珍しい。俺はレーデリアと向かい合った。続きを促すと、彼女は勇気を振り絞ったように言った。
『人間の強い力を好むのは……魔王の特徴です。なので……この花は魔王のために作られたのではないかと……。もしかしたら、この街のどこかにいる、魔王のために』
元魔王の彼女だからこそ、その言葉は俺たちの耳に重く響いた。
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