133.おとうさんと幼子は呼んだ
それから俺は、メイドさんの厚意で作ってもらったサンドイッチを腹に収め、水場で身体の汚れを落とした。
「ここ、大規模な修理でもするのかな?」
水場に隣接して大きく張られた幕を横目に見てつぶやく。昨晩から寝ずに動いてきたツケはまだ身体の芯に残っているものの、とりあえず周りの様子に目を向けられる余裕はできた。
着替えている間、食堂から子どもたちの賑やかな声を聞いた。こちらに帰ってきてからずっと、レーデリアが質問攻めにされているのだ。
ちなみに、至聖勇者の鉄馬車は館の玄関横に停められたままだ。どうやら本体である人型は、鉄馬車からある程度離れて活動が可能らしい。
新しい服に着替えて、自分の頬を張る。
「よし」
「気合いが入ってるわね」
声に振り返る。俺を待っていたミテラが、背中を預けた壁から離れてこちらにやってきた。
笑顔である。
もう一度確認。物凄い、笑顔である。
「あの、ミテラ……さん?」
「なあに?」
「怒ってらっしゃる?」
「どうして?」
笑顔が怖いからとは口が裂けても言えぬ。
「と、とりあえず。ちょうどよかった。一緒にグリフォーさんのところへ行こう。昨晩のことを改めて報告しないと」
「ねえイスト君」
進路を塞がれた。
「レーデリアちゃん、凄くスタイルが良いと思わない? 私よりも」
「……」
「レーデリアちゃん、凄くスタイルが良いと思わない? 私よりも」
「……あ、いやまあ。あの子が新しく手に入れた身体だし、俺がとやかく言えるものでは」
「レーデリアちゃん、凄くスタイルが良いと思わない? 私よりも」
三回言われた。もう泣くしかない。
ミテラの笑顔が、ようやく収まる。笑顔が消えて安心するなんて彼女でしか味わえないだろうな。
「はい、冗談は終わり。本当に心配したんだから」
「悪かった……」
「謝ることじゃないでしょ。さあ、気持ちは切り換えた? 付いてきて。あなたも顔を見せてあげて欲しいの」
そう言ってミテラは、グリフォーさんの執務室とは別の部屋へ案内する。
ごくごく控え目なノックをしたミテラに続き、室内に入る。扉脇に立っていたグリフォーさんが無言で手を上げ労ってくる。
ミテラやグリフォーさんが気を遣っている理由はすぐにわかった。
部屋の隅に設えられた寝台に、小さな男の子が横になっていたのだ。ゴールデンキングの地下施設で監禁されていたスノーク少年である。かたわらには疲れた様子のキエンズさんもいた。
「イスト院長……!」
俺に気付いたキエンズさんが立ち上がって頭を下げてくる。俺は「座ってください」と言った。彼の目に刻まれた濃い隈が痛々しかった。
枕元に立つ。スノークは薄目を開け、浅い呼吸を繰り返していた。意識は戻っているようだが、ひどく苦しそうだ。
「昨晩、救出いただいてから魔法で外傷は治療できたのですが……ずっとうなされていて」
キエンズの赤く腫れた目にさらに涙が溢れる。
「目を覚ました後もこのように苦しそうなのです。私、見ていられなくて……」
俺はミテラを振り返った。彼女は無言で首を横に振った。ミテラがそのような反応をするなら、出来る手は一通り打って、それでもなおこの状態なのだろう。
グリフォーさんが口を開く。
「おそらく、心の問題だろうよ。身体の傷は癒えても、心の傷はそうはいかん。まったく残酷なことをする連中だ」
抑えた口調に悔しさが滲んでいた。俺も、同じ気持ちである。
スノークの顔に浮かんだ汗を拭ってやる。ゴールデンキングの地下施設で、研究者たちがこの子に対して行った仕打ちを思い出す。
怖かっただろう。苦しかっただろう。
今、この場所も安全なのか、きっと不安にかられている。
その気持ち、少しでも和らげたい。
俺はスノークの小さな手を握った。
「……サンプル発動。ギフテッド・スキル【神位白魔法】」
スキルによって練り上げられた、上位の治癒魔法をかける。彼の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
俺は瞑目した。集中する。
「さらに――サンプル発動。ギフテッド・スキル【精霊操者】」
今度は、室内を漂う精霊へと意識を向ける。アルモアが従える大精霊、そして猫精霊のホウマがいるこの館は、通常の建物よりも精霊の力が濃い。
俺は目を開ける。少年の瞳が大きく見開かれていた。
「わあ……」
仰向けのスノークから漏れた感嘆の声が、空中に溶け込む。
彼の視線の先で、色とりどりの精霊の光が踊っていた。俺の意志に呼応して集まってくれた者たち。ひとつひとつは小さく力が弱くても、たくさんの精霊たちが繰り広げる華やかで、温かさを感じさせるダンスは、今このとき、スノーク少年の心に癒やしを与えてくれるはずだ。
果たして、スノークの顔にゆっくりとだが笑顔が戻った。
きれい――と少年はつぶやく。後ろではミテラも同じ感想を漏らしていた。
スノークと目が合う。俺は目を細め、頬を緩めた。
「もう大丈夫。ここにはお前を怖がらせるものはないよ。だから、安心してお休み」
「うん……」
小さな手がぎゅっと俺の手を握り返してくる。
「ありがとう……
面食らう俺をよそに、スノークは目を閉じた。間もなく、規則正しい寝息が聞こえてくる。
起こさないようにそっと手を離す。するとキエンズさんが、頭を下げるだけでは満足せず、その場に跪いた。
「院長。なんと、なんと礼を言えば良いのか。この恩は返そうと思っても返しきれません。どうかこれからも、あなたの側で働かせてください」
「キエンズさん」
「はい」
「……キエンズさんって……何歳ですか?」
「え? に、二十九ですが。それが何か?」
ぽん、とミテラが肩に手を置いてくる。
「同じ二十代じゃない。……ギリギリだけど」
「俺、お兄さんより年下なのに『おとうさん』かあ……」
複雑。
いや、わかってるんだ。スノークに他意はなくて、純粋に俺を慕ってくれたってことは。それは嬉しい。とても嬉しい。
けどなあ。おとうさんかあ。うーん。ううー……ん。
「イスト院長。その、よければこの子の呼び方を許してあげてくれませんか。スノークは顔をよく覚えていないほど実父と疎遠なんです。この子がおとうさんと呼んだのはあなただけだ。どうか」
「顔を上げてください、キエンズさん。ちょっと驚いただけですから」
苦笑して、スノークの頭をそっと撫でる。
「孤児院の院長として、未来ある子の心を救えるなら本望ですよ」
「あなたという人は、なんて高潔な……!」
感極まった様子で、キエンズさんは俺の手を握った。
頃合いを見計らったように、ミテラが再び俺の肩を叩く。今度は少し強めに。俺は立ち上がった。
「キエンズさん、俺たちは先に失礼します。何かあったらすぐに呼んでください」
「は、はい」
兄弟を残し、俺は部屋を出る。ミテラとグリフォーさんも一緒だ。
「さて」
二人の視線が、いつもより鋭い。俺は彼らの瞳に、一抹の不安が混ざっているのを見た。
「少し、話をしましょうか。あなたが身につけた力について。レーデリアも呼んで、ね」
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