129.【天眼】のメッセージ


 ふふふ。くすくす。

 ノディーテはひとりで満足そうに――幸せそうとさえ言える様子で――笑っている。


『なんて気持ちいいんだろう。こんな感覚、初めて』

「ノディーテ……?」

『ん? なあにイっち』


 まったく邪気のない微笑み。俺は圧倒された。ようやくのことで、「ありがとう。助けてくれて」と頭を下げる。

 するとノディーテは目元を拭い、何度か深呼吸した。そして俺の肩を気安い感じで叩く。


『さ、次はイっちの番ね。


 彼女の視線の先を追う。

 大聖堂奥の祭壇から、突如黒い球体が生まれた。最初は小さかったそれは、爆発的に体積を膨らませて大聖堂の内部全体を覆う。


『頑張ってね』


 漆黒の空間に包まれ、ノディーテの姿が見えなくなる。

 今度こそ、五感が完全に遮断された。

 何も見えない。聞こえない。感じない。

 自分が立っているのか倒れているのかも、目を開けているのかどうかもわからない。

 熱さも寒さもない空間。ただ、ここには空気の重さがあった。心の奥を締め付け切なくさせる、そんな感情がこの漆黒の空間に充満していた。


 ふと、闇の中に光点が生まれる。あちらでも。こちらでも。それは瞬く間に全方位へ広がる。

 光点のひとつが、ひとりの美しい女性の姿を取る。漆黒に浮かび上がる白い裸体が近づいてくる。


『マスター』


 レーデリアの声で、その女性はささやく。

 彼女には、表情がなかった。


『さあ、我と一緒に行きましょう。我とマスターはひとつになるのです』


 彼女の名前を呼ぼうとしても、声が出せない。


『マスターの身体、心、力、命……すべて我のものです』

『そうです』

『マスター』

『ここからは逃げれられませんよ』


 気がつけば、何人もの女性が俺の周りを取り囲んでいた。自分が目を開けているのかもわからない中、彼女らの姿は頭の中に直接刺さり込むように鮮烈な光を放っていた。

 気を抜けば、人格ごと吸い取られてしまうかのような錯覚。気が遠くなる。


 俺は意識を強く保った。誘惑に抗う。

 聞こえるのは確かにレーデリアと同じ声。ノディーテが言っていたように、『所有欲』が彼女の本質ならば、この甘い誘いも理解できる。


 だが、それが本当にレーデリアのすべてとはどうしても思えなかった。

 空間全体に漂う切ない空気の重さ。


 いる。

 きっといる。

 今は魔王としての自分が表に出ているだけ。俺が、俺たちが知っているレーデリアの心はこのどこかにきっといる。自分自身に怯えて、縮こまり、見えないほど小さくなってしまっている。


 悔しいな。すぐに見つけてあげられないなんて。


『マスター』

『マスター』

『マスター……』


 今、見つけるから。

 ちゃんと話をしよう。

 そのために必要な力を、今こそ使おう。


「ギフテッド・スキル発動――【天眼】」


 今度ははっきりと自分の声が聞こえた。

 身体の中心から力が四方に広がっていく感覚。

 対象のあらゆる特徴、本質について天からのメッセージを受け取ることができるギフテッド・スキル。果たして――。



《対象者レーデリアの『核』への道を表示します。

 現在の状態。魔王として急激な覚醒による自我半崩壊。身体に刻まれた魔王の力に『核』が深刻な拒絶反応を起こしています。

 対象者へ『リブート』が使用できます。

『リブート』が成功した場合、状態を改善し対象者を新たな存在に生まれ変わらせることが可能です。

 ただし》



 ――漆黒の闇を光の道がまっすぐに照らす。その先には小さく美しい結晶が浮かんでいた。

 俺は感覚のない手足を必死に動かした。まとわりつく女性たちを振り払い、光の道に乗る。途端、四肢の感覚が戻ってきた。足裏がしっかりと床を蹴り、俺の身体は結晶へと進んで行く。


「レーデリア……!」


 声が戻っていた。自分でも笑えるほど震えていた。

 結晶を胸に抱きしめる。


「見つけた」


 万感の思いを込めてつぶやいたとき、漆黒の空間が夜明けの空のように消えていった。

 俺たちは大聖堂の中央に立っていた。半壊した内部もそのままだ。


『おかえり』


 ノディーテが変わらない口調で言った。


『さすがだね。これで終わり……というわけでもないのかな?』

「まだ、ちゃんと伝えられてないよ」


 なあ、レーデリア? と声をかける。

 ややあって、遠慮がちに結晶から返事があった。


『……マスター。我は……我は……』

「いいよ。皆まで言わなくていい」

『申し訳、ありません……』


 俺はレーデリアの結晶を両手の上に乗せた。すると、控え目な光を放っていた結晶の周囲を再び黒い影が覆った。手のひらサイズの、黒い箱に変化する。

 箱は細かく震えていた。中からレーデリアの声がする。


『我は……本当はこの暗い場所から出たい。マスターや、皆と一緒にいたい。けれど……魔王として目覚めてしまった我がこの歯車の世界から出てしまえば、どうなるかわからない……。怖いのです。また皆さんの命を吸い取ってしまうのではないかと……』


 常日頃から自らをゴミ箱と卑下したレーデリア。

 今、手の上にあるこの箱は、彼女の不安と自己否定の象徴だと思った。

 箱の中に、彼女の本当の心がある。


『マスター、教えて下さい。我はどうすればいいのでしょうか……?』


 箱が震えている。この先、どのように未来へ進んでいけばいいか見失っている。

 俺は箱の蓋をゆっくりと撫でた。


【天眼】により授かった天のメッセージを思い出す。

 その最後の一文――。



《ただし『リブート』に失敗した場合、現在の空間ごとあなたも消滅します》



 俺は微笑んだ。


「お前は生まれ変わるんだ、レーデリア。そしてこれからもずっと、皆と一緒に生きていくんだ」

『マスター……』


 俺はレーデリアと、リマニの滝壺で主従の契りを結んだときのことを思い出す。


「いいかい? これは最初で最後の、俺の命令だ。生きるんだ、レーデリア!」

『ああ……はい!』


 黒い箱の中から感極まった声がした。すぐ後ろからは「いいなあ」というノディーテのつぶやきを聞いた。


 俺は微笑む。

 そうだ。

 家族が幸せに生きていけるなら――本望だ。


「ギフテッド・スキル【覚醒鑑定】、追加効果『リブート』――発動」


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