128.魔王が見せた表情
「危ない!」
俺はとっさにノディーテを抱えて後方に走った。すぐ横にきょとんとした魔王少女の顔がある。
『イっち。ウチは魔王だよ?』
「ああそうだったな!」
半ば叫ぶように応える。
距離を取ってノディーテを降ろした。そして振り返る。
天井から降ってきたのは鉄のゴーレムだ。これまで見たものと比べてだいぶ小さいが、おびただしい数が次から次へと落下してくる。
ゴーレムはすべて、祭壇の巨大ゴーレムの元へと向かっていた。見上げるほどの巨体に取り付いた途端、小さな鉄人形たちは巨大ゴーレムと一体化する。それにともない、祭壇の巨大ゴーレムの身体はさらに大きく膨れあがった。
『イっち』
ノディーテが俺の裾をつかむ。
『もうちょっと後ろに下がろうか』
そのまま強い力で引っ張られた。
次の瞬間、大聖堂の両壁から土煙が舞った。
巨大化したゴーレムがその太い両腕を振り上げ、拳を壁に叩き付けたのだ。
それだけでは収まらない。巨大ゴーレムは立ち上がるなり、床をたたき壊す。砕けた長椅子の欠片をひっつかみ、明後日の方向に投げつける。模様ガラスが次々と弾けていく。
俺は戦慄しながらその光景を見つめていた。
暴走。
圧倒的な暴力で、自らの居場所を完膚なきまでに破壊しようとしている。
ハッとして壁を見た。
エルピーダの日常を描いた壁画が、今まさに飛んできた大きな瓦礫で見えなくなる。子どもたちの笑顔が俺の視界から姿を消した。
大聖堂全体が不気味に揺れ始めた。
『レーちゃん、だいぶ限界だね。このままだと、ウチらごとこの空間が壊れちゃうね』
砂埃混じりの風を平然と受けながらノディーテが言った。
彼女の声と横顔からは、恐怖を微塵も感じない。それどころか、どこかワクワクするような輝きすらあった。
巨大ゴーレムと目が合う。こちらに一歩踏み出してくる。
ノディーテが、その細い手を俺の二の腕に添えた。
『ねえイっち。レーちゃんを助けたいの?』
地響きの中でも、魔王少女の声はしっかりと届いた。
『どのくらい強く? ねえ、教えて』
そんなもの、決まっている。
子どもたちの壁画を見たときに改めて誓ったんだ。必ずレーデリアを、エルピーダに連れ帰ると。
臆病でネガティブなあの子が、エルピーダでの日々に喜びを感じていたのなら。
俺がすべきは、再びレーデリアを明るい世界に連れ出すことだ。
巨大ゴーレムがさらに近づく。もはや孤児院の建物ほどの大きさとなった拳を、俺たちに向かって振り下ろす。
「サンプル発動! ギフテッド・スキル【絶対領域】!」
あらゆる障害を退ける結界と巨大な拳がぶつかり合った。
押し勝っている。けれど巨大ゴーレムは構わず拳を突き出し続ける。拳の表面にヒビが入るのを見た。
『ねえ! どのくらい強く想っているの? 強く、強く、イっちが想っていることを、ウチに聞かせてよ!』
ノディーテが熱のこもった言葉を吐いた。
彼女に言われるまでもなく、俺は叫んだ。
「レーデリア! お前は俺にとって大事な家族だ! お前にはもう帰る場所がある! ひとりじゃない、ひとりにさせない! そう思っているのは俺だけじゃない。フィロエも、アルモアも、ミテラも、ルマもパルテも――エルピーダの子どもたちだって、お前が帰ってくるのを待っている! だから」
【絶対領域】が巨大ゴーレムの拳を弾く。
「もう苦しまなくていい! お前だけが苦しむことなんてないんだ、レーデリア! お前が何者だろうと関係ない!」
声の限り、叫ぶ。
「帰ろう。皆のいる場所に、帰ろう!」
崩壊に負けない音量で、俺の言葉が大聖堂に響き渡る。
巨大ゴーレムの動きは――止まらなかった。
大聖堂の破壊に向かっていた拳が、今度は
そのとき。
苦しむレーデリアを前にして、魔王少女が密やかに笑った。
『ふふ、ふふふ……』
「何がおかしいんだ、ノディー……テ……⁉」
俺は怒りの言葉を意図せず飲み込んだ。
彼女の頬は紅潮していた。いつの間にか全身から魔力が陽炎のように湧き上がっている。近づくだけで火傷しそうな凄まじい力の渦。
『すごいね。すごいよイっち。イっちの気持ちってこんなに強くてビリビリ来るんだね。あは、あはは……!』
「何を、言ってるんだ」
『あのねイっち。あのデカブツはレーちゃんを縛っている葛藤そのものだよ。アレをまずぶっ飛ばさないと、レーちゃんに言葉は届かない。イっちにはある? アレを一撃で吹っ飛ばす力』
大きく見開かれたノディーテの目。この場には不相応なほど生き生きと瞳が輝いていた。
それはまるで、命令を待つ忠犬のような。
『どうする?』
「……」
自傷行為を続ける巨大ゴーレム。あまりにも巨体であるため、余波を受けた大聖堂が再び崩壊の震動を始めた。
俺は拳を強く握りしめた。今ここで有効な手を打てない俺は、やはり伝説の冒険者なんかじゃない。勇者なんかじゃない。
だからこそ。
「
『ふふ』
直後、陽炎は光の爆発と化した。
眩い輝きの中、ノディーテのガントレットが彼女を遙かに上回る大きさに変化する。
『力を貸してくれ、だね。
地響きが、刹那、収まった。
『レーちゃんのモヤモヤ、この魔王ノディーテが吹っ飛ばす!』
目を潰すような光圧が大聖堂全体に押し寄せた。
五感が麻痺する。音が遠のく。平衡感覚が狂ってよろめく。唯一生きていた触感が光の温かさを感じ取っていた。
どのくらい経っただろう。
カラン、カランと瓦礫から小石が落ちる音が耳に届く。視界が少しずつ像を結ぶ。深呼吸をして、顔を上げる。
――巨大ゴーレムは消滅していた。
大聖堂は無事である。
つまり、ノディーテの一撃はあの巨大なゴーレムだけをピンポイントで消滅させたのだ。
何という、とてつもない威力か。凄まじい精度か。
ガシャンと音がして、隣を見る。ノディーテのガントレットが元の大きさに戻っていた。
至高の一撃を放った魔王少女は、恍惚とした表情でつぶやいた。
『これが……イっちの願いを叶えるために働くこと』
うっすらと涙すら浮かぶ瞳がこちらを向いた。
『なんて、快感』
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