127.壁画の絆


 俺たちのところまで広い一本道。道の両サイドには大きな歯車や鉄管が張り巡らされている。

 逃げ場はない。

 鉄のゴーレムは合わせて二体。ゆっくりとこちらに近づいてくる。床が踏み抜かれるのではないかと思うほどの重量感だ。


 深夜の疲労感が緊張で吹き飛ぶ。

 連想してしまった。かつて、各地で目にした魔王クドスの。髑髏の顔。あのゴーレムたちがクドスの欠片とダブって見えてしまった。

 歯車の回転する音が、心なしか高く速くなった気がする。


 近づいてくるゴーレムの一体が、手にした獲物を高く振り上げた。もう一体は俺を鷲づかみにするように手を伸ばしてくる。

 襲ってくる。だけど――。

 迎え撃つために短剣を構えるものの、俺は次の行動に移れなかった。


 ここはレーデリアの結界内。彼女が創り出した世界。そこへ攻撃することにはためらいがあった。


 やがて鉄のゴーレムたちは俺たちの数メートル先まで接近し――そこで足を止めた。しばらく睨み合う。


『戦わないの? イっち』


 ノディーテが首を傾げて聞いてくる。だらりと両腕を下げ、まったくリラックスした様子だ。


「ここは……レーデリアの中なんだ」


 回りくどい俺の答えにノディーテは『仕方ない』とつぶやいて、前に出た。ゴーレムの攻撃範囲に無防備に近づく。


『ウチが相手をする。次はちゃんと命令してね、イっち』


 ガントレットを掲げる。それに反応した一体が、大剣をさらに大きく振りかぶる。

 そのとき。残った一体が意外な行動を取った。

 今まさに武器を振り下ろそうとしたゴーレムの腕をつかんだのだ。

 まるで「攻撃はやめろ」と言っているかのように。


 次の瞬間、二体のゴーレムの表面にヒビが走った。そしてあっという間に二体とも崩れ去ってしまったのだ。自壊、としか思えない光景だった。


『あらま』と拍子抜けした様子のノディーテは言う。


『ゴーレムもまともに統制できないなんて、レーちゃんだいぶぐちゃぐちゃしてるみたいだねえ。こういう精神状態、人間だったら何て言うんだっけ。ええと』

「……葛藤」

『そうそう、それ』


 俺はゴーレムの残骸を手に取った。先が鋭く尖った破片を、指の先でこする。

 ノディーテが言ったとおり、ゴーレムの自壊がレーデリアの『葛藤』にあるのだとしたら。


「レーデリアには、理性がまだ残っているのかもしれない」


 俺は続けた。


「『所有欲』が暴走した意志と、それを止めたいと思う意志。ふたつの気持ちがせめぎあっているんじゃないかと思う。二体のゴーレムが、それぞれ正反対の行動を取ったのがその証拠だ」

『へえ……』


 どことなく感心したようにノディーテがつぶやく。


 もし、俺の直感通りなら――。

 崩れ去ったゴーレムは、そのままレーデリアの苦痛と苦悩の表れであるはずだ。

 あの子なら、何かにつけてネガティブに考えてしまうレーデリアなら、自分で自分を傷付けるのも厭わないだろう。


 ……俺のせいだ。

 魔王として覚醒し、この結界にこもる理由を作ったのは、この俺だ。

 もっと早くレーデリアの異変に気付いていれば。

 ゴールデンキングの地下施設で、レーデリアに庇われるようなヘマをしなければ。


 ゴーレムの欠片を胸に抱く。

 悔しさと後悔でうずくまる俺の背中を見て、ノディーテは一言、感想を漏らす。


『イっちもレーちゃんも、シンプルに考えるのが苦手なんだね』


 シンプルに、か。

 そうかもしれない。

 ふう、とひとつ息を吐く。


「急ごう。レーデリアを救うんだ」

『りょーかい』


 レーデリアがいるであろう最奥部を目指し、俺たちは駆け出した。


 ――やがて鉄の道から、石造りの橋に出る。空は暗く、橋の下も底が遙か彼方で見えない。

 橋の先は巨大な聖堂に繋がっていた。

 正面扉は見上げるほどに高く大きい。手を触れると、まるで薄紙が風で流されるようにスムーズに開いた。

 奥から、草の匂いをふわりと乗せた風が流れてくる。


 正面奥、祭壇の上にこれまで見た中で最大の巨大ゴーレムが鎮座していた。ゴーレムは膝を抱えるようにして座り込んでいる。まるで塞ぎ込んだレーデリアのよう。

 巨大ゴーレムは、俺たちが大聖堂に足を踏み入れても動き出す気配がなかった。


「レーデリア! いるのか、レーデリア!」


 大声で彼女の名前を呼びながら、大聖堂の中央に向かって歩く。

 床から五メートルほどの高さにある窓には、美しい色ガラスがはめ込まれ、模様を描いている。外は暗かったのに、模様ガラスからは眩しい光が差し込んでいた。整然と並ぶ長椅子を等間隔に照らしている。人影はない。


「あれは」


 レーデリアの姿を探すうち、俺は気になるもの見つけた。

 模様ガラスの下の壁、俺たちの目線の高さに、びっしりと絵が描き込まれていたのだ。

 俺の肩越しにノディーテが覗き込む。


『これ、何を描いてるの? たくさん人間がいるよ』

「ああ……」


 思わず声が震えた。

 壁面に描かれたもの――俺やフィロエたち、そしてエルピーダの子どもたちの姿だった。

 ひとつのテーブルを囲んで賑やかに食事をする俺たち。レーデリア内部の孤児院で水遊びをしたり、掃除や洗濯をしたり、勉強したりしている子どもたち。雄々しく武器を構え、モンスターに突撃していくフィロエらエルピーダの天才少女たち。

 いずれも、俺がこれまで目にしてきた、大切な家族の姿だった。


「レーデリア、お前……ずっと見てきたんだよな。俺たちのこと。家族として」


 この壁画は、俺たちそのもの。俺たちとレーデリアがこれまで培ってきた思い出と絆そのもの。

 やっぱり俺たちのことを忘れたわけじゃないんだな――改めてそう感じたら、目頭が熱くなってきた。手の甲で目をこする。


 ふとノディーテがつぶやいた。


『ここには人間たちの良い心の力が集まってるね』


 彼女はどこか心地よさそうに目を細めていた。


 それから大聖堂の最奥部、祭壇に近づく。巨大ゴーレムは座り込んだまま、やはりまったく動かない。

 ここまでレーデリアの姿は見なかった。なら、この巨大ゴーレムが彼女の居場所を示す重要なヒントになっているはず――。


 さらに一歩踏み出したとき、俺たちの視界に複数の陰が降ってきた。


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