126.歯車と鉄管の結界要塞
イっちのものになる――。
そう言ったノディーテは、するりと口端を上げた。目を細め、ニコニコという擬音がぴったりの笑みを浮かべる。
こんな風に笑いながら言える話ではない。
けれど彼女は本気だと思った。本気でそう言っているのだと直感した。
それでも。俺は言葉通りに受け入れることができなかった。
相手は魔王だ。クドスとは確かにタイプは違うが、人を超越した存在であることは分かる。さっきの台詞ひとつ取っても、そうだ。
簡単に信じるわけにはいかない。俺はまだ、彼女のことをろくに知らない。
だけど――。
「ノディーテ」
俺は悩んだ末、こう言った。
「俺に……力を貸して欲しい。レーデリアを救えたら、それで
『貸し借り、かあ』
ニコニコ顔だったのが、あからさまにがっかりしたものに変わる。
『その言い方、なんだかつまんないな。信じてもらえてないじゃん。イっちのものになるってきっぱり言ってるのに』
俺は応えなかった。ノディーテは不満そうな顔をしていたが、やおら腰に手を当て鼻を鳴らす。
『よしわかった。じゃあウチがイっちの役に立つこと、全力で教えてあげる』
直後、彼女の身体から凄まじい勢いで魔力が噴き上がった。目で見ることができて、肌で感じることができるほどの圧。『力が弱まった』なんて、とんでもない。
『ウチの魔力でレーちゃんの結界に穴を空ける。そこから中に入ろう』
「君もついてくる気か」
『もちろん。絶対にね。レーちゃんばっかりじゃなくて、ウチも見て欲しいから』
圧が一段階強くなる。
俺は腹を決め、自分自身に【障壁】をかけた。フィロエの真似だ。ノディーテの魔力から身を守るため。そしてレーデリアの結界内でも活動できるようにするために。
内心で自嘲した。魔王ノディーテを信じ切れないと言いつつ、彼女が結界を貫けると確信して準備している。どこまでお人好しでお気楽なんだと嘲る自分がいた。
それでも。やることは変えない。
必ずレーデリアを連れ戻す。
ノディーテのガントレットが変形した。スリムな砲身に変わる。砲口へ、膨大な魔力が集まっていく。
枯れ木の枝がそこかしこで折れて宙を舞い、聖なる滝の水が不規則にざわめいた。
大砲と化したガントレットを、漆黒の結界に向ける。
『おじゃまします!』
至近距離からの、超強力な魔力弾。夜の闇が滝壺の周りだけ一気に払われる。
眩しさに腕で庇を作りながら、俺は砲撃の行方を見逃さないよう目を凝らした。
結界はわずかな抵抗ののち、ノディーテの魔力弾を受け入れた。ガラス窓を叩き割る音がして、漆黒の結界に大きな穴が空く。
いまだ魔力の輝きが消えない中、浮かれた声が俺の背中を押した。
『さあ、行こう!』
俺はうなずき、レーデリアの結界内に足を踏み入れた。
漆黒の空間に視界が覆われたのは、ごくわずかな時間。
固い地面に足裏がつく。近くに設えられているらしいランタンの明かりが、闇をぼんやりと払う。
「な……!」
片耳を押さえながら辺りを見回した俺は、思わず声を漏らす。
――レーデリアの結界内部は、巨大な歯車と鉄管が張り巡らされた異空間だったのだ。
ウィガールースの工房よりももっと大規模で、雑然としている。歯車は暴力的な勢いで回転していて、見ていると恐怖すら感じた。通路を囲む壁の頑強さや、小窓からわずかに見える断崖絶壁から、まるで山岳地帯に建てられた堅固な要塞のように思えた。
普段のレーデリアの怯えたイメージとは違う。硬質で威圧感のある光景。
『おー。ここがレーちゃんが引きこもっている空間だね。こんな風に創れるなんて、器用なもんだ』
ノディーテが隣に立つ。俺と違ってまったく動揺していない。むしろ楽しそうですらある。
彼女はすぐ近くの鉄管をじっと観察した。ノディーテが手を触れると、そこだけ薄い緑色に発光し、すぐに消える。なるほどなるほど、とひとりでつぶやいていた。
「ノディーテは、その管に何があるのかわかるのか」
『だいたいね。この中には生命力や魔力が通っているんだよ。そして鉄管は四方八方に伸びてる。歯車は力を循環させるイメージなのかなあ。何だかいろいろとごっついのは、自分の殻に閉じこもっちゃった結果なんだろうね、きっと』
振り返る。
『ここを見る限り、レーちゃんは力を溜め込んで運用するタイプなんだね。さしずめ『所有欲』ってところかな』
「なんだって? どういうことだ」
ノディーテは目を瞬かせた。
『あれ、イっち気付いてなかったんだ。これだけ魔王の近くにいるから、てっきり知っているんだと思ってた』
「だから、何をだ」
『魔王ってね、みーんな何かしらの強い欲とか衝動が核となって存在しているんだよ』
思い当たるところがない? とノディーテが尋ねてくる。
――そういえば、あの魔王クドスは『虚栄心』を持っていた。
ノディーテの言葉が正しければ、レーデリアの核となるのは『所有欲』――何かを、誰かを手にしたい、手元に置いておきたいという欲求。
クドス戦後、あのネガティブの塊だった鉄馬車がずいぶんと積極的な子に変わってきたのは、もしかしてそこに原因があったのか。
魔王クドスとレーデリアに共通点が存在する――そう考えるのが、辛かった。
ノディーテとともに、鉄でできた床を歩く。あることに気付いた。
隣を歩くノディーテから足音がしないのだ。
ちゃんと靴を履いてる。歩幅にはズレがある。にもかかわらずひとり分の足音しかしない。
魔王の持つ力。俺は内心で肩を震わせてから、努めていつもどおりの口調で聞いた。
「いろいろと詳しいんだな、ノディーテは」
『むふふ。まーねー。こう見えて知識にはそこそこ自信あるよ』
「ちなみに……ノディーテが一番やりたいことって、何なんだ?」
『んー』
しばらく考えている間も、彼女は俺の横顔から視線を外さない。
『秘密。でもすぐわかると思うな』
そしてなぜか、頬を膨らませた。
『というかさ、ウチとしてはイっちにはわかって欲しかったんだけど』
意味ありげな視線を寄越す。
『イっち自身で気付いて欲しい。ウチのこと』
「……期待しないでくれ」
『いーえ。めっちゃ期待してるから。イストならそのすべてに応えてくれるって信じてる』
言葉通り期待に満ちた目に、俺は戸惑った。
そこへ、歯車が噛み合い回転する音とは違う何かが聞こえてきた。重い。かすかに鉄の床がひしゃげる音まで耳にした。
やがて道の角から、足音の主が姿を現す。
大剣や棍棒で物々しく武装した鉄のゴーレムだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます