125.魔王の提案
魔王。人を超えた力を持ち、時に世の理すら操る、恐怖と混乱の象徴。
彼女が人ならざる存在であることには気付いていた。だが、俺は聞かずにはいられなかった。
「ノディーテ。君が……魔王、だって?」
『うん。そだよ』
あっけらかんと。
仕草、表情ともに一切の凄みはなく、むしろ少し嬉しそうに。
まるで『いきなり訪れて驚かそうとした旧友』のような気楽さで。
隙だらけな言動に騙されてはいけないと思った。彼女は言ったのだ。レーちゃんに『我を殺して』と頼まれたって――いや、待て。
レーデリアが殺してと頼んだ? 自分で?
魔王と名乗る少女に?
『別にウチは魔王の肩書きなんてあんまり大事じゃないし。そんな深刻な顔しなくてもいいよイっち。ウチには肩書きよりももっと大事なことがあるもんね。……あれ。ねえ? 聞いてる?』
顔を上げた。ノディーテを改めて視界に捉える。
後ろ手に回し、こちらを見つめてくるノディーテ。
俺は大きく深呼吸した。驚愕と動揺をできるだけ押し殺す。「悪い」と一言謝ると、ノディーテはにっこりと笑った。
「教えてくれノディーテ。どうしてレーデリアが、君にそんなことを頼んだんだ。その、魔王を名乗る君に」
『それはアレだよ』
動悸がした。俺は自分で尋ねながら、その答えをすでに持っていることを思い出す。
『レーちゃんもウチと同じ
「レーデリアも、魔王……か」
『あれ。あの子のことはあんまり驚かないんだね。もしかして気付いてた? レーちゃんが魔王だってこと。さすがイっちだね。あ、ちなみにあの子が魔王ってわかったのは、ウチの魔王としての直感! 名前は、さっき教えてもらったんだ。『殺して』ってお願いされたときに。まあそれはどうでもいいか』
「茶化さないでくれ」
『茶化してないよ。褒めてる。心から。ちゃんとレーちゃんのことを見てたんだねえ。いいな』
指先を口に当てるノディーテ。
『今まさに、レーちゃんは魔王として目覚め、力を暴走させている状態なんだよ。普通の人間にはまず止められない。だからウチを頼ったのはまあ、理解できるんだ。初めて会ったとき、レーちゃん、ウチのこと薄々気付いてたみたいだったし』
それから彼女は、枯れ木が目立つ周囲をぐるりと見回した。
『けどねえ、今のウチって力が弱っちゃってるんだよね。ここの水に長く浸かり過ぎちゃったからさ。殺すって言ってもレーちゃんクラスだともう完全に全力! って感じじゃないと無理かなって。そうなったら、この辺りの森ごと吹っ飛ばしちゃう気がするんだよね。もしかしたら近くの街までぶっ壊してしまうかも。だから断ったんだ。ごめん無理って』
俺は眉間を揉んだ。
魔王が環境破壊や人間への被害を心配している。たぶん本心から。
でも全力を出せば殺せるとも言ってる。魔王らしく。
そしてこんな状況でも明るさを失わない。
……やはり感覚が人間と違う。
『そしたらレーちゃん、『だったら自分が引きこもる』って言い出して。止めたんだけど、ちょうどそのときにイっちがやってきちゃって。レーちゃん慌てたみたいだね。あんまり意味ないのにな』
「意味がない? どういうことだ」
『だって、このまま放っておいてもレーちゃんの能力が消えるわけじゃないもの。さすがにさっきよりはゆっくりだろうけど、いつか周りの生命力や魔力を吸い尽くしちゃうんじゃないかな』
俺は目を伏せた。
ウィガールースの守衛が倒れていたこと。リマニの森の一角が枯れてしまったこと。
それと同じようなことが、これからも続く。拡大していく。このまま何もできなければ。
予想以上の事態に立ち尽くす俺の前を横切り、ノディーテは漆黒の球体の前に立った。
『おーい、レーちゃーん。そんなことしても意味ないから、出ておいでよー。イっちも心配してるぞー』
気安く呼びかける。だが、球体からは何の反応もなかった。俺を振り返ったノディーテは苦笑しながら肩をすくめた。
『やっぱダメだこりゃ。レーちゃん意外と頑固な子。まあでも、きっと大丈夫だよ。何年かすれば、さすがに不安になって出てくるよ。ウチと一緒に気長に待と?』
「そんなことはできない」
脳裏にはレーデリアの表情が焼き付いている。何かを言おうとして、胸の内に気持ちを押し込んだ、あの辛そうな顔。
この場所で、初めてレーデリアに出逢ったときも彼女は辛そうだった。
あの子は、俺たちに迷惑をかけるくらいなら死を選んでもおかしくない。
辛い気持ちを抱えたまま、ひとり寂しく朽ち果てるまできっとこのままでいるつもりだ。
そして――その行動がさらに被害を拡大するだけだと知ったとき、レーデリアは深く絶望するだろう。
そんなこと、俺はさせない。させたくない。
「サンプル発動、ギフテッド・スキル【閃突】!」
持っていた短剣で、漆黒の結界にスキルを放つ。
だが神速の突きから生まれた光の刃は、結界表面であえなく霧散した。
俺は諦めず声を張り上げる。
「レーデリア! 返事をしてくれ、レーデリア! 俺はお前を見捨てたりなんかしない。迷惑だなんて思わない。お前は俺たちに必要なんだ。どうか出てきて、話をさせてくれ。お前の辛い気持ち、一人で抱え込まないでくれ」
必死になって訴える。
だがそれでも、反応がない。
俺の声は――この奥に届かないのか。
歯を食いしばる。
「どうしたらいいんだ」
横目で俺を見ていたノディーテは、おもむろに漆黒の結界を撫でた。
『こうなったら、直接中に入って言葉を届けるしかないんじゃないかな』
「直接、中へ。そうか、それなら」
『でもね』
眦を決した俺に、彼女は水を差す。
『曲がりなりにも魔王が作った結界。人の手では壊せないと思うな』
ノディーテは俺に正面から向き直った。ゆっくりと左手を自らの胸に当てる。
『だから提案』
夜の闇に、どこか恍惚とした瞳が浮かび上がった。
『ウチを支配の呪いから解き放ってくれたお礼に、ウチ、イっちのものになってあげようか? そうすれば、この子を救えるよ』
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