124.見捨てることはあり得ない


 俺はウィガールースの街を出て、街道を走っていた。

 本来ならばこのような時間帯、衛兵がそう簡単に外へ出してはくれなかっただろう。

 だが今日は見咎められることなくすんなりと通過できた。


 なぜなら――俺が門にたどり着いたとき、衛兵たちは物陰で休んでいたからだ。立ちくらみか、目眩か。とにかく立っているのも辛そうな様子で座り込んでいた。

 曲がりなりにも大都市ウィガールースを守る人々だ。生半な鍛え方はしていないはず。通常任務で身体が悲鳴を上げるなど普通はあり得ない。


 まるで――何者かに力を根こそぎ奪われてしまったかのように、不自然な姿。


 俺は彼らを横目に、門の外へ飛び出した。衛兵はこちらに気付いた様子がなかった。

 今は足を止めていられない。心の中で謝罪しながら、俺は全速力で目的地へ急いだ。


 そして今に至る。


「サンプル発動。ギフテッド・スキル【縮地】!」


 景色が一気に流れる。

 馬車よりも速く、鳥よりも速く。

 耳に響く風切りの音で鼓動が高鳴る。


 レーデリア。

 お前なのか。

 あの衛兵たちの疲労困憊は、お前が原因なのか。

 人間の力を奪い取る。そんな能力がお前にあるのなら。

 もしかしてお前は、魔王クドスと近い存在だったのではないか――。


 月明かりの下に、エルピーダ孤児院跡が見えてくる。俺は荒れた息を一度整え、再び走る。足を動かせば動かすほど、巨大な不安の沼に引きずり込まれていく感覚になった。


 孤児院跡からほど近く、リマニの森に差しかかる。

 俺はまた足を止めた。

 目を凝らす。


 数日前には瑞々しい葉が梢を彩っていた。だが今、深夜の暗がりにうっすらと浮かび上がるのは、痛々しい枝先のみ。

 一番手近な木に手を触れる。指先を立てて、軽く引っかく。

 乾いた音を立てて、外皮が剥がれた。


「枯れている……」


 視線を巡らせる。

 滝壺へと続く新しい道の両側が、同じように枯れ木で埋められていた。

 これも、普通ではあり得ない。


「レーデリア」


 俺は唇を噛んだ。大きく深呼吸した。

 脳裏に、ここ数日の彼女の声が、姿が浮かぶ。

 別れ際の、辛そうな表情が浮かぶ。


 ああ。そうか。

 あの子は理解していたのだ。自分の力を。人々の、生き物の力を吸い取ってしまうことを理解していたから、あのときあんな辛そうな顔をしたのだ。


 逃げた理由。

 レーデリアならきっと、誰にも迷惑をかけないようにひとり隠れて生きようとするだろう。

 我には何の価値もない、むしろ害悪だ――そう考えて。


「待ってろ。今行く」


 あの子を見捨てることはできない。俺にはできない。

 それに、まだ手遅れではないはずだ。この先の美しい滝壺に、俺とレーデリアが初めて出逢った場所に彼女が向かったのなら、きっとまだ、チャンスはある。

 覚悟を決めろ、イスト・リロス。


 幹と枝ばかりの並木道を走る。走る。

 そして――。


「レーデリア!」


 見つけた。

 リマニの滝壺。そのほとりに佇む、黒髪の美しい女性。前髪で半分以上隠れた目元、そこから覗く辛そうな、寂しそうな瞳。


 レーデリアは俺の姿を認めると、何かを喋ろうと口を開きかける。だが結局言葉は聞けなかった。彼女は強く頭を振ると、膝を抱えてうずくまった。

 直後、彼女の周辺に夜空よりもさらに黒い霧が現れる。霧はどんどん密度を増し、レーデリアを包み込んでいく。


 俺は駆けた。


「待ってくれ! レーデリア!」


 呼びかけも虚しく、彼女の元にたどり着いたときには、霧は完全に漆黒の球体と化してレーデリアを呑み込んでしまった。

 表面を叩く。まるで手応えがなかった。

 けど、この中にいるのは確かなのだ。諦めず、声をかける。


「レーデリア、レーデリア! 返事をしてくれ、レーデリア!」

『呼びかけるだけじゃムダだと思うよー』


 別方向からかけられた声。俺は振り返った。

 滝壺の傍らに腰かけ、両足首を水面に付けた少女。月明かりでもわかる赤髪のツインテールが、こちらを振り向いた拍子にひらりと踊る。


『やっほ。また会えたね、イッち』

「君は……ノディーテ」

『あは。嬉しいな。名前覚えててくれたんだ』


 どこまでも楽しそうなノディーテ。初めて話をしたときと変わらない、人懐こさを感じさせる笑み。友好的な口調。

 彼女は、レーデリアが漆黒の球体に呑まれる様を見ても、平然としていた。


 ぱしゃぱしゃ、と水と戯れるノディーテ。他に物音はない。そよ風が梢を揺らす音すら聞こえない。俺は自分の呼吸が少しずつ速く短くなっていくのを感じていた。

 できるだけゆっくりと、一言一言区切るように尋ねた。


「君は、ここで何をしている。レーデリアに、何があったのか、君は知っているのか」

『んー。何してるかって言われたら、そうだなあ。ずっとイッちを待ってた、かな? あとはさ、ここで水浴びしてたら、もしかしたらになれるかも、ってね。あはは。ちょっと恥ずかしいね、こうやって口にすると』

「……」

『そんでー。はアレだね。結界だよ。きっと【空間拡張】の応用。器用だよね。まあ、根本解決にはならないんだけどね』


 レーちゃん……レーデリアのことか。

 あはは、と暢気に笑うノディーテに俺は向き直った。


 ――彼女は今、【空間拡張】と言った。

 俺だって【覚醒鑑定】を使わなければ知らなかった、レーデリアのスキル。ノディーテはスキルの存在も、その効果も、用途も、理解していた。


「ノディーテ、君は」


 唾を飲み込む。全身を巡る血液が勢いを増す。手に汗がにじんだ。


「君は……何者だ?」


 俺の問いかけに対し、彼女は――、


。魔王ノディーテ。さっきレーちゃんに『我を殺して』って頼まれたんだ』


 そう、朗らかに答えた。


 

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