122.制裁、しかし


「お前たち、今すぐ」


 扉を蹴破った足で、室内に踏み入る。

 大の大人が五人いた。全員の視線が俺を向く。

 沸騰する感情のまま、言葉を叩き付けた。


「今すぐその子から離れろッ!!」


 走る。ルマも走る。

 突然の侵入者から怒鳴られ、敵は完全に気を呑まれている。


 そう敵だ。

 何の罪もない少年に、何をしようとしていた。こいつらは!

 釘を喉に刺す?

 研究機材の動力源にする?

 死ぬまで鳴き続けろ?


 ふざけるな。

 ふざけるんじゃない、お前ら!


「な、な、なんだ貴様――」

「シッ!」


 鋭い呼気とともに、予備の短剣を振るう。

 男が手にしていた釘を弾き飛ばす。

 鋭く固い釘は天井に突き刺さった。男が青くなる。


「イスト様。これを」


 早くも一人を昏倒させたルマが、金属の棒を投げてくる。隅に転がっていた機材の一部であった。

 金属棒を受け取る。短剣を収め、両手で構える。


 切っ先を向けられた男たちは、その場に立ち尽くした。何かを叫ぼうとしていたが、口を開いたままただパクパクと呼吸するだけ。


 一人一撃だ。


「覚悟」


 踏み込んだ。


 ――勝負は速やかに付いた。あっけなくと表現するのも馬鹿らしい。

 打撃で気絶した男たちを、ルマが部屋の隅で山にする。彼女らしからぬ乱暴な手つきだった。


「そこで自らの行いを悔いなさい。この下衆げすどもが」


 げっこうが収まっていない。初めて見る姿だった。

 俺は椅子に縛られていた少年を解放した。ずいぶん痛めつけられたのだろう。傷に障らないよう、できるだけそっと固定を外しにかかる。


 口の拘束具を取り外すと、少年は俺を見上げた。

 その瞳の中に底知れぬ絶望がくすぶっていることに気付いた俺は、少年をゆっくりと抱きしめた。

 汚れで固まってしまった髪を撫でる。そうしていると、次第にこの子の身体に血が巡っていく。嗚咽が漏れ始めて、俺は内心で少し安堵した。

 心が完全に壊れる前に、救い出せてよかった。


 やがて泣き声が落ち着いてきたところで、俺は少年から身を離す。

 目線を合わせ、ゆっくりと、静かに尋ねた。


「スノーク、だね」


 こくりとうなずく。俺は笑った。


「君のお兄さん、キエンズさんから頼まれた。助けに来たよ」

「……キエ兄、が……?」


 兄の名前を聞き、大きな瞳にまた涙が溢れる。

 よく見ると、愛らしい顔付きの男の子だった。キエンズさんには悪いが、とても兄弟とは思えない。

 確か、腹違いの弟とキエンズさんは言っていた。

 こんな子が弟なら、それは護りたくなるだろう。


 同時に。

 こんな子の身体を傷付けて実験台にするなんて、ここの者たちはどんな精神をしているのだろう。


 ちらと振り返る。この部屋にいた大人たちは部屋の隅に積み上げられている。傍らにはルマが立っている。

 彼女は俺を見て小さく拳を握る仕草をした。

 やりましたね、イスト様――というところか。

 でも、まだ安心するのは早い。


「スノーク、おいで。一緒にここを出よう。お兄さんが待ってる」

「……うん」


 小さな手が伸ばされる。

 そのとき――。


「くがぁぁぁあっ、我々の研究を邪魔するなあッ!」


 振り返る。

 突然目を覚ました男の一人が、懐から黒いつの状のものを取り出し、俺に向けた。


「ふんッ!」


 すかさずルマが顔面を蹴り上げ、再び男を昏倒させる。


 が。

 黒い角の効果は生きていた。

 角の形が崩れた瞬間、漆黒の炎と化して俺に向かってきたのだ。


「わぁっ!? きゃうっ」


 驚いたスノークがバランスを崩し、椅子から倒れ落ちる。

 一瞬、俺の意識は少年に向いてしまった。


「イスト様ッ!」


 ルマの警告で再び顔を炎に向ける。


 ――やべえ速い!


 すでに眼前。

 俺は両手を広げ、炎から少年を庇った。無意識だった。


 衝撃は――来ない。


 熱さも感じない。


 胸元を見る。

 レーデリアの漆黒の鎧が、迫り来る炎を残らず吸収していた。

 乾いた地面に消える水滴のように、漆黒の炎はあっという間に消えてなくなった。


 俺は止めていた息を吐き、肩の緊張を解く。


「ありがとうレーデリア……助かったよ」

「イスト様! 大丈夫ですか!?」


 ルマが駆け寄ってくる。俺はうなずき、「レーデリアのおかげだよ」と答える。「さすがレーデリア様ですね」とルマも褒めるが、相変わらずレーデリアは反応しない。

 俺とルマは顔を見合わせ、肩をすくめた。


「スノーク。大丈夫か、立てるか?」


 彼はしっかりとうなずいた。証明するように自分の足で立つ。

 だがこれまでの仕打ちのせいか、足許は少し覚束ない様子だった。

 速やかな脱出のため、俺はスノークを抱っこしようと手を伸ばした。


『……も』

「ん、どうしたレーデリア」

『もう……ダメ……』


 小さく。

 だけど切羽詰まったレーデリアの声。


 直後、着ている鎧から煙が吹き出した。あっという間に部屋に充満する。

 何が起こったのか理解できず、俺はスノークとルマを庇いながら身を低くした。


 漆黒の煙は、まるでそれ自体が意志を持っているかのように渦を巻く。

 その中に、奇妙な光が混じっていることに気付く。

 赤、黄、紫。濃さも輝きの強さもバラバラな光の粒が、渦に乗ってどこかから吸い寄せられている。


 漆黒の煙の軌道はさらに複雑になる。

 そんな中、不意に俺たちの周囲だけぽっかりと煙が晴れた。


「イ、イスト様!」

「どうしたルマ」

「レ、レーデリア様が。レーデリア様がいなくなられています!」


 反射的に手の平を胸に当てる。

 着慣れた服の感触。

 何度触っても、あの滑らかで温かな鉄の感触がない。


 ざわり、と背筋が震えた。

 感じ慣れているようで、まったく未知の気配。直感。


 いまだ視界を遮る漆黒の渦へ目を凝らす。


「……!」


 出入口付近。

 煙の合間から、ふわりと舞う漆黒の髪が見えた。


 時間が引き延ばされる。


 髪の艶やかさ。次いで二の腕の白さ。すっきり通った鼻梁と横顔。黒い布をこれでもかと強烈に押し返す胸。引き締まった腹部。おろし立てのクッションのような豊かで柔らかそうな太股。

 魔性の美貌を秘めた女性が、そこに居た。


 横を向いてる彼女の表情、はっきりとは見えない。

 しかし。

 俺は直感をそのまま、言葉にした。


「レーデリア、なのか?」


 果たして、彼女は振り向いた。


 ――もしレーデリアが人間だったなら。

 いつぞや想像した通りの泣き顔がそこにあった。


「レーデリア!」


 俺は叫ぶ。

 だが彼女は答えなかった。

 そのまま、レーデリアはどこかへと走り去ってしまった。


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