117.後悔と罵倒の研究者
灰色の炎と、そこから生まれる痛ましい悲鳴が、巨大な塊となって迫る。
「イストさん!」
仲間たちの声。俺は全身を硬くした。
しかし、怖れていた事態は起こらない。
灰色の炎は、まるで大地に浸透する雨水のように、漆黒の鎧に吸い込まれていく。
レーデリアが、炎を取り込んでいるのだ。
物凄い勢いで炎は吸われていき、急速に小さくなっていく。最後の一欠片を吸い込み終わるまで、ものの一分とかからなかった。
辺りに、安堵と戸惑いと衝撃が入り交じった沈黙が降りる。
「レーデリア。凄いぞ、よくやってくれた」
俺は胸元の鎧を撫でた。変わらず滑らかで、どこか温かい感触であった。
「大丈夫か?」
『……はい。マスター』
それだけ答えるレーデリア。いつものネガティブな反応すらない。かなりキツそうだ。「ありがとう。少し休んでろ」と言って、俺はしばらく彼女をそっとしておくことにした。
それから、傍らにへたり込む男性に声をかける。
「あなたも。大丈夫ですか。怪我は」
「……私を、助けてくれたのか? なぜ」
信じられない、といった表情で男性は俺を見上げた。
手足に小さな擦り傷、倒れ込んだときに付いた埃汚れがあるくらいで、火傷は負っていないようだ。やはり、灰色の炎はただの燃焼ではなかった。俺は短く息を吐き、凝り固まっていた身体を緩めた。
細工の施された片眼鏡、日焼けを知らないやや青白い顔、膝まである白衣。
姿から、実験室詰めの研究者といったところか。
答えを不安そうに待っている彼に向かって、俺は言った。
「あなたが『助けてくれ』と訴えたからですよ」
「それ、だけ……? だが! だが、私は……っ」
研究者の男性は震える手で顔を押さえた。
「狂戦士化という怖ろしい研究に手を染めた……あまつさえ、多くの同胞がむごたらしい姿に変わってしまうのを止められなかった。私は、私はどうして」
呻く。しぼり出すように、言葉を吐く。
「どうして、助けを求めてしまったのだ……! あのまま死んでおくべきだったのに!」
「落ち着いて」
俺は彼の両肩に手を置いた。びくりと、まるで叱られたミティのような震えが返ってくる。
心に浮かぶまま、俺は男性に語りかけた。
「あなたが生き残ったことには、きっと意味があるんです。生きたい、死にたくないと思うのは自然なことですよ」
顔を上げた研究者に、ちょっと
「それに、そんなこと言われたら、せっかく必死こいて助けた俺の立場がないじゃないですか。あなたは俺の『助けたい』ってわがままを叶えてくれた。少なくとも俺にとっては意味あることだった。それでいいじゃないですか」
「……ああ。なんという」
それ以上は言葉にならない様子だった。
ふと、彼の隣にしゃがみ込む影が見える。フィロエだった。
「安心してください。そして喜んでください」
「え……?」
「この方、イストさんに助けられた人たちは、みんな幸せになれるんです。私が保証します。だってイストさんは、最高最強の冒険者なんですから!」
……なあフィロエ。
俺はお前の言葉に涙すればいいのかな。
それとも一言ツッコミを入れるべきなのかな。
結局黙って微笑んだままの俺を、男性は見上げた。目尻から流れ、煤と一緒に顔を汚していた涙を拭う。
「決めました。私は今日このときをもって、【ゴールデンキング】の研究から身を引きます。もう、こんな研究はしたくありません」
「よく言ってくれました! とりあえず私たちと一緒に行きましょう!」
目を輝かせて言うフィロエを、後ろからポカリと殴る少女。アルモアだった。
「なにひとりで話を進めてるの」
「え、だってイストさんが直々に助けた人ですし」
「どういう理屈よ」
「このまま放っておくワケにはいかないですよ」
「まあ、それはそうだけど」
アルモアが俺を見る。
俺は少し考え、うなずいた。この人をこの場に残しておけないのも、一刻も早くこの場を離れたいのも同意だ。
俺は男性に手を差し伸べた。彼は片眼鏡の座りを整えて、手を握った。
「改めて、ありがとうございます。あなたのおかげで助かりました。私の名はキエンズと申します」
「俺はイスト・リロス。孤児院【エルピーダ】の院長をしています」
「孤児院? で、ではイスト院長。ひとつお伝えしたいことが――」
声を潜めたキエンズさんに、突然、どこかから怒声が飛んできた。
「おい、なにを勝手なことを言っている! そんなこと許されるわけがないだろう!」
視線を巡らす。少し離れたところで様子を見ていた別の研究者だった。
彼に追従し、非難の声はどんどん広がっていく。
「このような失態を起こしておいて、ただで済むと思うな!」
「お前のせいでどれだけ時間と金が無駄になったと思っている!」
「お前のせいだ!」
「お前のせいだ!」
「すべてお前が悪い!」
……なんだ、これは。
ホールに反響する、キエンズさんを糾弾する声。声。声。この惨状をすべて彼ひとりに押しつけ、それを当然と信じて疑っていない。
なんだ、彼らは。なんなんだ、この場所は。
彼らの声に敢然と立ち向かう少女がいた。
「このギルドおかしいよ!」
フィロエだ。
彼女だけでなく、他のエルピーダの子たちも次々と反論する。
「イストがいなかったら、あなたたちも危なかった」
「惨劇を止められなかったのは、この場にいる皆様も同じではないでしょうか?
「ここのギルドマスターのことだもの。いくら責任を押しつけたって、どうせ連帯責任にされるんじゃないの? みっともない」
俺は思った。この場にミテラがいたら、頭を抱えていたかもしれないな。
彼女らの空気を読まない行動が、俺にはとても眩しく映った。
「さ、キエンズさん。行きましょう」
俺は哀れな研究者を立ち上がらせる。キエンズさんは力ない笑みを浮かべていた。
「彼らの言うこと……間違いというわけではありません」
「だとしても、ここにいるのはよくない。あの娘たちのためにも、一緒に来てください。せっかくあなたのために反論したのですから」
お話も、ここを出てから伺いましょう――そう小声で伝えると、彼はうなずいてくれた。
踵を返した俺たち。すれ違った研究者のひとりから、苦々しい口調で言われた。
「このことを外に漏らしたら、どうなるかわかるな?」
――
俺は研究者を振り返った。
「あいにく、脅しには屈しません。魔王クドスと戦ったときの方がよほど怖ろしかったので」
「あ……ぐ」
「では」
そう言って、俺たちは今度こそ地下研究施設を出た。
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