116.灰色の炎


 汗だくの顔。絶え絶えの息。かすれた声。

 誰がどう見ても、彼が本気で困っていることがわかる。


「火災現場はどこですか?」


 そう声をかけ、男性に駆け寄ろうとする。

 そこを、槍の冒険者に引き留められた。


「どこへ行く。あんたは部外者だろう。俺たちで十分だ」

「あの人の様子を見ただろう。ただ事じゃない。俺たちなら力になれる」

「さっさと帰ってくれと言っているんだ。もうこれ以上、うろちょろしないでくれ。見ないでくれ。頼むから」


 槍の冒険者は懇願してきた。俺たちの存在を忘れたがっているようにも見えた。

 だが――。


「助けてくれ、と言われたんだ。できることを、やる」


 俺は槍の冒険者の手を振りほどいた。

 エルピーダの少女たちに声をかける。


「皆も付いてきてくれ。お前たちの力が必要だ」

「……!」


 なぜか少し驚いた顔をされた。だけど理由を聞くのは後だ。


「現場までの道を教えて下さい」

「あ……あの通路を十メートルほど進んだら――」


 救助を要請した男性から簡単に道を聞く。疲労しきっている彼に道案内をさせるわけにはいかない。


「行くぞ」

「はい!」


 仲間たちを引き連れ、俺は通路を走った。

 その途中、フィロエが声をかけてくる。


「イストさん、ありがとうございます」

「どうした急に。お礼を言われるようなことをした覚えはないぞ」

「いえ。てっきりイストさんのことだから、私たちに先に戻れって言うのかと思って」


 俺は振り返る。嬉しそうな表情の彼女たちがいた。


「頼ってくれて嬉しかったです。私たちの力、存分に使って下さい!」

「フィロエ……」


 するとパルテが表情を引き締めて言った。


「それにさ。フィロエから聞いたんだけど、あんた、もう『サンプル』の回数がヤバいんじゃない? 一日四回まで、でしょ?」


 そうだな。

 ケラコル氷柱で今日分のギフテッド・スキルは使い切ってしまった。今の俺は、永続スキルを除いてギフテッド・スキルを使用できない。


「だからといって何もできないわけじゃない。いや、できることを探すんだ」

「そっか。そうよね、あんたにゃらそう言うわよね」


 安心したときに出るパルテの噛み癖。

 今の話に、安心できる要素があったのだろうか。


 雑談はここまでだった。

 角を曲がると、途端に騒がしさが増した。

 そこは複数の部屋と繋がったホールであった。

 地下施設の職員と思しき人たち、それから冒険者タグを下げた人たちが、皆、狼狽え立ち尽くしている。


 右手の部屋。

 大きな両扉がちょうつがいごと外れ、中から燃え盛る炎が立ち上っていた。

 しかし、この炎。一目見ておかしいと思った。


「色が……はいいろ?」


 揺らめき具合は紛うことなき炎。神様が着色を拒否したような、それによってこの世界から隔離されたような、強い違和感があった。


「なにか、聞こえる……」


 ふと、アルモアがつぶやく。彼女は見る見るうちに顔色を失っていった。

 直後、その意味を理解する。


 おおお……! 憎い……憎い……!

 あいつが。あいつがぁ……!

 これは私のものだ……誰にも成果は渡さない……!


「こ、これは」


 ――炎が、!?


 灰色の炎が揺らめくたび、怨嗟の声がホールにこだまする。

 人間のどす黒い感情をそのままぶつけられたような不快感。

 アルモアだけでなく、他のエルピーダの少女たちもすくみ上がった。

 そうか、ホールに集まった人たちが動けずに立ち尽くしていたのは、このせいだったのか……!


 そのとき、俺は灰色の炎が発する声の他に、はっきりとした意志を感じる叫びを聞いた。

「助けてくれ!」と。部屋の中からだ。


「イ、イストさん!?」


 俺は駆け出していた。

 身をかがめ、炎の下を潜るように入口に足を踏み入れる。

 直後、這々の体で炎から抜け出してきた男性と遭遇する。


「さあ、手を!」


 伸ばした俺の手を、男性はしっかりと握った。力を込めて引き寄せ、そのまま連れだって脱出する。


「に、人間が……炎に……!」

「喋らないで」

「負の感情の爆発的な増幅……精霊素材の投入が早過ぎたんだ。やはり、人間を狂戦士化する実験など間違っていたのだ……!」


 まだ事態を把握し切れていないのか、早口で独り言を繰り返す男性。

 気になる単語だ。狂戦士化? 実験?


 もうすぐ炎の範囲から抜ける。驚くほど熱さを感じない。むしろ寒気がする。やはりただの炎ではない。


「イストさん危ない!」


 フィロエの警告。

 頭上から、灰色の炎が襲いかかってきた。

 槍の穂先のように炎が細く収束し、突進してくる。


 憎いぃぃぃぃ――!


「クソッ!」

『やらせない』


 そのとき、アルモアの胸から降り立ったレラが、白く発光した。

 巻き起こる冷気の壁。

 槍の穂先となった灰色の炎は、凍り付いて固まった。

 俺は灰色の炎から無事、男性を連れて逃れた。


「ふぅ。助かったぞレラ!」

『むにゅむにゅ』


 あれは大精霊なりに胸を張っているのだろうか。見た目には天井を見上げて鼻をひくひくさせているようにしか見えない。


 安堵し和むには早かった。

 一際大きな怨嗟の声が響き渡ったかと思うと、氷の束縛を内側から突き破って、灰色の炎は猛りだした。

 今度は全方位に向けて炎の槍を放出しようとしている。


 フィロエたちは反応が遅れた。灰色の炎が放つおぞましい声に、まだ全身が射すくめられているのだ。

 一番早く動揺から立ち直ったフィロエが【障壁】を放とうとする。だが、うまくいかない。ケラコル氷柱で複数人に【障壁】をかけ続けていた疲労が、ここにきてのし掛かったのだ。


 このままでは全員呑み込まれる。

 俺はとっさにフィロエたちをかばった。


『マ、マスター……!』


 そのとき、胸元の鎧からレーデリアの声がした。


『ここは……我が』

「レーデリア!?」


 灰色の炎がまき散らされる。


 直後、炎の矛先が向きを変え、すべて俺の――正確にはレーデリアの鎧へと殺到した。


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