90.イスト・ヒストリー


 ――思わず、俺は長い息を吐いた。


六星水晶スタークオーツ級冒険者イスト・リロス……か」

「どうしたんですか、イストさん」

「いや。大それた肩書きをもらってから、もうはんつきも経つんだなと」


 入口近くの壁に貼られた公告文、その日付を見て、俺は感慨深くつぶやいた。隣のフィロエはこの話題を出すと、いつも嬉しそうに笑う。半月経つのに。


 ――俺とフィロエのふたりは今、ギルド連合会ウィガールース支部の資料閲覧室にいる。


 大都市だけあって室内は広く、蔵書が豊富だ。個室もたくさんあり、申請すれば使用可能である。とはいえ、閲覧制限のかかっている資料も保管されているので、誰でも自由に、というわけにはいかない。

 幸い、ある程度信頼されているようで、俺たちは個室のひとつをすんなり借りることができた。そこで大量の書籍と向かい合っているというわけだ。


 目的はひとつ。


「よし、再開しようか。勉強」

「はい! よろしくお願いします先生!」


 元気よく敬礼で答えるフィロエ。

 ここに来た目的。俺が教師役となり、フィロエにマンツーマンで勉強を教えるためだ。


 きっかけはアルモアの言葉。


『フィロエはもうちょっと勉強した方がいい。戦いだけじゃなくて、将来のためにも』


 耳が痛い。


 思えば俺は、フィロエに甘えてばかりだった。【エルピーダ】の子どもたちと年齢は変わらないのに、厳しい戦いの場にばかり引っ張り出してしまった。

 彼女にだって、学びの場は必要なはずなのに。

 それにだ。【エルピーダ】発足以来、フィロエにじっくり付き合う時間も持てなかったと思う。


 これはよい機会だ。

 この日のために、ミテラ先生の教えをみっちり受けてきた。教材も吟味してきたし、授業範囲も考えてきた。

 孤児院ではろくに戦力にならなかった教師――という汚名を、ここで返上しよう。


「じゃあ復習からだ。便びんらんの一六六ページを開いて。ここにさっきやった内容がわかりやすく整理されているから」

「はいっ! ……あぅ」


 分厚い本を開き、そこに並ぶ文字列を見た途端、くらり……と頭が揺れるフィロエ。

 最初の返事は元気なのだ。いつも。

 だけど肝心の授業内容に対しては、今のようにまいを起こすか、船をぐか、顔をしたまま凍り付くかの、いずれかなのである。


 ……もしかしてフィロエさん、ナーグやリギン以上に勉強が苦手でいらっしゃる?


 いや。決めつけはよくない。きっと俺の教え方がまだまだなのだ。彼女は頑張っている。その努力を認め、伸ばすことが俺の役目――。


「はい、イスト先生!」

「はい、フィロエ君」

「こんな昔の偉人を知ってるなんて、イスト先生は凄いと思います!」

「うん。ありがとう。でも俺が言いたいのはそういうことじゃなくてね」

「覚えやすくするために、また自分で名前を付けていいですか?」

「良……いぅーん……」


 ――力及ばない教師でゴメンなフィロエ。


 俺には歴史上の偉人に『にんじんごろごろ』とか『皮切りぴっかん』なんて人の枠をえた名称を付ける発想を適切に評価する言葉が思いつかないんだ。


 かりかりかり……ペン先が紙の上を走る音が続く。

 フィロエは額から汗を滲ませながら、ひたすら勉強にはげんでいた。

 成果はともかく、張り切っている。集中している。頑張っている。

 ならば俺がすべきは、全力でサポートすることだ。


 区切りのよいところまで書き終えたフィロエが机に突っ伏す。俺は彼女の頭を優しくでた。


「お前はよく頑張ってるぞ。フィロエ」

「えへへ。イストさんにめられた。だから私は頑張れるんです」


 顔を上げ、満面の笑み。俺も頬を緩めた。


「でも、やっぱりこの本にある歴史って難しいですよね。イストさんの歴史なら完璧に答えられるのに」

「ん?」

「イストさんヒストリー。答え合わせしてもいいですか?」

「なんだよそれ」


 身体を起こし、フィロエはひとつ咳払い。


「イスト・リロスさんは二一歳のとっても優しい色男さんです」


 ……いきなり恥ずかしい上にザックリとした説明だな。


「もともと【バルバ】っていうギルドの職員さんでしたが、ギルドマスターの見る目がなくて退職。小さい頃にお世話になっていた孤児院エルピーダを訪ねます。そこで運命的な出逢いをするのです! 生きることに絶望していたフィロエ・アルビィに差し出される力強い手、そして最高最強の力、【覚醒鑑定】!」


 握り拳。目をキラキラ。本当に楽しそうに語る。


 その後もレーデリアに出会ったときのこととか、エルピーダのみんなを助けたこと、ミニーゲルでのこと、ウィガールースでの暮らしのこと――等々、これまで俺たちが歩いてきた道のりを身振り手振り交えて話してくれた。

 こうして改めて言葉にしてみると、色々あったなあ。よく生きてたもんだ。

 魔王を倒したなんて、いまだにピンとこない。


「そういえばイストさん。【覚醒鑑定】についてなんですが」


 一通り語り終えて満足げに額の汗を拭ったフィロエが、ふと尋ねてきた。


「これだけたくさんのギフテッド・スキルを目覚めさせて、しかも魔王クドスまで倒したんです。私のスキルと同じように、イストさんの【覚醒鑑定】だって進化してるんじゃないですか?」

「む……」

「ぜひお話聞きたいです! なんたってイストさんのことですし!」


 身を乗り出してくるフィロエ。俺は頬をいた。


「確かに、クドスを倒してからスキルに変化があった」

「おお!」

「【覚醒鑑定】の追加効果『サンプル』。レベルが4に上がって、これまでストックした回数しか使えなかったのが、一日四回までなら自由な組み合わせで使えるようになった」

「おおっ! すごい!」

「それから、新しいギフテッド・スキル【てんがん】。対象のあらゆる特徴や本質について、天のメッセージを受け取ることができるスキルだ。魔王クドスを倒せたのも、このスキルを習得できたからだ」

「おおおっ! すばらしい!」


 説明ひとつひとつに驚いてくれるフィロエ。それからなぜか顔を赤らめ、胸元を隠す仕草をした。


「つ、つまり……イストさんの前では何もかも筒抜けということですね……? わ、私のその……アレとかコレとか」

「何を想像しているのかわからんけど……少なくとも変な使い道をするつもりはないからな?」

「え、そうなんですか?」


 なぜ残念そうにする。


 俺は表情を引き締めた。


「【天眼】は、あの魔王クドスの本質すら暴き、奴を消滅させるきっかけとなった。他の人間に……ましてや家族に使えば、どんな影響があるかわからない。それが怖ろしくてね。だから俺は【天眼】についてはできるだけ使わないようにしてるんだ」

「なるほど。やっぱりイストさんは優しいですね」

「そうかな」

「そうですよ。だから私、イストさんに相応しい騎士になれるよう、これからも努力していきますね!」

「そっか。ありがとな」


 本の束を抱える。そろそろ今日はお開きにしよう。

 借りていた本をフィロエと一緒に元の場所に戻していく。


「今日はいっぱいイストさんのことがわかって成果十分でした!」


 上機嫌のフィロエの後を付いて歩きながら、俺は苦笑した。勉強の成果じゃないのね。


 まあ――実を言うと。

 もうひとつ、【覚醒鑑定】に加わった新しい追加効果があるのだけれど。


「フィロエたちには意味のないものだから、いっか。おいおい、伝えれば」

「……? 何か言いましたかイストさん」

「いや、何も。さ、帰ろうか」


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