55.《スローライフ回》かつての職場が変わっていく


 それから俺たちは、ホウマとその仲間たちを引き連れ、再び旧バルバの建物に向かった。

 グリフォーさんから預かった合鍵を使い、室内へ。


 扉をくぐる瞬間――。

 一瞬だけ、かつてのやつれた自分の亡霊とすれ違った気がした。


 代わりに視界に映ったのは、散らかり放題の室内と、各々勝手に散っていく猫たち。それとアルモア――っておい。


「こらこら。そんなとこで寝ると汚れるぞ」

「もうじゅうぶん汚れてるからへいき」


 床に積み上げられた書類の山に、猫たちとともに寝転がる銀髪少女。

 幸せそうな顔しちゃって。まったく話を聞きやしない。


「ふふっ」

『ご機嫌だねイスト。どうしてだい?』


 器用に俺の肩に乗ったホウマがたずねてくる。

 俺は理由を言わず、ただ「君たちのおかげさ」と返した。


 その後、下見がてら猫たちとの触れ合いをまんきつした俺とアルモアは、ホウマたちと別れ、グリフォーさんの館に戻った。

 アルモアにとっても、俺にとっても、よい息抜きになったと思う。


 まあ、あれだ。

 服が汚れだらけになったことについてミテラに怒られてしまったのはごあいきょうといったところだ。


 そして翌日。

 今度はエルピーダの子どもたちを連れて、俺はもう一度旧バルバを訪れた。

 昨日建物を下見して、これは子どもたちのために使えると感じた俺は、メンバー総出で片付けをすることにしたのだ。


「もぉー、なんでオレがこんなことしなきゃなんないんだよセンセー……」


 ハタキを雑に扱いながらリギンがぶーぶー文句を言う。

 俺が何かを言う前に、このわんぱく小僧の後ろ頭をグロッザがいた。


「リギン。口より手を動かして。せっかくイスト先生が僕たちのために建物を用意してくれたのに」

「そーよー。将来、ここがアタシたちのお店になるんだから。今からちゃーんとキレイにしておかないと」


 普段はリギンに負けず劣らず面倒くさがりのステイも、今回ばかりはグロッザの味方である。

『自分たちの店』という響きが、ことのほか気に入ったらしい。


 このふたりの他に、とくに張り切っているのがもうひとり。

 エーリだ。


「イスト先生。この建物の見取り図とか、ある?」


 エルピーダの道具係はとても充実した表情を浮かべていた。

 俺はタオルで彼女の頬に付いた汚れをぬぐってから、書庫を指差す。


「それならあっちだ。一緒に行こう」

「うん」


 ――こんなふうに。

 旧バルバ内はとてもにぎやかだった。


 エルピーダの皆だけでなく、先日からここをねぐらにしはじめた猫たちもうろうろしている。俺たちと目が合うたびに、にゃーにゃーと鳴いて返事してくれる。


 精が出るね。

 ちょっとうるさいから上に行く。

 お腹いたー。


 猫たちはいつだって気ままだ。ただ、ホウマから俺たちのことを聞いているためか、皆友好的である。


「あー、アルモアおねえちゃんずるい。ミティもだっこするー」

「……隣、あいてる」

「やったー!」


 階段脇で仲良く猫をモフるふたり。

 あー、アルモアさん?

 めっちゃ気に入ってないですか、この新しい猫屋敷。


 ステイのおおざっな計画によると、1階を猫とくつろげるカフェにするらしい。もし完成したら、アルモアは1日中びたってそうだ。


 こんな調子だから、もちろん片付けなんて終わらない。

 ま、そうなるだろうと最初から思っていたがね。

 今日は建物のおくらいでじゅうぶんだ。


 俺は適当なところで掃除を切り上げた。ほこりだらけになった子どもたちの背中を押しながら、かつての職場を出る。

 今回はレーデリアも一緒だった。わーきゃー言いながら鉄馬車に乗り込む子どもたちを、ネガティブモンスターはまんざらでもなさそうな様子で迎えていた。


 俺は戸締まりを確認するミテラに声をかけた。


「そっちは大丈夫か」

「……」

「ミテラ?」

「ああ、ごめんなさい。ぼうっとしてたわ。なにかしらイスト君」

「昨日に続いて今日も汚れまくったな。子どもたちのこと、怒らないでやってくれよ。俺が言い出したことだからさ」

「気にしてないわ」


 ……ふむ。

 どうしたんだろう。ミテラ、元気がないな。

 鍵を閉める動きがいつもよりかんまんだ。おっとりした性格でも、働くときはテキパキ動くのが彼女なのだが。


 建物を見上げる。

 ――そういえば、バルバを出てからいろんなことが立て続けに起こったよな。

 一緒に行動してきた彼女に、疲労がまっていないはずはない。


「ミテラ」


 後ろから声をかける。

 振り返った彼女の髪先は少し乱れていた。

 かつてバルバではちめんろっの活躍をしていた看板娘は、表情に疲れをにじませていた。


「体調が悪いんじゃないのか? あまり眠れていないように見えるぞ」

「大丈夫よイスト君。別に風邪とかじゃないから。それより早く子どもたちのところへいかないと」

「ミテラ」


 小走りになる彼女を、もう一度呼び止めた。

 俺は腰に手を当て、はっきりと言う。


「明日。時間をあけておいてくれ」

「え?」

「俺とふたりでデートしよう」


 ミテラに必要なのは休息だ。

 今まで子どもたちばかりに目を向けていたが、ミテラも大事な家族。その彼女がろうこんぱいになっているのを黙って見過ごすわけにはいかない。

 1日くらい、子どもたちの世話役から解放させよう。


「明日はお休みだ。思いっきり羽を伸ばそうぜ」


 笑顔で提案する。


 ――が。

 おかしい。なんでミテラはさっきから微動だにしないんだ。


 ようやく動いたと思ったら、あごに指先を当てて思案をはじめる。美人でスタイルのいい彼女がそうするととても絵になる。


 あまりに真剣な表情なので、だんだん俺の方が不安になってきた。

 なんかマズイこと言ったか……?


「イスト君」

「な、なんだ」

「まだ……おこづかいが必要なの?」


 おい。

 おい我が姉よ。

 さっきの真剣な表情は『姉として教育を間違えたかしら』って意味か。失礼な。


「ご機嫌取りじゃないっての」


 俺は年上で姉代わりの女性の頭をようしゃなくいた。


 ――そういえば、はじめてかもしれないな。ミテラにこんな態度を取ったのは。


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