不器用な恋。
そら
不器用な恋。
バレンタインに告白をする。
届けられた大量のチョコはどこまでが本命でどこまでが冷やかしなのかわからない。
冷たい目でそれを見やると、躊躇いもせずにそれらを捨てた。
バレンタインは本来、バレンタインの起源ともいうべき祖である聖バレンタインが処刑された日だ。頭の賢しい商業者の計略により、それがチョコレートを思い人に渡す日に変わり、友達に贈るようになり、果ては自分に買うようになった。
魔のXデーが過ぎ去り、早見圭は息をついた。
「好きです。付き合ってください。」
そんな声が飛び交うこの季節。言葉で直接言う女子は減ってきたものの、イベントの効果は絶大だ。
そわそわした男子たちに、悩む女子たち。
チョコをもらえたかもらえなかったかで騒ぐ男性陣に揶揄われ、早見はため息をついて外を見やった。
大勢の生徒が男女入り混じり、校門に吸い込まれていく。髪を一つに低く縛り、黒縁の眼鏡をかけた少女が、片手で器用に薄い本のページをめくりながら歩いている。
その姿は遠目に見ても目立っており、早見は少女を見て薄く笑みを浮かべた。
「やっと、見つけた。」
誰に言うでもなく呟いた声は、室内の雑音に紛れて消えた。
**
教室の片隅に、二人の少女が並んでいた。窓際に座る女子は緩く巻かれた巻き髪に丈の短いスカート、瞳は大きくまつげも長い、気の強そうな少女だったが、隣に座る女子は対照的で、梳かしもせずに後ろに縛った髪、膝丈以上のスカート、ワイシャツを第一ボタンまで閉め、いかにも硬派で地味な少女だ。
タイプの全く違う二人だったが、席が隣同士だったこともありよく話すようになった。
窓際に座っていた派手めな女子、西園凛は窓の外を眺めるのに飽きたのか、隣の女子が読んでいた本を取り上げ、からかうように微笑した。
「ねえ、今日ってなんの日だっけ?」
訝しげに眉をひそめた地味な方の女子、藤井悠は、本を後ろ手に隠した西園を睨みつけた。
「ホワイトデーだろう?バレンタインと違ってなんの意味もない、日本の商業社が作った記念日だ。」
「あら?藤井もそういうの興味あったんだ。てっきり知らないと思ってた。」
「まあ、日本でふつうに生きてたら嫌でも目につくよ。……私だって、記念日は嫌いじゃないから。」
「……嫌いじゃないんだ?」
なおもからかい口調の西園に、いら立ちを募らせる。西園から本を取り返そうと手を伸ばしたが、あっけなくかわされてしまった。
「ねえあんた、さっき下駄箱に何か入れてたでしょ?誰のとこかは分からなかったけど。」
「なっ……!?」
まさか見られていたとは思っていなかったため動揺を隠せなかった。手は汗ばみ、全身の筋肉がこわばり顔がひきつる。
完璧な計画のはずだった。
朝5時に起きて寝ぼけ眼のまま登校し、誰にも見られないよう「対象」の下駄箱に素早く入れたはずだったが、どうやら無駄な努力だったらしい。
「……で?どこの誰にあげたわけ?バレンタインデーでもなく、敢えてホワイホワイトデーにさ。」
西園は本を返す気は無いようで、藤井の届かない掃除用具入れの上に置いた。埃まみれになっていないか不安だったが、今は藤井もそれどころではなかった。
観念したようにため息をつくと、誰にも聞かれないよう手招きをした。藤井のそばに耳を寄せ、好奇心を隠しもしない西園に苦笑しつつ、事のあらましを淡々と語り出した。微妙に、いやかなりずれた古風な話し方は昔からで、藤井も可笑しいことは分かっていたが、敢えてそれを直そうとはしなかった。
「半年前の話だが、私は原因不明の動悸に悩まされるようになった。ある男のことを考えると勉強も碌に手がつかず、忘れようとすればするほど頭の中にチラついてくる……しかもその男のせいで私は成績を落とし、挙句順位を抜かされる始末……。まさか自分がこんな屈辱を味わされるとは、思いもよらなかったよ。」
「じゅっ順位を抜かされたってあんた、あんたより上の奴なんて、一人しかいないじゃない!?まさかあんた、早見けっ……!」
思わず大声を出そうとした西園の口を慌てて塞ぎ、藤井は恨めし気に眉を寄せる。
「声が大きいんだよ。こ・え・が!」
「ごっごめん。だってあの早見圭でしょう?下駄箱や机に入った大量のチョコレートを躊躇いなく捨てて、あの学校一の美女の姫川鈴を玉砕したって噂よ?」
他の生徒に聞かれないよう、小声で耳打ちした西園に、無言でスマホの画面を見せた。
そこに写っていたのは一枚の一筆箋で、筆で書かれた達筆な文字で堂々と「今日の放課後、7組で待つ。」と書かれている。横には律儀に宛名と送り主の名前があり、「藤井悠」とご丁寧にフルネームで書かれていた。
「えっ……なにこれ。果たし状?」
「普通のラブレターだと破り捨てられる可能性もあると思ってな。あえてそれだとわからないようにした。」
「なんでわざわざ、そこまでして?」
淡々と話す藤井は、とてもこれから告白する女子の態度とは思えなかった。浮ついた気配は全くなく、普段と何も変わらず平然としている。
心なしか表情は暗かったが、緊張しているという風情でもなかった。
今までも藤井が恋をしているような様子は全くなかったため、西園は本人の口から聞いてもいまいち信じられず、半信半疑の状態だった。
「……西園だったら、もし話したこともない人間からいきなり手紙をもらって、告白されたら、どうする?」
「……いきなり、そんなことを言われても…」
「普通の人間だったら、いきなり知らない人間に告白されたところで、気味悪がられるのがオチだろうな。私ももとより、成就させる気なんてないのだから。」
「何言ってんの?あんた……」
訳のわからないことを言う藤井に、西園は眉をひそめた。
藤井は西園の方を見る。暗い色の目をしていた。それはとても恋する乙女の目ではなく、それ以外の何かを見ていた。
「……私は、一番でなくてはならないんだ。」
呟く声は沈んでいた。先週の期末テストは、散々な結果だった。もともと学年一位だった藤井は、早見圭に抜かされ二位になった。
藤井は一番でなくてはならなかった。元々国内屈指の私立中学に受験していたが、結局滑り止めで受験していた二流中学になってしまった。
罵倒するでも慰めるでもなく、ため息をついた母。握りしめられる成績表。潰れて皺がよった紙きれだけが、机の上に取り残された。
『あんな二流中学に行っておいて、この程度の成績なんて……』
母の疲れと諦めが滲んだ顔が、そう言っているような気にさせた。
それなのに、早見圭のことが頭にチラついて勉強に集中できない。しかもその元凶に抜かされて、心中穏やかでいられるはずがなかった。
……ならば振られればいい。自分の頭の中から、あの男を消してしまえばいい。
「…………あんたは、本当にそれでいいの?」
西園の向けた真っ直ぐな目に、藤井は一瞬動揺したような顔をしたが、すぐに表情を戻しぎこちない笑みを浮かべた。目の色は沈んだままだったが、その決意は揺らがなかった。西園は片手で顔を覆いつつも本を手に取り、押し付けるように手渡した。
掃除用具の上に置かれていた割にほとんど本は汚れておらず、本を見つめて首をかしげた。それから西園の新品のように綺麗な机と整理されたロッカーを見て、あることを思い出した。
(……そういえば、今日は朝練の日だったか。)
西園は週に三日、ピアノの練習をしているらしいことを思い出した。今日も遠くで音が鳴っていた気がしたが、本に集中すると周りの音が聴こえなくなるのだ。心なしか昨日よりも綺麗になった気がする教室を見渡して、今度こそ満面の笑みを張り付けた。
「…………これでいいんだ。私にとっては。」
もう何も聞いてはこなかった。天気がどうだとか先生の雑談が長いだとか、ただ他愛もないどうでもいいような会話をして、放課後を待つ。西園は躊躇いながらも、藤井に言われて先に帰った。
何かあったら連絡するように言われ、無言で頷く。平静を装ってはいたものの、やはり時が近づくにつれ緊張は高まっていた。
――――もしかすると、あの手紙では来ないかもしれない。
女の子らしい手紙にしたほうがよかったかと後悔しつつも、現在生徒の人数が減り空き教室になっている7組の扉を開けた。
案の定、早見圭はいなかった。
心を落ち着かせるために深呼吸をして席に着くと、鞄の中から教科書とノートを取り出し、勉強を始めた。来ていないのなら仕方がない。時間を無駄にしないためにも、集中することで気を紛らわせることにした。
蛍光灯が切れているのか、真上の電気は切れていた。薄暗い教室に、浅緋色の陽光が滲む。
教科書をめくりながら、だんだんと眠気に襲われた。昨日慣れないお菓子づくりに奮闘したせいか、ろくに眠っていなかった。
父は単身赴任、母も出張でいなかった。残されたのは書き置き一つと一万円札。
もし母にバレたら怒られるだろうと苦笑した。でもきっとこれで最後だ。罪悪感と焦燥感に駆られながら、初めて作ったクッキーだった。
(……少しくらいなら、いいかな。)
眠気には勝てそうもなく、そのまま吸い込まれるように眠りについた。
時間は刻一刻と流れていく。日が段々と傾いていき、空が黒く染まっていった。部活終わりの生徒たちが、はしゃぎながら帰っていく。
外が俄かに騒がしくなり、漸く藤井は目を開けた。
寝ぼけたまま目をあげると、朧げではあったが、誰かがいることだけは分かった。携帯の明かりで、本を読んでいるようだった。切れかけた蛍光灯が、明かりをしきりに瞬かせている。
輪郭は朧げながらも、段々と視界が開けてきた。大分暗くなった教室と、端正な顔立ちをした男が見える。
それは、間違いなく……
「は、早見圭……?」
みるみるうちに青ざめていく藤井に、早見は意地悪く笑ってみせた。
「あぁ、気持ちよさそうに寝ていたから起こすのも悪いと思ったのだけど、よく眠れた?」
「えっえーと。いつから、いましたか?」
「ほんの2時間前くらいかな。」
早見は笑顔のままだった。むしろそれが藤井には恐ろしい。怒鳴られたほうがまだマシだったかもしれない。
「すっすみませんでした。私なんぞのために……」
「で?何の用だったの?」
小さく縮こまる藤井に追い打ちをかけるように、早見は顔を覗き込むようにして遮った。
唐突な行動に心臓が跳ねる。
自分は振られにきたのだからと言い聞かせ、鞄からピンクのリボンが巻かれた包みを取り出す。押し付けるように差し出すと、早見は驚いたような顔をした。
「これ、俺に……?」
紅潮した頬を隠して、何度も頷く。耳まで赤くなった顔を隠すように、下を向いて俯いた。
「あ、あの……」
振られるためには、言わなくてはならない。決定的な一言を。
声は震え、か細くなった。
思えば好きになったきっかけはひどく平凡だった。自分がこんなに単純な人間だったとはと落ち込むくらい、馬鹿らしいものだった。
「す、好きです。付き合ってください。」
もう日は傾き、いつの間にか外は真っ暗になっていた。しばらく待っても返事がなく、心臓の鼓動が異様に早くなる。
恐る恐る顔を上げると、早見は複雑な顔をしていた。迷惑そうでも嫌そうでもなく、困惑しているような顔だった。
「なんで……?」
「えっ……」
「なんで、俺のこと好きになったの?」
たしかに、最もな疑問だった。早見と藤井は、『一度も』会話したことすらないのだ。クラスも端と端同士で縁がなく、もはや雲の上の存在に等しいほどだ。
いきなり話したこともない女子から告白されれば、可笑しいと思われて当然だ。
藤井は自嘲気味に笑うと、躊躇いがちに話し出した。
「前に、雨でグラウンドが使えなくて、男女混合でドッチボールをしたことがあったでしょう?」
「それって、ひと月前くらいだっけ?」
「そう、です。それで、たまたま貴方が人数調整でこっちのチームについて、それで、私はとろかったからすぐ当てられそうになったんですけど、早見君に助けてもらいまして……」
「えっと、それだけ?」
「そ、それだけです。」
「……本当に?」
我ながら、なんと単純な理由だろう。呆気にとられたような顔をする早見だったが、どこか不満げな顔にも見えた。
「……ちょっと、これ貸してくれる?」
藤井が首を傾げていると、掛けていた眼鏡を外された。
「えっなにしてっ……!?」
眼鏡をかけた早見は、髪を手でぐしゃぐしゃにした。
崩れた前髪が目にかかり、跳ねた髪が寝癖のように出ている。どこかで見たことがあるような気がしたが、それがどこかは思い出せない。
首をかしげる藤井に、早見は無邪気な笑顔で微笑んでみせた。
「『僕』のこと覚えてない?藤井さん。」
冴えないルックスとあどけない笑顔。その顔は何年も前に図書館でよく会っていた少年に似ていた。
……ただ、
「年下では……」
「あの頃は病弱で小柄だったからそう見えただけじゃない?」
「早野くんでは……」
「再婚もしてないし、元からずっと早見だったけど。何度言っても勘違いしてたのは藤井さんだからね?」
5、6年前に引っ越してからはそれきりだったが、中性的で女の子のように綺麗な男の子だった。
転勤族だったためもともと友達は少なかったが、その頃は誰も友達ができず図書館に通っていた。
そんな時、読んでいた本をきっかけに度々話けられるようになり、何となく神話の挿絵に出てくるような天使に似ているなと思っていた。まさか、そんな「図書館の天使」が同じ学校にいて、人気者になっているとは思いもよらないことで、思わずじっと見つめてしまう。
決まりが悪くなったのか、早見は藤井から目を逸らして距離を取り、気遣うように声を掛けた。
「……じゃあ、帰ろうか、藤井さん。そろそろ帰らないと鍵閉められちゃうから。」
「あ、はい。そうですね……」
あまりの衝撃で忘れてしましそうだったが、告白についてはどうなったのだろうと今更のように思い出す。
振られるなら早いことに越したことはなく、早く決着をつけなければ前に進むこともできないのだ。
深く息をつき廊下に出ると、先に歩く早見の背中を見つめた。前よりも背が伸びて大きくなった背中に、思い切って声を掛ける。振り返った早見はやはりあの頃とは違っていて、あいまいな記憶のなかの可愛らしい天使のような少年の面影はほとんど感じなかった。
「……どうしたの?藤井さん。」
柔和に微笑む早見の顔を直視できず、胸が締め付けられるような気分になった。言ってしまった言葉はもう取り返せないのだからと自分に言い聞かせたものの、顔を上げることができずに俯いた。
「あの、告白の返事が欲しいのですが、私は振られても構わないので、その……」
尻すぼみになってしまった声に、自分で自分自身にあきれてしまった。
「……あれ?言ってなかったっけ?」
すぐ傍で聞こえた声に驚いて顔を上げると、いつの間にか目の前に来ていた早見と至近距離で目が合った。慌てて顔をのけ反らせると、バランスを崩して倒れそうになる。
思わず早見の腕を握ると、そのまま腕を引き寄せて抱きとめられ、一瞬心臓が止まりかけた。
「はっ早見くん……?」
訳も分からず石のように固まってしまった藤井だったが、抱き締める腕の力が強くなり、全身の血が逆流したかのように熱くなる。
心臓の音が耳のすぐそばで鳴り、筋肉がこわばってうまく手を動かすこともできなかった。
耳元で囁く声がして、頭の中で反響する。
小柄で可愛かった「図書館の天使」がくれた言葉を思い出し、それが一段低くなった声と重なった。
父も母も仕事で忙しく構ってもらえず、友達もできずに一人で過ごしていたあの頃。
「僕は、藤井さんのこと好きだよ。」
知らぬ間に支えてくれたその存在に、私は二度目の恋をしていた。
不器用な恋。 そら @sorakana12
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