第10話:俺の人生史上最大のピンチ

 ──どんっ!


 つい目の前にある更衣室のドアに手をついてしまった。


「えっ? なに? なんの音?」


 更衣室の中から加納が驚く声が響いた。

 俺は全身から血の気がさぁーっと引くのを感じる。

 間違いなく俺の人生史上最大のピンチが訪れた。


 ヤバい!

 このまま逃亡するか!?


 いや、もしも二人が急に中から出てきて、立ち去る後ろ姿を見られたりしたら最悪だ。

 そう思って即座に更衣室のドアをドンドンと2回、ノックのふりをして叩いた。そして何気ない感じで声をかける。


「すみません。誰かお着替え中ですか?」

「えっ……? あ、ああ。もう着替え終わりました。すみません。すぐに出ます」


 そう答える加納の声が聞こえてから数秒後、ドアがガチャリと開いた。先に出てきたのは、やはりウチの店の制服を着た加納かのう 澄香すみかだった。


 フリル付きの白いブラウスに黒いジャンバースカートというメイド服スタイル。普段の制服姿を見慣れてるから、新鮮な感じがする。

 なかなか可愛い。


「えっ? あれっ? くっ、国定くん!?」


 加納は目を丸くして、素っ頓狂な声をあげた。俺はもちろん加納が現れるとわかっていたが、もちろんびっくりした顔をする。


「あれぇっ!? 加納さん!?」

「えっ、国定? なんでここに!? いつからそこにいたの?」

「えっ? いや、今来たとこだけど。ここ、俺の親父が経営してるんだ。だから俺もここでバイトしてる」

「あっ、そうなんだ……私たちの会話、聞いてた?」

「え? なんの話? それに私たちって……?」


 まったく意味がわからないという表情を全力で作る。俺は全身全霊を傾けてすっとぼけた。


「あ、いや、なんでもない。わからないならいいよ」


 加納はホッとした顔になった。俺のすっとぼけ大作戦は功を奏したようだ。そして更衣室の中から、岸野のボソボソとつぶやくような声が聞こえた。


「えっ? えっ? 国定くん? ここ、国定くんのお父さんのお店? うそだぁ……」


 聞こえるか聞こえないかの小声だけど、普段の姫騎士さまとは全然違うオロオロとした口調だ。

 これ、ホントに岸野なのか?

 もしかしたら、姫って名前の別人かも?


 一瞬そう思ったんだけど、その直後に更衣室の中から出てきたのは正真正銘の姫騎士さまだった。

 しかもさっき聞こえていた声はオロオロした感じだったのに、目の前に現れた岸野は──

 なぜかいつもどおりキリッとした顔つきの、凛とした美しい姫騎士さまだった。


「これは国定くん。ここはキミのお父様のお店だったのか。それはそれは奇遇だね」


 話し方も声もしっかりとしてる。

 なんだ、この切り替えの早さはっ!?


 それはつまり。いつもどおりの凛々しい姫騎士さまがウチのバイトに来ちゃったのだという現実が、俺の目の前に突き付けられたってことだ。

 俺、ちゃんとやっていけるんだろうか……?


「あれっ? 岸野さんも……い、いたの!?」


 姫騎士さまの存在に気づいていなかったということにするために、なんとか俺はそんなセリフを口にした。全力で演技だ。

 でもまあ、うまく言えたよな。俺はやっぱ、やればできる子だ。


 そして姫騎士さまの姿を改めてしっかりと見る。

 もちろん岸野もメイド服っぽいウチの制服を着ている。


 顔はいつも通り、凛々しくて気が強そうな姫騎士さまだ。

 だけどそんな姫騎士さまのメイド服姿。そして整った美形の顏。


 ──なんだこれ。


 普段は凛々しい姫騎士さまなのに今はメイドスタイル。この多大なるギャップを、俺はいったいなんと表現すればいいのか。

 俺の貧困なボキャブラリーでは表現しきれないが、とにかく半端なく可愛い。


「うん。でもここが国定くんちのお店だなんて。そんな偶然があるものなのか……って驚いてるよ」

「あ、ああ。そうだよね……」


 これはいったいどこの神様の悪戯だよ?

 こんな偶然あるか?


「実は私、バイトって初めてなんだ。だから色々とご迷惑をおかけするかもしれないけど。がんばるのでよろしく」


 キリッとした表情で、背筋をピンと伸ばした姫騎士さま。

 初めてだって言ってるけど、なかなか自信があると見える。さすが姫騎士さま。


「こ、こちらこそよろしく……お願いします」


 姫騎士さまの落ち着きに対して、なぜか俺の方が新人さんみたいに敬語になっちまった。


 それにしても、姫騎士さまのメイド服姿があまりに可愛くて目のやりどころに困る。俺はちょっと目を泳がせながらも、できるだけ平静を装って答えた。


「えっと……俺も今から着替えるから、二人は先に店の方に行っといてくれるかな?」

「「はい!」」


 岸野と加納は声を合わせて返事して、親父が待つ店内の方へと歩いて行った。


 ──ん?


 立ち去る二人にふと目をやると、姫騎士さまの後ろ姿にはポニテにピンクのリボンが揺れていた。

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