第266話 始マリ

 幸せも不幸も、いつかは終わる。


 学校を卒業した学生がいつの間にか社会の一員になるように、大切な相手を失い悲嘆に暮れる人にも少し欠けただけの、普段の日常が戻ってくるように。


 俺の人生のステージはここで終わる。


 次から始まるのは、誰も経験したことのない、未知のなにかだ。


 「ファウスト」

 「あぁ」


 ギュッと俺の手を握ってきた。マンデイの手は、温かくて、柔らかい。


 俺が混乱たり恐怖を感じている時には、いつもこうしてくれていた。


 「ごめんな。俺がもうちょっとうまくやってたら、一緒に旅を出来たのかもな」

 「ベストを尽くした。ファウストが周囲を支えなければ状況はさらに悪化していたはず。その仕事をこなしたうえで囁く悪魔を早期に討伐するのは不可能だった。それぞれの世界の住人がそれぞれにミスをして、ファウストが助けていた。もし、この世界にもう一人ファウストがいれば、もっとうまくいったはず」

 「そうかな」

 「そう。そもそものミスはファウストと同格の代表者を生み出せなかった、それぞれの世界の神のせい。魔術師に睨まれたら動けない体が大きいだけのバカと、感情的すぎて能力を活かせていない頭の悪い天使、自国の防衛にしか興味のない小心者、能力に頼りきり特攻することしかしない狼。まともなのはルーラー・オブ・レイスだけだった」


 おっとマンデイちゃん?


 「お前、そんなこと考えてたの?」

 「ずっとイライラしてた。口に出せばファウストの不利になるから感情を殺していたけど、ワシルもエステルもツェイもフューリーも、ファウストやルーラー・オブ・レイスほどの力がないくせに、ファウストほどタフな仕事をしていなかった。ファウストは他の無能な代表者のせいで苦労して、傷ついてきた。いつかチャンスがあったらメイスで潰そうと思っていたけど、最後まで機会に恵まれなかった」


 マンデイがこんなことを考えていたなんて、思いもしなかった。


 我慢、させてたんだな。


 「他にも言い残したことはあるか? せっかくだから全部、吐き出しちまえ」

 「ジェイが嫌いだった」

 「ジェイが? なんで?」

 「ファウストを好きなのはマンデイだけでいい。ジェイは力も知能も不足している。分不相応」

 「やっぱりそうだったのか。なんとなく感じてはいたが……」

 「ファウストは鈍感だから」

 「そうだなぁ」


 ジェイも俺が死んだと知ったら悲しむことだろう。


 双子ちゃんの言う通り、以前の俺なら、ジェイのケアもしていたことだろう。


 だが人間、大義や役割があると性格も選択も変わるもんだ。綺麗事だけで生きていた若い頃とは違う。


 「ファウストもなにか言いたいことがあるなら言っておいた方がいい。口もきけなくなるから」

 「タバコが吸いたい」

 「吸えばいい」


 悪い習慣というのは捨てがたいものだ。


 懐に持っていた葉っぱを変質させてタバコを創造、火をつけた。


 「俺は特にないかな。まぁあれか。しいて言うなら、マンデイのことを娘として見ていたのは間違ってたかもしれないってことくらいかな」

 「そう」

 「俺は女性経験がないからどう攻めていいものかわからなかったんだろうな。最期まで締まりのない男だった」

 「賢者になりたいのかと思っていた」

 「はい?」

 「三十の年まで雌との交配をしない個体は賢者になるって言ってたから」


 俺、しょうもないこと教えてんなぁ。


 「そうだな。賢者になりたかったのかもしれん」


 結局この世界でも、死ぬまで童貞野郎だった。


 そういえば、拠点を創造して、そこにこもってる時間が多かったよなぁ。


 引きこもりのままだ。


 まぁ、成長したように見えて、俺の本質はなにも変わっていなかったってことかな。


 「それじゃあやろうか」

 「うん」


 麻酔が効いているのを確認してから、【楽園喪失】を血管内に注入。そしてワトの檻を破壊した。


 しばらくすると、風に崩れていく砂の城のように、体が崩れ始める。


 俺は、体が崩壊していくのを漫然と眺めていた。


 「マンデイ」

 「ファウスト」

 「また、向こうでな」

 「うん」


 生物学的な死を迎える瞬間を、感じた。


 ルーラー・オブ・レイスの智慧と似たような、すべての経験を巡るような感覚があったあと、完全な沈黙が訪れた。


 音もなく、匂いもなく、気配や鼓動も、なにも感じなくなった。




 俺は公園にいた。


 「よぉ。遊びにきたぞ」

 「久しぶり」


 俺の世界に突如現れた、濃厚な存在。


 一度の接触で、悪意なく俺のすべてを破壊してしまった、神だ。


 「これは俺の記憶かな?」


 小さな体、懐かしいパジャマ。


 「違う。あなたはいま、まえの体に入っている」

 「時系列が無茶苦茶だな」

 「ここは私の世界。時間が一方向に流れるのは、あなたや他の生命を含む、物質だけ」

 「なんでも出来るんだな」

 「私は知の世界の管理者。あなたたち生命とは本質が違う」


 幼い頃、俺はインフルエンザに罹った。


 処方された薬を飲み、療養していたのだが、医者すら予想していなかった副反応が起こった。


 ――走れ。


 そういう声が聞こえてきた気がして、走った。


 気が付くと。


 「お前がいた」

 「あなたの脳が、次元の違う場所にいた私を知覚した。


 俺は、大きな存在に声をかけた。


 ――君は?


 ――わからない。名前がない。なぜ、存在しているのかがわからない。


 ――誰?


 ――神、創造者、始祖、呼び名はあるけど名前はない。


 ――なぜ。


 ――父が興味をなくした。熱意がない。


 胸が張り裂けそうなほどの寂しさを、俺は感じた。


 ――君は、ずっと一人だったの?


 ――本質的な意味合いで、私は一人だった。これからも私は、ずっと一人。


 とても悲しい、声だった。


 ――じゃあ。僕が、友達になってあげよう。


 ――ともだち?


 ――そう、友達だ。


 ――私はいまから、友達を、学ぶ。


 そう言うと、神は沈黙した。


 「ファウスト」

 「来たか、マンデイ」

 「なにをしている」

 「過去を体験している。俺が再構成されるまえの話だよ」

 「なぜ。ファウストが知の世界にいたのは……」

 「この世界は管理者の土俵だなんだ。時間なんてものは奴にとってみれば屁みたいなもんだ」

 「全能」

 「だな。侵略者しかり、ルーラー・オブ・レイスしかり、神ってのは理不尽なほどに強力だな」

 「ルーラー・オブ・レイスは神じゃない」

 「いや、神だよ。記憶力の鬼のお前なら憶えてるだろう。魂の世界にいるのはレイスだけだ」

 「じゃあ」

 「世界が変わったことで、大幅な弱体化を食らったようだが、神は神だ。一度目の勇者の派遣でレイスを生み出す機構を(偉大な世界)に移して、二度目の派遣で自らの実態を移送したってところだろう。代表者のなかでも圧倒的な力や情報を保有していたのもそういう理由だな。さぁ、続きが始まるぞ」


 沈黙を破り、彼女が語り始める。


 ――友達は、辛い時に支え合い、喜びを分かち合う。そう?


 ――うん。


 ――あなたが存在し続ける限り、私は一人じゃない。そう?


 ――そうだね。


 ――私が寂しいと感じたあなたは、友達になると提案した。そう?


 ――うん。


 ――私は、嬉しい。あなたが友達になることが。


 俺は手を伸ばした。


 ――これは?


 ――握手だよ。


 ――私が触れればあなたは破壊される。私の存在は、あなたのなかで漸増し、自らの内部にある私を怖れるようになる。


 ――ちょっとなにを言ってるかわからないけど、友達ってのは握手をするもんだ。


 ――握手は、学んでいなかった。


 ――これから学ぶんだ。そういうことを繰り返しながら、友達になっていくんだから。


 全部、思い出した。


 俺は、神の友達だったんだ。


 「あなたはの存在は、また次のステージに上がる」

 「(偉大な世界)の神だな?」

 「手を出して」

 「握手でもするのか?」

 「力を、貸す」


 体が熱を持つ。


 すべてを溶かすような、強烈な熱だ。


 マズイ。


 俺だけが力を持てば……。


 「マンデイ! 俺と手を繋げ!」

 「うん」

 「一緒に行くぞ!」

 「うん」


 記憶のなかで、神が言う。


 ――また、いつか会える。友達だから。


 お前はドジッ子で、後先を考えない残念な奴だ。


 「おい! 管理者!」

 「なに」


 だが……。


 「俺はまた戻ってくるぞ! お泊り会をするんだ!」

 「楽しみにしてる」


 今回ばかりは間違ってはいなかった。


 俺を選んだのだから。

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