第254話 怒リ
突然、飛竜のクロウラーがキューキューと鳴きはじめた。お腹が空いた時の鳴き声だ。
「マンデイ、クロウラーにご飯をあげて貰っていい? イライラしたら大変だから」
「うん」
ワイズ君から預かった卵は、俺が死んでいた期間に孵化した。生まれてきた飛竜を見た瞬間、俺はすべてを察した。ワイズ君の愛竜ミレドがなぜ成長しなかったのかを。そして俺はこの世界に存在してはいけない人物なのだと。
「おい……、なんだソイツは」
「飛竜ですよ? 一応」
「それは、飛竜じゃない」
「奇遇ですね。僕にもそう見えます」
ごくごく普通の飛竜、ミレドから生まれた個体は、親の形とはまったく違っていた。ミレドという飛竜は、生まれたすぐこそ仲間のなかでも上位に食い込むほどの優れた飛翔能力を有していたのだが、成長に難があったために騎士を乗せることが出来なかった。彼女は空の申し子ワイズ君との血の滲むような努力の末、ようやく飛竜隊になれたのだ。
結果、生物の本来あるべき姿を捻じ曲げてしまった。
「
「ではなぜこんな物が生まれるんだ」
「ゲノム・オブ・ルゥのメンバーだけはちゃんと検査した。でもその後、飛竜やミクリル遊撃隊にはしなかった。僕はいつも詰めが甘いんです。ゲノム・オブ・ルゥに異変がなかった次点で、遺伝的な事故はないだろうと決めつけていた」
ミレドの子、クロウラーと名付けられた飛竜に翼はなく、爪と腕の筋肉が異常に発達していた。クロウラーは飛ぶ竜ではなく、走る竜だったのである。ウロコは金属質で固く、継ぎ目が見当たらない。俺とマンデイがよく調べてみても、クラウラーがどのようにして、そんなに固い外皮を動かしているのがわからないのだ。
他のどの生物とも違うデザイン。まったく違う種。
まだ子供であり、サイズも小さい。だが、なにせ前例のない生物だから、どのように成長していくかがまったく予測できないのである。
「
「半年の間に、それを全部……、造ったのか……?」
「誰にも警戒されず、誰にも監視されずに創造に没頭しました。そして気が付いた。僕はこの世界にいてはいけないのだと。話が逸れました。続けましょうか」
計画はマンデイと共有できた。後は実行に移すだけ。
今後の隠密行動の邪魔になるのは感知範囲が広い魔術師。マンデイはなにも知らないゲノム・オブ・ルゥのメンバーに対して的確な指示を出し、俺が死んだ後のことまで視野に入れて、魔術師を中心に狩ってくれた。
本当は恩人であるルゥは俺の手で止めてあげなくてはならなかった。物語の主人公なら、まず間違いなくそういう熱い展開になるだろう。しかし俺はすでに、主人公であることを諦めているのだ。もちろんルゥと仲間を戦わせる不安や怒りは、俺の心のなかで渦となり、【ホメオスタシス】の限界を平気で突破した。しかし、すべてを理解して協力してくれているマンデイのためにも、命をかけて戦う仲間たちのためにも、俺が感情に負けるわけにはいかなかった。噛んだ唇からは、血が滲んだ。
最後に送られてきた鬼、シヴァが天守閣の内部ではなく壁の内側に送られてきたという事実から、敵魔術師の感知魔法が俺まで届いていないことを確認。
戦後の混乱に乗じて死体を創造し、ゲノム・オブ・ルゥの死の物語をネズミっ子たちに伝えた。
俺の死が偽りであることを知る必要があるのはジェイ、プラム、クエン、レナードのネズミっ子たち、俺の治療をしたエステル、そして情報管理のプロであるサカだけだ。それだけ抱きこめば嘘をつきとおせる。仮にジェイが疑われてもサカがテストをして、なんの問題もなかったと報告すれば問題はないし、サカが疑われたらレナード、レナードやサカが疑われたら立場のあるプラムやクエンがテストを実行すればいい。
最後までリズと離れることを拒んだエステルだが、恋の試練だと納得してもらった。俺がいない間に不測の事態が起こった場合、エステルがいるといないのでは被害の大きさが変わってくる。彼女には残ってもらわなくてはいけなかったのだ。エステルと同様の理由でヨキと分化させたヨナにもメロイアンに留まってもらうことにした。ヨナは世界有数の剣の技術と才能、そして物理無効の体をもっている。大抵のことなら対処できるし、レイスの体の性能を知るニィルにとっては、彼がいるだけである程度の抑止力になるはずだ。
そこまでしてしまってから、天守閣を爆破した。
貯蓄していた魔力で穴を掘り、メロイアンの外まで逃げた後で、地下拠点を創造した。最後の拠点【
そのまま休むことなくマクレリアを復活させる準備をはじめたのだが、マンデイに止められた。
――【ホメオスタシス】を解除して。使用時間が長くなれば揺り返しがひどくなる。
――必要ない。いまは集中する時だ。これがいる。
――感情を失う。
――いま、【ホメオスタシス】を解けばどうなるかわからん。
――先延ばしにすればとりかえしがつかなくなる。
海はキレイで、朝は気持ちがいい、そして俺は口論でマンデイに勝てない。常識だ。
――わかった。少し、休んでから作業にとりかかる。
いままで何度も経験してきた【ホメオスタシス】の揺り返し。そのたびに恥の上乗りをしてきた俺だが、今回は過去一で最悪だった。
殺されていく市民の報告を受け、俺のために命をかける戦士たちが傷つき、苦楽を共にした仲間が最悪の敵ル・マウと戦う。そんな大事な瞬間に俺は、嘘をつくために、ただベッドのうえで休んでいたのだ。
自己嫌悪、怒り、悲しみ、屈辱、無力感。
俺は壁を殴った。皮膚が
なぜ、こんなことをしなくてはいけないのか。なぜ、争うのか。なぜ、悲しみは生まれるのか。
それがわからなかった。
――ファウスト、止めて。
――うるせぇ黙れ!
マンデイが俺の体を抑え、ヨキが潰れてしまった拳を癒し、マグちゃんが俺を眠らせた。
三日三晩、俺は怒り狂っていた。
目が醒めると自傷行為を繰り返し、
俺の仲間、ゲノム・オブ・ルゥは、そんな俺を献身的に介抱してくれた。
女王様のハクですら、熱くなった俺の体を冷やしたり、体を舐めたりしてくれていた。
マグちゃんの毒が効きはじめる一瞬だけ、俺の頭がクリアになった。すべての感情が消え失せ、無駄なノイズがなくなった。
俺は一人、誓った。
もう、終わらせなくてはならないのだと。
これが俺の仕事なのだと。
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