第253話 偽装工作

 【ホメオスタシス】の効果だろう、囁く悪魔は静かに俺の話を聞いてくれるようになった。


 「デスターさん、もう少し囁く悪魔とお話ししたいので、離れててもらっていいですか? 死体の創造については、また後で」

 「わかった。それじゃあまたね」

 「はい」


 思えばこの悪魔も可愛そうな奴かもしれん。どの世界にも、どの時代にも、差別されたり不遇な扱いを受ける生き物ってのがいるもんだ。


 「ニィルさん、大丈夫ですか?」

 「お前は……」

 「はい?」

 「お前は死人を創造したのだな」

 「いえ、魂の器を創造しただけです。これまでにない高水準なものをね」

 「お前のような恵まれた者に、俺の理想は阻まれるのか……。俺が最も憎んだ、お前のような者に……」

 「恵まれた、というのはなにを指すのでしょうか」

 「神に恩恵を授かったお前のような奴だ!」

 「恵まれているか恵まれていないかというのは、誰かが決めるものより、自分自身の感じ方が重要なのでは? 僕の目から見れば主人公気質のフューリーさんや、色ボケ野郎のデルア竜将、カリスマ極道なんかも恵まれてると思う。でも彼ら本人がどう考えているかは知らない。ちなみに僕は自分自身のことを恵まれていると思ったことはありません」

 「神の恩恵を受けておきながら、なんて強欲な奴なんだお前は」

 「僕は一度死んでます」

 「なに?」

 「神の恩恵を受けた代償と言えばわかりやすいですか? 僕は一度、死んでいるのです。それもかなり苦しい死に方で。しかも創造する力は死ぬほど燃費が悪くてね、普通に使っていたのでは他の代表者の足元にも及ばない。最初は産廃認定してたのですが、デメリットを埋めるいくつかの工夫と優秀な仲間の協力で、世界をひっくり返せるほどの力を発揮するようになった。他にない才能を有しながら、自分は恵まれないと言い訳をし、思考停止するのは、目的のために徹底して己を殺してきたニィルさんらしくないですね」

 「ファウスト……」

 「あなたがどれだけ世界を憎もうと、そんな世界のことが好きで幸せを感じている生き物がいる。他人から恵まれてると思われているのに、苦しみながら生きている生き物もいる。それら一つ一つの感覚や感情が、どれほど尊いものなのかを、あなたは知らない」

 「うるさい! 偽善者め! お前は俺と同種だ! 綺麗事を言うなよ、お前がいままでしてきたことを忘れたか!」

 「忘れてませんよ。ただ過去に囚われてもいません」

 「俺は正しい……」

 「誰もがそう考えている。自分だけが正義なのだと」

 「お前のような奴に……」

 「話を続けます」

 「……」


 わずかに心に隙が生まれたかな? まぁもしダメでも、アシュリー先輩にやっちゃってもらえば問題ないか。




 何度も危ない場面があった。


 メロイアンのアホの子代表ガスパールが急に消えたり、ルゥの【ゲート】で体が真っ二つにされそうになったり、ユジーが死んだり。


 そしてなにより苦しかったのは、俺の耳に入ってくるのがネズミっ子たちの報告だけで、この目で見たことでないということだ。助けたくても助けに行けないし、事実かどうかもわからない。


 自分が考えたことだし、リスクも承知していた。だが、すぐそばで仲間が戦っている時になにもせずにいるのが、辛くてしょうがなかった。


 いままでどんなに恐怖を感じていても、どれだけ怒っていても【ホメオスタシス】は完全に感情を殺してくれていた。しかしこの時ばかりは、俺の感情の方が優った。抑えきれない心の痛み、無力感、悲しみ、そして憤怒。


 ――ファウスト。


 ――わかってる。


 俺は感情を押し殺して、いま自分が出来る最善の行動をとることに徹した。


 必要な場所に必要な戦力を投入する。俺に出来ることは、それしかなかった。


 胸のなかで何度も謝罪を繰り返す。俺が向かえば救える命もあっただろう。楽に勝てる場面もあったはずだ。


 俺が考えたことは間違いだったのかもしれない。将来ニィルを倒すために現在を犠牲にする。なんの罪もないネズミっ子やメロイアンの市民の命が奪われる。そんなことをして、本当にいいのだろうか。


 ――マンデイ、矢を抜いて別の死因を立ってあげてもいいかもしれんと考えはじめてるが……。


 ――説得力がなくなる。心臓に刺さった矢から生還した男が死ぬとなると、それなりに大掛かりで目立つことをしなくてはならない。そんな付け焼き刃の嘘では、メロイアンの市民や囁く悪魔を騙せない。


 わかってる。わかってはいたんだ。でも、誰かが背中を押してくれなければ、俺は……。


 ――すまん、マンデイ。助かった。


 ――そうやって苦しみながら進んできたから、ファウストは強くなった。


 ――あぁ。


 ――きっとこれからもファウストは悩む。だからマンデイがいる。


 ヨキのアホみたいに支配的な活躍や、マンデイの支え、ネズミっ子の奮闘や、厳しい環境のなかで生き抜いてきた市民の底力、水や獣の援軍などの働きもあり、戦況は徐々に安定しはじめた。


 ――いまだな。マンデイ、三匹のネズミとジェイを呼んでくれ。作戦を実行に移す。


 ――わかった。


 死の偽装。


 不干渉地帯に逃げ込んだ時には失敗した手段だ。


 表沙汰にはなっていなかったが、おそらく囁く悪魔はあの頃から暗躍していた。俺の位置を把握したのも、亀仙の夢を覗き見たからだろう。亀仙に気付かれるかなにかして、夢の改竄かいざんや盗み見が発覚するまでの囁く悪魔は本当に脅威的な存在だった。


 だがいまは亀仙はいない。嘘がばれるとすれば、リズ並みに優れた感覚を持つ生物や、亀仙のような特殊な能力を保有する個体がいること。


 可能性はゼロではない。だが、誰からも警戒されずに創造に専念し、確実に一度は奇襲の機会があるというリターンに比べれば、死の偽装がバレた時のリスクはわずかだ。


 俺はジェイ、プラム、レナード、クエンの四名に今後の展開として欲しいことを伝えた。


 ネズミの獣人は、他の生物と比較してもかなり知能が高い。そのなかでもこのメンバーはずば抜けて賢い個体だ。なんの問題もなく、俺の考えを理解してくれた。


 ――不測の事態が起こったらどうするの?


 ――伝書鳩で連絡をする予定だし、囁く悪魔の行動は常に監視しておく。鳩の担当はジェイさんにお願いしようかな。


 ――もし伝書鳩のやりとりを誰かに見られたら?


 ――本物の鳩と見分けがつかないよう、精巧な代物にグレードアップします。もし受け取るところを誰かに見られたら、鳥を飼い慣らした、とでも言いましょう。放つところを見られたのなら、こう言うといい、傷ついた鳥を治療して逃したのだ、と。


 プラム、クエン、レナードは要職についている。この情勢では、少しでも疑わしい行動が致命的だと言っていい。特に短気なウォルター・ランダーに付いているクエンには最大限の警戒をしてもらわなければ。


 ――それとプラム、自分の意見を通すためにバーチェットを騙したな。わけを聞かせてくれ。敵の配置と戦況から、奴らの狙いがわかったというのは嘘だ。


 ――どうして嘘だと思う。


 ――君はそういう突飛な考え方はしない。もっと保守的だ。


 ――結果、療養所は守られた。


 ――プロセスが大切なんだよプロセスが。そういう嘘が積み重なると信頼を失う。


 ――お前が言うな。


 ――コラっ! 粗雑な言い方をしないのっ! めっ!


 ――ふん。


 プラムは俺のことをなめ腐っているから、忠告をしても無駄だ。実に嘆かわしい。


 俺が落ち込んでいるとマンデイ先生が。


 ――信頼を失えば、職を失う。あなた達の仕事は信頼のうえに成立していることを忘れてはいけない。


 なんということでしょう。あのニヒルっ子のプラムが、マンデイ先生の言葉を聞いて、こう答えたのです。


 ――気を付ける。


 なぜ俺はなめられるのでしょうか。誰か教えて下さい。




 「お前はネズミの獣人に見下されているのか?」

 「自慢ではないですけど、フロスト・ウルフにも見下されていますね。ワイズ君も若干その気があります」


 認めたくはないが、マンデイも時々……。


 いや、考えるのは止めよう。悲しくなってくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る