第245話 定時連絡

 囁く悪魔の動きはなく、完全に沈黙してしまっておる。普通の敵なら、警戒することでもないが、あの悪魔はなにをしてくるかわからん。動向は注視しておこう。


 せっかくメロイアンに来たから顔だけでも見ておこうと、ジェイの元を訪ねると、なにやら小鳥を空に放っていた。 


 「フューリー、来てたの?」

 (うむ、定時連絡じゃのう)

 「そうだったわね」

 (なにをしておったのだ?)

 「傷ついた鳥を治療したの。いま空に放ったところ」

 (そうか)

 「アイツも傷だらけだったわ。いつも無茶ばかりしていた」

 (そうじゃのう)


 ジェイの手を離れた鳥は、懸命に羽を動かし、空へと消えていった。


 (のうジェイ)

 「なに」

 (ファウストは本当に死んだのかのう)

 「死んだわ。間違いなく。私は矢を受けたファウストの傍にいた。最後は離れていたけど、死を偽装できるほどの余裕はなかったし、ファウスト自身も死を予感し、受け入れいていた」

 (であれば亀仙の予知が気になる)

 「ファウストが世界を変えるってやつね」

 (うむ)

 「亀仙の予知がすべて当るわけではないのはアンタが一番よく知ってるでしょう。それにファウストは間違いなく世界を変えた」

 (確かにのう)


 ファウストが創造した物のうち、いくつかはジェイの言う通り、文字通り世界を変えた。


 例えば世間で【抗微生物拮抗剤】と呼ばれておるものは、病を根本から治療する薬としてメロイアンだけではなく、デルア、獣、水、あらゆる地域で猛威を振るっていた、いくつかの疾患を根絶させてしまった。


 それだけでなく、死の間際にプア・ラットにのみ感染する微生物を創造したファウストは、それをジェイに託した。世界中に生息するプア・ラットの排泄物が乾燥すると、生き物の心に感応し、心の闇を払うのだそうだ。


 「特にプア・ラットに寄生するアレは囁く悪魔の天敵ね」

 (うむ)


 病んだ心につけ入るのが囁く悪魔や侵略者の手段だったのだが、プア・ラットの糞便ふんべんから発生した空気を吸いこんだ生き物はみな、闇を乗り越え、明るくなった。世界各地に広がっていた戦火は自然に消滅していき、かつての平穏を取り戻したように見える。


 「英雄王、ファウストはいま、世界各地でそう呼ばれている。デルアですらヒト至上主義の教育を改め、ファウストの功績を称える像が建設されたそうよ」

 (世界を変える……、のう)

 「こんなことを言ったら、メロイアンにいられなくなりそうだけど、私は世界なんてどうでもよかった。アイツが生きてさえいればそれで」

 (うむ)

 「死んでなった英雄なんて、なんの価値もないわ」


 ジェイはずっと、ファウストを一人の男として愛しておった。


 ただひたすらに強さを求めていたネズミの獣人。そんなジェイのまえに現れたのが知の代表者であるファウストであった。ファウストはなんの差別もせずにネズミの獣人の地位を向上させ、働く場を与え、そしてジェイが求めていた強さの意味まで変えた。


 誰かが誰かを愛するのには、それ以上の理由はいらぬ。


 (ファウストをレイスとして復活させる取り組みがあるそうだのう)

 「ダメね。ファウストどころかゲノム・オブ・ルゥのメンバーすら復活する気配がない。そもそもレイスとして顕現けんげんするには、いくつかの要素が必要なの。死の瞬間を理解し、憶えていることや、その個体が未練を残して死んでいったことなどね」

 (それならばファウストやその仲間などは復活しそうではあるがのう)

 「詳しいことはわからない。でもマンデイが爆弾を使ったことが関係しているのではないかと言われているわ」

 (む?)

 「爆発をいち早く察知したのはマグノリア。彼女は自らが死ぬことを覚悟していたでしょう。でも他のメンバーは突然おこった爆発に巻き込まれて死んでしまった。死を自覚していなかった可能性がある。マグノリアの体は発見されていないからレイスにはなれず、彼らが愛用していた武器なども完全に破壊された。ファウストが復活しない理由は憶測になるけど、プア・ラットに寄生する微生物を創造したこと、そしてメロイアンが再建したこと、ルゥを始末したこと、それらのせいでもう、この世界に未練がなくなってしまったのだと考えられている」

 (そうか……、ではやはり)

 「えぇ。認めたくはないけどね……。それよりアンタ、こんなところで油を売ってる暇があるの?」

 (いかん、そうであった)


 ファウストを失って塞ぎ込んでおると思ったが、存外、ジェイはしっかりしていた。


 狂鳥亡き後も、街を守ろうと懸命に働くメロイアンの連中に感化されたのか、あるいはプア・ラットの糞便の効果により立ち直ったのかは定かではない。


 会合の場に到着すると、真っ先に声をかけてきたのは仁友会のバーチェットであった。


 「やぁ、フューリーさん」

 (すまんのう)

 「いや、そこまで待ってない」

 (うむ)


 メロイアンはファウストの死後、難民の受け入れを発表したうえで、テストが出来なくなったという偽の情報を流した。半年間、実際にテストは行わず、囁く悪魔の手先や、他の土地で生活に困窮した者たちを分け隔てなく招き入れた後、一斉に難民に対してテストをしたのだ。


 ――オヤジならきっとこうした。


 ランダー・ファミリーの頭、ウォルター・ランダーはこう言った。


 効果は覿面てきめん


 初期こそメロイアンの情報に懐疑的だった囁く悪魔も、実際にテストが行われず、楽に潜伏が出来ると判明してからは次々に配下を送り込んだ。奴らはメロイアンの街中で暴動を起こし、同時に責め立てるという策を計画していたようだが、それも、ご破算となった。


 (それで、メロイアンに潜りこんでおった者たちはしっかりと処分したのかのう)

 「いや、ジェイさんの強い希望により、傷一つつけることなく解放した」

 (む? なぜ?)

 「彼らのなかにはメロイアンで生活するうちに、この街の魅力に気が付いた者たちがいたんだ。それを囁く悪魔の元に帰すことで、内部分裂を狙えるのではないかと考えた」

 (しかし……)

 「リスクは百も承知だった。こちらがサカのテストをまだ使えることや、流した情報にフェイクを含めるといったこちらの戦略も敵にばれてしまう。だがそれ以上に、この街の魅力や、世界に絶望するのはまだ早いという思想を敵方に流せるのは大きい。選択肢としては間違っていないはずだった」

 (はず?)

 「消えたんだ」

 (消えた?)

 「あぁ、メロイアンから解放した潜入者には、充分な路銀と食糧を与えたうえで追跡していた。メロイアン・コネクションの構成員には、その手の仕事を得意とする者が多い。へまをするような連中ではないんだ。だが、ある晩、潜入者たちは忽然と姿を消した。追跡していた者たちは周囲を捜索したのだが、なんの足取りもない。空から連れ去ったのかとも考えられたのだが、なんの音もたてず、メロイアン・コネクションの手練れの目を掻い潜って、五十余りの者たちを空に運ぶ者がいようか」

 (うむ、確かに妙ではある)

 「なにがどうなっているのかは判明していないが、囁く悪魔がなんらかの手段を用いて潜入者を処分した、と考えるのが妥当だろう。それだけではない。ここ最近、妙なことが起こっている」

 (妙、とは?)

 「空のこともそうだ。昼に空が暗くなるあの現象。ネズミの獣人たちが調べているが、原因はいまだにわかっていない。そしてシャム・ドゥマルトに突如として現れた盗賊団も謎が多い」

 (盗賊団?)

 「王城に侵入し、様々な物を盗んでいるそうだ。今回の潜入者の失踪、空の異常、盗賊団。すべていままでになかったこと。囁く悪魔がなんらかの戦力を手に入れたと考えて間違いないだろう」

 (そんなことを出来る生き物がおるのか?)

 「捜査中だからなんとも言えない。特に目立つのは王城に現れた盗賊団だ。犯行は、すべてルドが休んでいる間を見計らって決行、ありえないほどの手際だったらしい」

 (なにが盗まれたのかのう?)

 「柱、ベッド、食器、被害は多岐に及ぶ。価値のある物から、まったく無価値な物まで、なんの関連性もないように見えるが、すべて古くから存在している物だという一点に関してのみ共通している」

 (柱……)

 「目的がさっぱりわからない」


 囁く悪魔……。


 なにを狙っておる。


 「それで、獣になにか変化は?」

 (うむ、デルア領内の不干渉地帯が、今後の世界に介入しないという意思を発表した)

 「デルアの不干渉地帯というと……」

 (ファウストの息子ガイマンが統治する土地じゃのう)

 「なぜ」

 (ファウストが亡くなったことで心に傷を負ったのだ。ファウストの没後まもない頃は我らに協力的だったのだが、最近、心変わりしたらしいのう)

 「なぜこのタイミングで……」

 (ファウストの死を確信したそうじゃのう。半年もの間、ずっとガイマンは父の生存の可能性を探っておった。だが、心が折れてしまったのだ)

 「そうか。不干渉地帯のガイマンと言えばメロイアンにすら、噂が届くほどの実力者だったのだが……」

 (うむ、残念でならん)


 一進一退。


 ファウスト亡き後の世界は、不気味に動いておる。

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