第246話 戦後復興

 普段のアルロさんはとても勇敢で男らしいのだけど、私が妊娠したことが発覚してからは性格が一変した。


 「なぁテーゼさん、頼むよ、ゆっくりしててくれ。家事は俺がするからよぉ」


 デルアにも私のような孤児は多かったけど、この街は比にならない。アルロさんも生まれた時からお母さんがいなかったから、男手一つで育てられた。そんなお父さんも酔っ払いに刺されて死んでしまう。アルロさんがまだ十にも満たない歳の頃だった。


 かつてのメロイアンで生き残るには極道になるか、極道に気に入られるかの二つしかなく、当時まだ幼くなんのコネもなかったアルロさんは必然的に暗い道を歩むことになってしまう。


 月のものが遅れ、悪阻つわりが現れた時、アルロさんは逃げた。「俺みたいな父親はいない方がいいんだ。」という書き置きと、貯金のすべてを私とお腹の子に残して。


 探しに行こうにもアスナさんに止められて、動けなかった。とても悲しかった。


 数日後、アルロさんは顔を腫らして帰ってきた。


 ――アルロさん! どうしたんですか、その顔!


 ――アスナの姐さんにヤキ入れられちまった。


 ――大丈夫なんですか!?


 ――もちろん。姐さんも手加減なく殴るようなお方じゃあない。骨が三本折れた程度ですよ。


 ――それって、大丈夫のうちに入るんですか?


 ――あぁ、問題ねぇ。それよりテーゼさん。すまねぇことをした。


 ――いえ、あなたが怯えていることは知っていました。でも、私はなにも出来なかった。私の責任でもあるんです。


 ――すまねぇ……。


 いままで恵まれない生活を送ってきたアルロさんにとって、子供ができるということ、なにかを得るということが、どれほどの重荷になるか。


 時折、深く考え込むアルロさんにかける言葉は、私のなかにはなかった。私もアルロさんと同様、親の愛を知らずに育ったから、彼と似たようなプレッシャーを感じていたのだ。


 アルロさんを救い出せるほど、私は立派な人間ではない。


 逃避から戻ってきたアルロさんは、もう、怯えてはいなかった。でも代わりに、すごく心配性になってしまった。


 「テーゼさん、そこには段差があるから」「いけねぇ、荷物は俺が持つ」「もう、起きていいのか?」


 こんな具合に。


 妊娠は病気じゃないと伝えても、よく理解できていないようだ。


 坊ちゃんが亡くなられてから、いや、まだ存命の頃から、いくつかの慣用句が生まれた。


 例えば【狂鳥のように働く】とは、なにかに集中すると周囲が見えなくなる生き物のことを指すし、【狂鳥のように愛する】と言えば、いまのアルロさんのよう状態のことを意味する。


 アルロさんはいま、私のことを狂鳥のように愛しているのだ。


 「テーゼさん、また行くんですかい?」

 「えぇ、坊ちゃんに会えるかもしれないから」

 「しょうがねぇ、俺もついていくから、ちょっと待っててくれ」

 「いいですよ。アルロさんには仕事があるでしょう? 私一人でも大丈夫」

 「なに言ってんだテーゼさん。暴漢や人攫ひとさらいが現れたらどうする」

 「いまのメロイアンは平和だから、そんな人はいませんよ」

 「いけねぇ。なにがあるかわからないのが、世の中ってもんだ」


 アルロさんは、朝から晩まで終始この調子だ。


 こんな風に誰かに愛されたことなんて一度もなかったから、少し戸惑うけれど、同時に嬉しくもある。


 「よし、行くか」

 「はい」


 出来る限りでいいから坊ちゃんの様子を見に行って欲しいというアスナさんの希望もあるし、ネズミちゃんたちも適度な運動は胎児に良い影響を与えるって教えてくれたから、日に一度は坊ちゃんのところに行くようにしている。


 坊ちゃんがいなくなって、半年が過ぎた。いまも時々、坊ちゃんの気配を感じることがある。なにかの拍子に匂いがするのだ。坊ちゃんの甘い匂いが。


 「アルロさん」

 「なんだ」

 「手を、繋ぎませんか」

 「お、おう」


 きっと彼は、いまもどこかで私たちのことを見守ってくれているんだと思う。


 「おい、見てみろ! アルロが手なんて繋いでやがるぞ!」

 「まったく、昼間っからなんてもんを見せやがんだ!」

 「地獄に落ちろ! 犬っころ!」


 あら、アルロさんのお友達が。


 「うるせぇテメェら! 黙ってろ!」

 「アルロさん……」

 「す、すまねぇ。つい癖でな」


 まだまだ悪かった時期の雰囲気が抜け切れていないアルロさんだけど、日々、父親の顔になってきているような気がする。役割が少しずつ、人を造るのだと思う。これから父となるアルロさんのように。


 ファウスト・アスナ・レイブという人物は、もっと静かな場所で穏やかに過ごすべきだった。もっと平穏な役割で。彼ほど自然に他者を思いやれる人間などいないのだから。


 世間で、坊っちゃんは英雄王と呼ばれている。囁く悪魔からメロイアンを救い、生き物の心の闇を払う薬を創造した。病を払い、各地の争いを沈めてみせた。


 でも坊っちゃんの功績のなかで最も優れていたのは、どんな環境のなかでも、代表者という重責を背負っても、正しさや優しさを失わなかったことだと思う。


 もし、坊ちゃんが生きていたら、なにを言うだろう。これから生まれてくる子に、なにを造ってくれるだろう。


 「坊っちゃんに、私たちの子を見せてあげたかった……」

 「違いねぇ」


 しばらくアルロさんと一緒に歩いていると、坊っちゃんが建てた天守閣が見えてきた。


 坊っちゃんが技術のすべてを注ぎ込んで創造したこの建物は、内部でメロイアンを壊滅させるほどの威力の兵器が破裂したのに倒れず、街への被害もほとんど与えなかった。


 「こんにちは、ヨキさん」

 「毎日、飽きることもなくよく来るな」

 「どうですか? 坊っちゃんは」

 「なにも変わらん」

 「そう、ですか……」


 兵器の破裂の残骸をヨキさんが調べて、坊っちゃんの想い、残留思念を探しているのだけど、今日も空振りみたいだ。


 「坊っちゃんのお友達もダメですか?」

 「あぁ、誰も復活するきざしがない」

 「やはりダメですか」


 マンデイちゃんの魔核や坊っちゃんの遺骨など、残留思念がありそうな物はもう、あらかた試してみたらしいのだけど、もしかしたら、もっと違う別のものでレイスとして復活できるかもしれない。一縷の望みに賭けて、ヨキさんが毎日頑張ってくれている。でも、最近では目新しい物はなくなってきたそうだ。


 「ゲノム・オブ・ルゥには弱点があった」

 「弱点、ですか?」

 「いつもファウストを中心に動いていたことだ。求心力があったとは言わない。アイツはとても頼りないリーダーだった。だが、間違いなく、アイツはリーダーだったんだ」

 「それは坊っちゃんのお仲間さんの表情を見ていれば、わかりました」


 作業を中断したヨキさんは、瓦礫に腰を掛けた。達人らしい、洗練された動きで。


 「アイツが死んだ日、マンデイが壊れた」

 「マンデイちゃんは坊っちゃんのことが大好きでしたから……」

 「どんな時も冷静だったマンデイの不調は、ゲノム・オブ・ルゥのみなに伝播した。マンデイはファウストの分身であり、メンバーとの懸け橋でもあったんだ」

 「ふふふ、昔は自分で見ることも食べることもない、お人形さんだったんですよ?」

 「あぁ、俺もよく知っている。ただの人形が、いつの間にかチームの精神的な支柱になっていたんだ」

 「えぇ」

 「俺がもっと早くマンデイの異変に気が付いていたのなら、ゲノム・オブ・ルゥの崩壊はなかっただろう」

 「そんなことはありませんよ」

 「慰めはよせ。いくらお前が否定しようと、俺がまた、仲間を殺してしまったという事実はくつがえらん」


 戦後、色々な変化があった。


 新しく生まれる命があり、まえを向いて進む生き物がいる。そして、後悔と贖罪しょくざいのために生きるレイスがいる。


 「ヨキさん、私たちの子供が生まれたら、あなたにも抱いて欲しいのですが」


 目を見開いて驚くヨキさん。


 「なぜだ」

 「あなたは坊っちゃんのお友達だから」

 「……、そうか」


 ヨキさんには、もっと笑って欲しい。


 いままで坊っちゃんを支えてくれた恩人だから。

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