第221話 成長
カチカチカチカチカチカチカチカチ
このオノマトペは、五十センチとかいう常識はずれのサイズのアリに怯えた俺が、歯の根もあわないほどに震えている様を形容している、のではない。
帝国蟻の群れから聞こえてくるのだ。
カチカチカチカチカチカチカチカチ
「なぁ、マンデイ」
「俺の勘違いじゃなければだけどコレ、威嚇じゃないか?」
「そう、威嚇」
「そうか! 逃げよう!」
帝国蟻とのコンタクトはこのようにして幕を閉じました。めでたしめでたし。
さぁメロイアンに帰ろう。
ここは地獄か天国か、だって? メロイアンは天国だよ。だって五十センチのアリがいないからな!
マンデイを抱えようとした、その時。
「待って」
「無理だマンデイ。攻撃される」
「動くと攻撃の対象になる。静かにして」
カチカチカチカチカチカチカチカチ
これまでのムドベベやワシルのような巨大生物に会った経験のお陰で、たいていの生き物は恐怖なく接することが出来るようになったと自覚していたのだが、まさかこんな小さな生き物にビビるとは。
いや、帝国蟻は充分デカいか。
先頭にいたアリが鼻先(キバ?)を伸ばしてくる。
「マンデイ、噛みつこうとしているぞ」
「匂いを嗅いでるだけ。静かにして」
匂いを嗅ぐ? なに言ってんだこの子は。
「アリに嗅覚があるはずがないだろう」
「ある」
帝国蟻が特殊なのか、それとも俺が以前いた世界でもアリに嗅覚ってあったっけ。
最終学歴幼稚園卒業の俺は一般的なアリの生態なんぞわからん。マンデイが言うのだから間違いないだろうが、一つ言えることは、怖い、ただそれだけだ。
アリは触覚で俺の体に触れながら、仕切りに頭を動かしている。
確かに匂いを嗅いでるように見えないこともない。だが噛みつける場所を探しているようにも見えてしまう。
「本当に大丈夫なの?」
「通常の帝国蟻の攻撃手段は噛みつきとギ酸。どちらもファウストのスーツを突破するほどの力はない」
とは言ってもだな……。
俺の匂いを嗅いだ個体が、クルリと方向転換をして他のアリと触覚を合わせ始めた。
「あれはなにをしてるの?」
「情報を共有している。接触した生物の種族、年齢、性別、食習慣など」
「匂いだけでそんなことがわかるの?」
「暗闇に順応し、視覚を失うという進化をした帝国蟻の嗅覚は鋭い」
そういえば犬とかも匂いでコミュニケーションをとるみたいなことを聞いたことがある。
アリの嗅覚が特別に優れているというよりは、人間の匂いを嗅ぐ能力が低すぎるのかもしれない。
「で、次はどうなるの?」
「一般的でない働きアリが実際にマンデイたちを調べる」
「一般的でない?」
「そう、アレ」
おぉマンデイ。
初めてだよ、君のことを嫌いだと思ったのは。
俺たちに向かって歩いてきているのは、働きアリの十倍ほどの質量の個体だった。
ノソリ、ノソリ
アレはもう虫じゃない。虫じゃないならなんなのかと訊かれたら
「なぁ、さすがに逃げようか。見てみろよアレ。普通じゃないってば。きっと敵認定されたんだな。さすがにあのキバで噛みつかれたらスーツの耐久でも防ぎきれないぞ」
ニッコリ、朝日のように輝く微笑みを俺に向けるマンデイ。
「もう匂いを覚えられたから逃げる選択肢は消えた」
「マンデイちゃん、もしかしてこの展開を全部予想してた?」
「かもしれない」
なんて娘を造ってしまったんだ俺は。
「もし死んだら恨むからな」
「死なない」
巨大なアリはもうすぐそこまで来ている。情けない話だが、さっきから足の震えが止まらないし緊張でどうにかなってしまいそうだ。
「カッコいいね」
マンデイ、君は大物だよ。
コレは虫が平気だから大丈夫とかいうレベルじゃない。
【ホメオスタシス】を打ってくるべきだった。恐怖で気を失いそうだ。
そんなことを考えている時、マンデイからギュッと手を握られた。
「大丈夫。ファウストがいれば、マンデイは負けないから」
何度も助けられたマンデイの魔法。
不思議なもんだ。こうしているとあの化け物みたいなアリだって全然……、怖いな。うん、全然怖い。
だが少しは緊張がほぐれた。
「そうだな、俺たちは誰にも負けん」
「うん」
創造する力、魔力変換式攻撃ギアはいつでもうてるように準備し、化け物アリとの接触に備えていたのだがなんのことはない。本当にただ匂いを嗅がれるだけだった。
一緒にいるのがマンデイじゃなかったら、間違いなく逃げてた。
「大丈夫……、なのか?」
「彼らはファウストに攻撃の意思がないこと、相手が音声によりコミュニケーションをとる種族であることを学んだ」
「で、次は?」
「発音器をもつ個体が来る」
喋れるアリか。
この世界の生き物はすべて唯一の言語である(偉大な言葉)と呼ばれるものを使う。
例え虫であっても意思の疎通はとれそうな気はするのだが、まだ半信半疑だ。
虫が喋る? そんなのはありえん。
あっ、虫の代表者は別。俺も含めて勇者はみんなチートだからあてにならない。
しばらくそのまま待機していると、一際小さな個体の群れが近づいてきた。
「我ラハ帝国蟻、貴方ハ何」
おっと、本当にやりやがった。喋りやがったよ。
「ファウスト・アスナ・レイブ、知の世界の代表者です。虫の代表者に言われ、草原の民を引き取りに参りました」
「ツェイ、カラ話ハ聞キ及ンデイル。巣ニ案内スルカラ来テ欲シイ」
ツェイ? あぁ虫の代表者の名か。
と、周囲のアリがしきりに触覚を動かして、仲間とコミュニケーションをとりはじめた。
すると、瞬く間に道が出来上がった。
「すごいな」
「帝国蟻は群れで一つの生き物といえる。統率能力は他の生物の比ではない」
コイツらが強い理由がよくわかったよ。
完璧な連携、迅速かつ確実な情報の共有、群れ単位で一つの目的地にむかう推進力。
こりゃあれだ。俺がメロイアンでやろうとしたことの完成形だ。
そうして案内されたのは巣穴のなかだ。
この恐怖はなんと表現したら伝わるのだろうか。通路の天井にも、床にも、壁にも、びっしりとアリが張り付いている。これはヤバい。
モザイク処理をしてくれないと、いつか精神がぶっ壊れてしまいそうだ。
「キレイ」
と、マンデイ。
はぁ。
今日のマンデイ先生はネジが何本かぶっ飛んでいらっしゃる。ついていけない。
「一応質問しとこうか。なにがキレイなの?」
「帝国蟻の連携。一定間隔で個体を配置し、ファウストに一番近い個体がいつでもギ酸を浴びせられるよう常に警戒している。とてもキレイな配置」
やはり俺はマンデイの教育をどこかで間違ったようだ。
空がキレイ、花火が、夜景が、夕日がキレイ。そういうのはわかる。だがアリの配置がキレイ?
なにを言ってるんだこのすっとこどっこいは。
ビクビクしながら歩く俺を、楽しそうに目を輝かせながら観察するマンデイ。
「なぁ、もしかして嫌がらせしてる?」
「多少は」
「なんで?」
「カエルの復讐」
「あんまり昔のことを根にもつ奴は嫌われるぞ」
「復讐だけじゃない」
「じゃあなんで」
「ファウストが誤った道に進んだ時に、道を正すのがマンデイの仕事。マクレリアと約束した」
ふぅ。
立派すぎる娘をもつと、こんな複雑な気持ちになるんだな。
たしかに帝国蟻とパイプがあるとないでは、今後の動きがまったく変わってくる。俺も頭ではわかっていた。だがアリの群れがキモすぎて気後れしていたんだ。
帝国蟻の群れに心が折れてしまった俺の背中を押してくれた、そんな感じなんだろう。ちょっとやり方が気に食わないがな。
「じゃあマンデイが道を誤りそうな時は、俺がカエル・スペシャルをお見舞いしてやるよ」
「楽しみにしてる」
……。
マンデイの表情は相変わらず楽しそうだ。
「一つ訊いていい?」
「なに」
「お前、俺がビビってる姿を楽しんでるだろ」
「多少は」
「やめろよ、そういうの。性格悪いぞ」
「そう」
いや待てよ。
これはマンデイの成長なのかもしれん。
いままでのマンデイは俺が指示して、それに従うという姿勢だった。もちろんイヤイヤループなんかはあったが、基本的にはいつも従順だった。
だがいまは違う。
虫を嫌がる俺を正しい方向に導き、緊張をほぐし、アリの巣に入る正当性をしっかりと提示する。誰の指示もなく、すべて自発的に。
メロイアンの街を造り替える時もそうだった。この子は、なんの考えもなしに突き進んでへばる俺のために行動したんだ。
マンデイは俺が眠っているあいだ、一人で考え、このままではいけないと結論を出し、やはり一人で打開策を練り、市民が必要とするものを手配していた。
俺は忙しすぎてなにも見てなかった。
着目すべきだったのはマンデイの有能さではなく、自発的に行動したという、その事実だったのだ。
この子は、いつのまにかこんなに
ある瞬間、急に視野が広がることがある。
転機というやつだ。
たった一つの事実に気がつくことで、いままで見えてなかったものがクリアに見えてくる。きっとそういうのは、人生のなかでも一度や二度しかない貴重な体験だ。
いつもより大きく映るマンデイの背中は、ただの入り口にすぎない。
その先にあったのは。
「過保護鳥め」
ヨキ。
「ファウスト」
マグちゃん。
テメェ、なに勝手に想像してんだコラ、金とんぞ!
ハク……。
『ぐjoるvo』
ゴマ。
「ファウストさん!」
リズ。
「父さん!」
ガイマン。
「オヤジ!」「狂鳥」「ファウスト」「狂鳥様!」「「「あっそれ、きょ・う・ちょう! きょ・う・ちょう! きょ・う・ちょう!」」」
メロイアンの人々。
俺が創造したものは……。
「ファウスト?」
「あっ、すまん。歩くのを忘れてた」
「辛い?」
「いや、辛くないよ」
マンデイ。
俺は久しぶりに、マンデイの頭をなでた。
「よく、成長したなマンデイ」
「うん」
みんな、ちゃんと伸びてくれている。
俺のようなアホでコネ転生した男が造り、育てたとは思えないほどに。
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