第218話 閑話 アーティスト ナド

 ◇ アーティスト ◇


 どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 耳から血を流して倒れているのは仁友会の男たちだ。腕章でわかる。


 傷つけるつもりなんてなかった。ただ、歌を歌ってみたかっただけなんだ。


 「あれは誰だい?」

 「キャロルだ。歌姫ディーバのキャロル」

 「狂鳥様の奇跡を受けた小人だよ」

 「受けた恩も忘れて裏切ったんだ」

 「すぐにメロイアンに」

 「応援を呼ぶんだ」

 「キャロルの歌に負けない誰かを」

 「ケガ人は?」

 「いまは助けられない、すぐに応援を呼ぶんだ」

 「キャロルには気をつけろ」

 「歌姫には気をつけろ」


 コソコソと話をしていたネズミの獣人が、いっせいに駆け出した。メロイアンに向かって。


 「まって! 誤解なの!」


 しかし私の声は、誰にも届かなかった。




 歌は、私を救う唯一の娯楽だった。


 休みなんてない。風邪をひいても薬一つ貰えず、心配されることもない。


 ただ家事をこなす機械だった。


 ひびわれた手を見て思う。このまま機械のように生きて、死んでいくのかと。


 でも……。


 耳をすますときこえてきた。


 風が吹き、ポツポツと弾ける雨の音。鍋のなかで弾ける泡、馬車の車輪、ひろげたシーツの音。


 音楽はどこにでもあった。


 将来のことなんて考えたくない。家事をこなすだけの人生? そんなのバカ気てる。


 ――見て、小人だよ!


 ――本当だ、珍しいねぇ。


 ――僕、知ってるよ。物を作ることしか出来ない、下等な生き物なんだ。


 ――学校で習ったの?


 ――うん。


 ――賢わね。その通りよ。


 小人は非力だ。


 細々とした作業が得意で、戦闘能力がなく、誰かに守られなければ生きていけないダメな種族。下等な生き物。


 私は歌う。


 雨音を、喧騒を、私たち小人を見下すヒトの目を。


 それが唯一の逃げ道だった。


 狂鳥ファウストと知り合って、改造をされた。「強くなった姿をイメージして」そういう風に言われた私はたぶん、どんな境遇にあっても自分を救ってくれた、歌のことを考えたのだと思う。


 私の歌は、他者を傷つけるようになってしまった。


 メロイアンには小人を差別する生き物はいない。ここはすべてを受け入れる。そりゃ治安が悪いし、裕福でない私は贅沢も出来ない。


 でも、なんの優しさもないヒトに仕えていた頃よりはずっといい。自分のために料理をして、自分のためにお掃除をする。当たり前のことを当たり前に感じられる一時が、とても幸せだった。


 時折、気を抜くと、歌を歌いそうになってるいる自分に気がついた。無意識に、頭のなかに流れたメロディを形にしようとしてしまうのだ。


 歌う、その行為が危険だという事実を思い出し、背筋が凍る思いがした。


 あの頃に比べたら、いまはいい。


 歌えなくなったくらいでなんなの? 自分のために時間を使えるじゃない。それだけで満足しなくちゃ。


 ……。


 気がつくと私は、森にいた。


 歌いたいという気持ちが抑えられなくなっていたのだ。


 狂鳥の改造を受けてからずっと我慢していた歌、その期間に私の頭のなかに溢れていたメロディを、心置きなく歌った。


 メロイアンから離れた森を、わざわざ選んだのだ。誰も傷つけないように。


 でも、無駄だった。


 私の歌声はメロイアンまで届き、何事かと駆けつけた仁友会の者を傷つけてしまった。


 メロイアンの法は、狂鳥にすら適応されるらしい。いくら狂鳥と知り合いとはいえ、私は一般市民だ。仁友会の構成員を一方的に痛めつけた。その罪は、重い。


 私はその場を逃げた。


 捕まることが怖かったわけではない。どんな場所でも昔よりはマシだ。


 私が怖かったのは、ヒト至上主義のデルアと戦い、小人や獣人の存在を認めてくれたあの人。狂鳥に迷惑をかけてしまうことだった。


 私の能力は狂鳥の力によって引き上げられた。


 誰かを傷つける歌なんてない方がよかったのかもしれない。でも、狂鳥の改造を受けた女、というのは、メロイアン市民にとって特別だ。


 歌を失った代償として、いまの生活を獲得できたとういう表現もできる。


 私は息が切れるまで走った。


 ――俺と一緒に来るか、キャロル。


 狂鳥、あの人にだけは。真っ暗な闇から私の魂を引き上げてくれたあの人にだけは迷惑はかけられない!


 「む、本当にキャロル殿ではないか」

 「!?」

 「そう怖い顔をされるな、キャロル殿。ワシだ、ガスパールだ」

 「私を……、捕まえにきたのね……。歌なんか歌ったから」

 「捕まえる? なぜ。キャロル殿は相手を傷つけようとして歌ったのでぇ?」

 「違う。でも誰も信じないわ」

 「ワシが信じる」

 「え?」

 「ワシは頭が悪いからのう。複雑なことは考えられん。キャロル殿がそう言うならその通りなのだろう」

 「……」

 「キャロル殿の歌を至近距離で聞いてしまった者たちは未だ、気を失ったままではあるが、命に別状はないらしいぞ」

 「そう、よかった……」

 「帰ろう。狂鳥の街に」


 でも……。


 「私のせいでファウストが責められたりしないかしら」

 「狂鳥の翼はすべてを覆うからのう。罪も、間違いも、悲しみも」

 「……、そうね」

 「否、キャロル殿の歌だけは狂鳥の翼でも覆えぬか。ガハハハハハ」

 「ガスパール、また歌うわよ?」

 「ワシの体は特別性、キャロル殿の歌ではビクととしませんわい。今度、歌いたくなったらワシの元に来るといい、ワシなら何度でも、いくらでもキャロル殿の歌を聞いてやれる」


 ガスパール……。


 「……、ありがと」




 ◇ 死 ノ 番人 ◇ 


 メロイアンに派遣した者たちが戻らないらしい。


 こちらの情報はすべて漏れてしまったと考えて間違いないだろう。


 今回、メロイアンから戻らなかった男は草原の民だ。自分がそうだからわかる。草原の民、セルチザハルはどんな苦痛を与えられようと、こちらの不利になる情報は漏らさない。


 だがメロイアン・コネクションのサカは、相手がどんな屈強な精神をもっていようが関係なく情報を吐かせる。


 狂鳥もそうだ。アイツらの手にかかれば意志なんてのは紙屑同然になってしまう。


 「どうする、囁く悪魔」

 「まだ役者がそろってない。もっとちゃんと準備をしてからじゃないと狂鳥はとれないよ」

 「あまり時間をかけすぎると、奴はまた病を振り撒くぞ」

 「だとしてもだ。だとしても戦力を整え、ミクリルたちをメロイアンに潜入させてからでないといけない。狂鳥は慎重な男。チャンスは一度しかないと思った方がいいだろう」

 「あぁ」

 「狂鳥を潰したらそのままメロイアンをとるから。充分な装備と人員を整えておいて」


 狂鳥ファウスト・アスナ・レイブ。


 いよいよか。


 あの男と関わり出してから人生の歯車が狂い始めた。


 いや、そのまえから、か。


 俺は兄弟を殺した。


 身分の卑しい、いけすかない奴だった。体が細く、弱い奴だった。いつも俺の後ろを歩いてくるモヤシ野郎だった。負ける要素なんてなかったんだ。


 だが、いつの間にか俺は、奴の背中を追っていた。


 同族殺しは、その血と肉をもって罪のあがないとする。


 これが草原のルールだ。


 だからヨキの死体は、知り合いのデルア兵に金を払って神の土地に捨てた。


 ヨキを殺すだけではダメだ。自分が勝ち残らないといけない。だから、絶対に殺しがバレない神の土地に遺棄することに決めたんだ。


 ――ヨーク、なにか話すことはあるか?


 ――いいえ、なにも。


 ――では、そのまま死んでゆけ。


 ――!? お父様?


 なぜ、ヨジンが俺の行いを知っていたのかは未だにわからん。だが、セルチザハルに俺の居場所がなくなったという事実だけは、嫌というほど理解できた。


 デルアに逃げてからは懸命に働いた。


 俺には後ろ盾も、友人も、家族すらなかったのだ。自分の身は自分で守らなくてはならい。


 いつからか俺は、死の番人、そう呼ばれるようになっていた。


 ――死の番人、ヨークだな。


 もっと地位が欲しい。金が欲しい。力が欲しい。


 定期的に送られてくる草原の刺客、セルチザハルで得ていたはずの金と地位、そして女。


 もっと欲しかった。人生を充実させなければならなかった。


 あの男、ヨキのせいで自分の人生の質が落ちたなど、あってはならぬことだから。


 ――簡単な仕事だヨーク。子供と、その両親を殺せばいい。


 報酬は充分。


 失ってしまったものを取り返す、いい機会だった。


 俺はすべてを手に入れる、予定だった!


 なのにアイツが……。


 あの男が……。


 殺してやる。殺してやる。


 「ヨーク! 抑えろ!」

 「はぁ、はぁ」

 「我が主に侵食されてなお自我を保つ、その精神力。さすがは草原の民だね」

 「問題ない、俺が殺す。狂鳥も、ヨキも」


 身も魂も焦がす、恨みの炎。


 この世界を破壊しようとしている化け物の力は凄まじい。


 だがそれすらも呑み込み、利用し、俺はまえにすすむ。


 死の番人。


 それが、俺の名だ。


 俺が許可し、俺が殺し、俺が終わらせる。


 狂鳥。


 ヨキィィイイ!




 ◇ 天災 ノ オ仕事 ◇


 「そういうわけなので、ジェイさん。僕らは虫の領地に飛びます」

 「わかったわ」

 「おそらくこれが最終決戦か、それに準ずる戦いになるでしょう。僕の体が自由に動かせるタイミングはここしかない。往路で一度、復路でもう一度、草原の民には嫌がらせをして時間を稼ぐ予定ですが、僕がいない間に、敵が攻め込んでくる可能性も充分にある」

 「そのあいだ、あなたの街を守ればいいのね」

 「はい。不確定要素が多すぎるので、どういう展開になるかはまったく予想がつきません。こういう難しい状況を任せられるのはジェイさんしかいない。どうぞよろしくお願いします」

 「えぇ」

 「それじゃあ」


 バッ、と翼を広げたファウスト。


 「まちなさい」

 「なんです?」

 「気をつけて、行ってきなさいよね」

 「えぇ、もちろんです」


 私が恋をしてしまった男は、とても多忙だ。


 用件だけを伝えると、すぐに飛び立ってしまう。


 本当はもっとゆっくり話がしたい。好きなものや嫌いなこと、過去の話に将来の夢。


 でも彼にはそんなことをする余裕がない。


 いつも自分じゃない誰かのために飛び回っているのだから。


 「狂鳥様はお忙しいですね、ジェイ様」

 「あたりまえよ。なんたって彼は、この街を、世界を救おうとしているんだから」


 魔法しか取り柄のない、私に出来ることなんて限られている。


 でも彼の帰る場所を守るくらいなら、安心して眠れる場所を確保するくらいなら、出来るかもしれない。

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