第217話 閑話 氷 ノ 女王 ナド

 ◇ 氷 ノ 女王 ◇


 「なぁハク、ここぞという時に体が動かないと危ないことになるかもしれないぞ? 運動不足、ダメ、絶対。それにあれだ、ハクが恋をするとするだろう? そんな時、中性脂肪を溜め込んだ、そんなゆるゆるボディじゃ誰も振り向かないぞ」


 まったくうるさい奴め。


 貴様の、○○○を***にしてやろうか。


 「なんだハク、○○○を***にしてやろうか、って言いたそうな目をしてるけど」


 !?


 なぜこちらの言いたいことを寸分違わず……。


 なんて気持ちの悪い男……。


 「いままでは黙認してきたけど、もう許しません。いきなり働けとは言わんよ、だがな、そうやってゴロゴロゴロゴロ転がってるだけの生活はもう止めようぜ」


 はぁ。


 面倒な男が面倒なことを言いはじめた。


 「そうだ、俺と一緒にランニングしないか? いい汗流そうぜ!」


 まったく……、付き合ってられない。


 「おい、ハク! まて!」


 ファウスト。


 あの男と関わるとろくなことにならない。やたら針を刺されるし、厄介事を持ち込んでくるトラブルメーカー。


 あの男にはそれなりの恩があるし、フューリーもうるさいから、共闘しないことはない。でも、トラブルに巻き込まれるつもりはない。


 命は有限だ。


 ――フロスト・ウルフだ! 囲め! 毛皮に傷はつけるなよ!


 存命中にいくら熱く燃えていようと、死ねばただの物質に成り下がってしまう。


 だからこそ、限りある時間だからこそ、静かにしていたい。無駄なことはしたくない。


 魔法の服を着ていないあの男の走力はたかが知れてる。


 いつの間にか街の外に出ていたようだ。


 「ハク」


 ん?


 この私に追いつける生き物は限られている。


 ただ従順に指示を受けるしかないバカなラビッシュ・イーター、剣を振るだけのバカなレイス、熱くなると周囲が見えなくなるバカなラピット・フライ、過保護なヒトのバカと、バカな悪魔。


 そのなかにあって、この女だけは違う。珍しく賢い生き物だ。


 マンデイ。


 「どうしてファウストから逃げる」


 そう言って魔力の導線を伸ばしてくる。


 (面倒なことをしたくない)

 「これから世界の動向は苛烈になる。いままでは看過してきたけど、これからはそうはいかない。覚悟を決めるべき」

 (覚悟がないとしたら?)

 「ファウストのまえから消えた方がいい。邪魔」

 (……)

 「ファウストのそばにいるなら、迷惑をかけないよにして」

 (どうしてお前ほど賢い生き物が、あの男に肩入れするのかわからない)

 「ファウストは賢い。ハクが思うよりずっと」


 賢い? あの男が?


 (笑わせないで)

 「ファウストの賢さが理解できるのは、なにかを失った者だけ。いまのハクには理解できない」

 (意味がわからない)

 「ファウストは病を造る。対策できない敵を簡単に全滅する毒。でもストッパーを用意するのは忘れない。病で失われる命を想うから」

 (そんなのを賢いとは言わない。ストッパーなど造らず、情けなど与えず殲滅すればいい)

 「自らの行いのせいで大切な誰かを傷つけ、自分を見失い、プライドも自恃じじもなくしてしまったファウストだから考える。相手にも大切ななにかがあると。もし毒にストッパーがなければ、そんな微妙なものなど関係なくすべてを殺し尽くす」

 (だからそうすればいい。生き物はみな等しく死ぬ。正しい行いをしていたとか悪人だとか、誰かを大切にしていたとか愛があったとか、そんなものは無価値なゴミ同然になる)

 「ならない。なぜならそこに存在していたという事実は絶対に消えないのだから」

 (感傷的)

 「違う。矜持きょうじの問題」

 (お前だけは賢い生き物だと思っていた)

 「ハクは本当の賢さを知らない。他者の痛みを知り、自らの心を傷つけながら、敵の事情をおもんぱかり、それでも戦うファウストは賢い。それを理解できず、自分のことしか考える余裕のないハクは賢いとは言えない」

 (もういい)

 「どこへ行く」

 (さぁ)


 バカばっかりだ。



 この街は嫌い。


 不干渉地帯も嫌い。


 あの男も、あの女も嫌い。


 全部、下らない。


 「ふはははは、こりゃ運がむいてきたなぁ」


 ふと気がつくと、人や獣人に囲まれていた。


 普段なら絶対にこんなことはなかったはずなのに。


 「間違いねぇよ。こりゃ狂鳥んとこの氷の白狼だ」


 なんて汚い生き物なんだ。


 いや、美しい生き物など、存在していないのかもしれない。


 「なぁ、ちょっと動くなよ。苦しめやしねぇから。俺らは闘獣士だ。お前さんを楽に仕留める技術にはちと自信がある」


 そう言うと男は、なにかを投げつけてきた。球状のものだ。


 地面にぶつかった球は破裂し、辺りに黄色の粒子を撒き散らす。



 【氷結】



 パリパリパリ


 空気中で氷漬けになった黄色い物体は、パウダースノーのようにふわふわと落下していった。


 「ははっ! こりゃとんでもねぇな」


 あの男に生み出された時からある、かすかな記憶が蘇る。


 ――親だ! 親をやれ!


 ――魔法を使わせるな!


 ジリジリと追い込まれていく。


 近くにいた同族が、身をていして私を守り、逃げろ、そう目で訴えかけてきた。


 ――親はやったぞ! あとはコイツだ!


 同族は、私の母は、最後の力を振り絞り、退路を作った。


 私は逃げなくてはならなかった。だけど……。


 雪が、降っていた。


 私や母から流れた血が、新雪を赤く染めた。


 「反応が遅い! やれる! やれるぞ!」



 【全球凍結スノー・ボール・



 「おい、マジかよ」


 記憶が消えていた。


 母の瞳。


 なぜ私を見つめる母の瞳を、忘れてしまっていたのだろう。


 最後の最後まで、私からそれることのなかった、あの瞳を。




 「おい、ハク! どこに行ってたんだ? 昨晩メロイアンの近辺で闘獣士が殺されたんだ。辺りが水浸しだったらしいから、犯人は水の生き物かもしれない。ゴロゴロしてても文句は言わないから、しばらくの間、俺から離れないでくれ。頼むよ」


 まったくこの男は。


 「おい、まて! ハクっ!」


 なぜ私がファウストのそばにいなくてはならないんだ。


 バカが移る。


 ふと、誰かの気配を感じた。


 「少しはいい顔になった」


 マンデイだ。


 やはりこの女は賢いのかもしれない。私の知らない、賢さだ。


 だけど……。


 「お、お、追いついたぞ! ハク! もう逃しません! お説教だ!」


 この男はバカだ。



 ◇ 夫婦 ノ 会話 ◇


 ワイズ君が気持ちの悪いことになっている。


 ニマニマと妙な笑い方をしながら、柱の影からデュカとミレドを盗み見ているのだ。


 「なぁワイズ君、なにしてんの?」

 「しっ、しーっ」


 ん?


 「デュカとミレドがどうかしたの?」

 「見てわかんない? いい感じなんだよ、あの二匹」


 うぅん、よくわかんないな。


 「いつもとおなじように見えるけどなぁ」

 「ほらデュカからキラキラしたオーラみたいなのが出てるでしょ? ミレドも満更でもなさそうだ。わかるでしょ?」

 「いや、わかんない」

 「あの二匹はいま、自分たちの世界にいるんだ。誰にも邪魔は出来ない。愛だけしか存在しない平和な世界だ。ほら、いまデュカがミレドの首筋に噛み付いたでしょ? あれはね、アピールなんだ。僕はあなたを傷つけることが出来るけど、そんなことはしませんよ。甘噛みするだけですよってね。ミレドはミレドで、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。デュカの気持ちを受け取り、認めてるんだ。あなたになら首筋を噛まれてもいいですよ、って。相性が悪かったら、ウロコが傷つくくらい噛み付いたり、噛まれた方も暴れ回ったらする。首筋は飛竜の急所だからね。本当に信頼していないとあんな風にはならない」

 「へぇ、でもうまくいくかな。デュカとミレドってけっこう体格差があるけど」

 「大丈夫、きっとうまくいく。愛に体格差なんて関係ないんだ。体格差だけじゃない。真実の愛のまえにはあらゆるものが無力になる。僕とウェンディさんがそうだろう? 本当に好きな人といると、立場とか状況すらチンケなものに見えてくるんだ。ほら、また噛み付いた」


 ううう、よくもそんな恥ずかしいことを、なんの躊躇もなく言えるもんだ。


 「そ、そうだね」

 「ミレドが卵を産む日も近いかもしれないね。ご飯には気をつけよう。あの二匹の愛の結晶は、僕らが守るんだ」


 飛竜のこととなると、私の旦那様は泥遊びをする子供みたいにキラキラと輝く。


 きっと何歳になっても変わらないんだろうな、この人は。


 竜舎で働いてたあの頃から、竜将なんてたいそうな役を頂戴した現在いままで、ワイズ君はなにも変わらなかった。


 飛竜を愛し、飛竜と共に生きた空の申し子。


 君はずっと飛竜を守ってあげな、ワイズ君。


 私は君の輝きを守り続けるから。


 「とりあえずさ、ワイズ君」

 「なに?」

 「ヨダレ、拭いたら?」

 「あっ、ごめん」




 ◇ 霊 ノ 支配者 ◇


 草木も生えない荒涼とした大地。


 ここがルーラー・オブ・レイスのすむ最果ての地か。


 「そろそろだ」

 「なゼわかル」

 「魂が震えるようなこの感覚。間違いない。この先に、奴がいる」


 この地に道などない。


 犬車はそうそうに捨て置き、最低限の装備だけで移動した。


 水はなく、生き物もいない。時折、思い出したように自生する草と、貧相な木、それ以外にあるのは赤茶けた大地のみ。


 厳しい自然だ。


 不干渉地帯の森とはまた違った厳しさ。生物を受け入れる余地のない、とても冷たい場所。


 「空気ガ、揺れてル」

 「空気が?」

 「来ル、大きイ」


 乾燥のために大地に走った亀裂、そこから光が漏れてくる。


 光を感じた次の瞬間、俺の体は膨大なエネルギーの波に襲われた。




 「「「ヨキ・アマル・セルチザハル、ヨナ・セルチザハル」」」


 無数の声が聞こえた。


 幾人もの男女が同時に喋っているように聞こえる。気持ちの悪い声だ。


 「お前は?」

 「「「僕(私)が、ルーラー・オブ・レイス」」」

 「その声、どうにかならないか? 気分が悪くなる」

 「「「ならない。ヨキ・アマル・セルチザハルは僕(私)であり、僕(私)が、ヨキ・アマル・セルチザハル。ヨキ・アマル・セルチザハルの内部で相克そうこくし、奔逸ほんいつする無数の観念が、ヨキ・アマル・セルチザハルの魂を攪拌かくはんする。僕(私)と、ヨキ・アマル・セルチザハルの邂逅かいこうは、まとまり、統合されていた観念の飛躍的、爆発的な破壊、そして融合と結合」」」

 「なにを言いたい」

 「「「ファウスト・アスナ・レイブの飛剣ヨル・アマル・セルチザハルおよび武神ヨナ・セルチザハルは僕(私)の一部になり、僕(私)という観念が、飛剣および武神へなった。我々は、一つ」」」

 「!?」




 「ヨキ!」

 「マ、マグノリア?」

 「無事?」

 「あぁ、なにがあった」


 もうルーラー・オブ・レイスの気配は感じない。


 ただただ荒野が広がっているだけだ。


 「わからなイ」


 なんだ。


 体のなかで燃える、この魔力は。この無数の声は。

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