第216話 閑話 春一番 ナド

 ◇ 天使 ノ 恋 ◇


 お姉様の心には愛があふれている。


 相手が小汚い労働者だろうと、リッチな若い男だろうと、知能の低い獣であろうと関係ない。出会ったすべての生き物に、惜しげもない愛を与えるのだ。


 最初は憧憬あこがれだった。


 お姉様のようになりたい。私も愛されてみたい。


 でも無理だった。


 私の心に存在している愛の泉は、お姉様と比べるとなんと貧相なことか。


 誰かがお姉様と楽し気に話しているのが気に食わない。誰かの言葉で笑うお姉様を見るのが辛い。お姉様を喜ばせるのは私じゃないといけない。


 本当の愛とは、お姉様の幸せを心から喜ぶことだと思う。


 誰が幸せにしたとか、誰が笑わせたとか関係ない。ただお姉様が幸せそうにしているという事実だけで心が満たされなくてはいけないはずだ。


 なのに私は……。


 「リズさん、そ、そ、その……。よかったら僕と――」


 ガシっ!


 「ひぃ!」

 「お姉様になんか用?」

 「いや……、もしよかったら一緒にお食事をと……」


 なんでこんな奴がお姉様と食事が出来ると思うわけ? わけわかんない。まったく釣り合ってないじゃないの。


 「エステルさん?」

 「このバカがお姉様と食事をしたいなどと妄言を」

 「いいじゃありませんか、私もちょうどお腹が空いてきました。ご一緒しましょう」


 お姉様の愛は、私には大きすぎる。


 私のような心の醜い者には、お姉様がなにを考え、なにを見ていらっしゃるのかが理解できない。


 困り果ててしまった私は、恋愛マスターに相談をしてみた。


 「へ? リズ? たぶんあの子、なんも考えてないよ?」


 間の抜けた顔で狂鳥が言う。


 「そんなわけない! お姉様はな、なにか深いお考えがあるのだ」

 「リスペクトするのはいいけどさ、何事も過ぎるとよくないよ? あの悪魔は誰よりも優しくて、温和で、アホなんだ。ただそれだけだよ」

 「あ、あほだと!?」

 「アホって言葉を辞書でひいてみなよ。戦争中の敵軍に無策で突っ込む奴、または路銀を施しに使いまくって食べ物も買えなくなる状態に追い込まれる奴って書いてあるから」

 「そんなわけが……、そんなわけがない」

 「恋愛マスター☆ファウストの意見を言っていい?」

 「うん」

 「あの悪魔はそういう性格なんだよ。もし、エステルさんが本当にリズを愛しているなら、そういう部分も全部ひっくるめて愛してやるべきじゃないかな」


 !!!


 く。


 さすがは恋愛マスター☆ファウスト。一味違う。


 「リズを独り占めにしてさ、それであの子が幸せなの? 本当の愛を語りたいならさ、多少自分が我慢しても、相手が本当に幸せならそれでいいっていうくらいの覚悟が必要なんだよ」

 「そんなのわかってる! 頭ではわかってんの! でも……、でも……」


 ばっ、と両手を広げる狂鳥。


 「おぉ、悩める仔羊よ。私があなたを導いて進ぜよう」

 「!?」

 「恋にはね、距離が必要なのだよエステル。君が近づけば近づくほど、リズの本質は見えなくなり、リズも窮屈に感じてしまう。それじゃあダメだ。誰も幸せにならない」

 「わ、私はどうすれば!?」

 「簡単なことだ。距離をあけるのだよ、エステル。君は療養所でケガ人の治療や、いつかくるであろう争いに備え、力を蓄えておくんだ」

 「そんなことをしてなんになる!」

 「はぁ、最近、エステルさんの姿が見えないなぁ。リズ、寂しい。あっ! エステルさんだ! 療養所でケガ人の治療をしている! なんて優しい天使なんだろうか! およよ? しかも次の戦いに備えて力を蓄えているぞ!? あの先を見据えた動き、アホの申し子である私には足りないところだ! 素敵! と、こうなるわけです」

 「おぉ!」

 「わかりますか? これが、駆け引きです」

 「ありがとう!」

 「泣けるぜ! 恋する乙女ってのはどうしてこうも泣けるんだ!」


 ゴクリ。


 これが……、これが、恋愛マスター☆ファウストの実力か!!!



 ◇ 春一番 ◇


 私の朝は早い。


 まずはアスナさんとマリナスさんを起こさないよう、静かにお掃除をする。


 いい家政婦はいつも屋敷を清潔にしているものだ。


 時間の許すかぎり掃除をすると、朝食の準備にとりかかる。


 本当は全部一人でしてしまわなくてはいけないのだろうけど、メロイアンに来てからは、色んな方が手伝ってくれるようになった。


 「お、おうテーゼさん。手伝いに来たぜ」


 こう声をかけてきたのは、マリナスさんの護衛、アルロさん。体は小さいけど、気持ちの大きな犬の獣人だ。


 「あら、アルロさん。いつもありがとうございます。でもわざわざあなたが来なくても……」

 「べ、別にテーゼさんの手伝いをしたいとかそういうことじゃなくてだな、ただ俺が料理をしたいだけなんだ!」


 アルロさんはマリナス商会のなかでもそこそこの地位にいる。


 本来なら料理番は下っ端や、私のような家政婦の仕事、アルロさんみたいな地位のある生物の仕事ではない。


 でもアルロさんは積極的に手伝ってくれる。本当に料理が好きなんだなぁ。


 嵐のような朝が終わっても、まだまだ仕事は残ってる。


 昼食や夕食の仕込みはもちろん、朝に手の行き届かなかった箇所の掃除の続き、洗濯、買い出し。


 マリナス商会やアスナ魔導研究会の若い子たちがフォローしてくれるから肉体的な負担は減ったけど、屋敷は広くなったし、住み込みの数が増えたから、気持ちの面での負担は増えたような気がする。


 「テーゼ、ちょっと肩を揉んでくれない? クタクタなの」

 「はい、アスナさん」


 アスナさんも最近、疲れて帰ってくることが多い。


 坊ちゃんもおっしゃっていたのだけど、メロイアンの住人は、気持ちが強いのだ。


 普通なら諦めるような魔法の修行でも、体が限界を迎えるまで気持ちが折れない。アスナさんの教育メゾットは一人で完遂できるものではないから、最後まで手がいる。常にアスナさんがそばにいなくてはならないのである。


 生徒の気持ちが強いから、必然的にアスナさんの負担も多くなってしまう。


 「大変ですね」

 「そうね。でも嬉しくもあるわ」


 その気持ちはなんとなくわかる。


 大変だからこそやりがいがあるのは、家政婦の仕事もおなじだ。


 「ところでテーゼ、あなた、結婚には興味ない?」

 「へ?」

 「うるさいのよね、色々。私としては早く落ち着いてくれると助かるわ」


 うるさい?


 「と、いいますと?」

 「テーゼがなぜ結婚しないのか、あの娘は男に興味がないのか、私たち夫婦がテーゼの結婚の邪魔をしているのではないか、そんなのね」

 「だ、誰がそんなことを!?」

 「特定の個人じゃないわ。あなたに恋をして胸を焦がす子たちが騒いでるのよ。決闘なんて話も持ち上がったらしいわ」

 「決闘……」


 なぜ私なんかのために……。


 「嫌なら無理にとは言わない。でももしあなたにその気があるなら考えてみて。誰かを愛するというのは素敵なことよ」

 「は、はい」


 結婚か……。


 でも私みたいなのが結婚なんて。


 ふと、昔のことを思い出した。


 ――あなた、名前はなに?


 ――テーゼ。テーゼ・ルグマン。


 ――どうして盗みなんてしたの?


 ――食べる物がないから。


 ――親は?


 ――いない。ずっと一人だった。


 ――ねぇ、あなたがもし嫌じゃなかったら、私のお手伝いをしてみない?


 ――お手伝い?


 ――お料理を作ったり、お掃除をしたりするの。ちゃんとお給料も払うし、休みたい時は休んでいいわ。


 ――なんで?


 ――さぁ。あなたが偶然、私のまえで困ってたからじゃないかしら。


 結婚なんて、出来るのかな。


 私みたいなのが……。


 考え事や悩み事があると手が止まってしまうのは悪い癖だ。


 それくらいのことで怒るほど、アスナさんもマリナスさんも器の小さな人ではない。でも、もっと良い家政婦になりたいから、こういう悪癖はなくしていきたいな。


 さぁ、お仕事だ。


 「テーゼさん!」

 「ん? アルロさん?」

 「花ぁ、摘んできた。もしよかったら、もらってくれないか」

 「まぁキレイ。これは水仙ですね」

 「よくわかるな、テーゼさん。俺なんか花なんて全部おなじに見えちまう」

 「昔、アスナさんに教えてもらったんです」

 「へぇ、姉さんに」


 アルロさんは無骨なイメージがあるけど、花なんて摘んでくるんだなぁ。


 「さっそく玄関に飾りましょう。ちょっとまってて下さいね。すぐに花瓶を用意しますから」


 水仙みたいに香りの良い花なら、きっと玄関に飾るべきだ。ふふふ、みんなの喜ぶ顔が目に浮かぶ。


 「いや、これはテーゼさん。あんたの部屋に飾って欲しい」

 「へ?」

 「この花は、家政婦としてのあんたではなく、あんた個人に送りてぇんだ」

 「それって……」


 ふと、アスナさんの顔が浮かんできた。


 ――テーゼ、憶えておきなさい。この花は水仙ね。寒さが和らぐと花が開くの。


 ――花なんて知っててもなんの意味もないじゃないですか。


 ――バカね、テーゼは。


 ――バカ? どうして?


 ――いつか、あなたが恋に落ちた時、花の名前も知らないんじゃ幻滅されるかもしれない。だから憶えるの。名前だけじゃない。活け方、触れ方、愛で方を。


 ――そんなもの、なんですかねぇ。


 ――そんなものなのよ。


 アスナさん……。


 「テ、テーゼさん? すまねぇ。俺、なにかマズイことを言っちまったか!?」

 「なぜ、そんなことを訊くのです?」

 「だってあんた、泣いてるじゃねぇか」


 とても鈍感な私は、アルロさんに指摘されてはじめて、自分の瞳から涙がこぼれていることに気がついた。


 「ちょっと昔のことを思い出していたのです」


 ――テーゼ、背筋を伸ばしなさい。


 ――でも、アスナさんみたいにしていると窮屈なんです。


 ――だとしても、背筋を伸ばしなさい。


 ――ううう。


 ――いつか、わかる日がくるわ。あなたが本当に誰かを愛した時、そして愛された時。女としての矜持きょうじを保ち続けてきてよかったと思える日が。


 ――うぅん。よくわかりません。


 ――鈍感なあなたでも、いつかは必ず理解できる日がくる。


 こんな私でも、誰かに愛される権利が、あるのですね。


 「アルロさん」

 「は、はい」

 「ちょっとお買い物に付き合ってくれませんか?」

 「それくらいならお安い御用だ。なにを買うんだ?」

 「花瓶が欲しいんです。私の、私だけの花瓶が」

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