第158話 水泳

 様々なパターンを想定して、スーツは【燕】を選択した。その場で戦闘するつもりはないから【鷹】【烏】は却下。


 消音性に優れた【梟】は暗闇とのシナジーはいいが、真っ昼間に静かに飛んだところで感が否めないからダメ。逃げがメインなら速いスーツ一択。


 『マグちゃん、くれぐれも水面には近づかないように』

 『わかってル』


 上空から水の本拠地である通称ヘタレ・ヒキニート島を観察。木々や土地が傷ついているような感じはない。大規模な戦闘の痕跡はなさそうだ。


 マ・カイと接触しないことにはなにがあったのかはわからないから、近づかなくてはならない。気は進まないが……。


 慎重に周囲の様子を観察しながら高度を落としていく。急に攻撃されてジ・エンドにはなりたくない。ゲームみたいにコンテニュー出来るのならいいが、いくら俺が選ばれた個体でも死ぬ時は普通に死ぬ。


 高度を落としてみると、平時となに一つ変わらないことがわかってくる。元々空への警戒が薄い水ではあるが、それにしてもだ。空の警戒は怠るなと警告したはずだが……。


 もしかして全滅してしまったかと更に高度を落とし、サーモグラスで観察。熱源はあるようだ。全滅したわけではなさそう。


 とりあえず頭が大きくて賢そうな熱源に近づいて声をかけてみた。種族はメロイアン・コネクションのサカと似たような感じ。


 魚人だろうか。性別は男。若い見た目をしている。


 急襲に備えて警戒しつつ接近。


 「すみません。スキュラのマ・カイさんはいますか?」

 「うわ! ビックリした! マ・カイさんなら知ってるが、アンタ誰?」

 「マ・カイさんの友人です。急用なのですぐに呼んできて欲しいんですけど」

 「あっ! わかったわかった。例のあれか。それなら――」


 魚人はマ・カイのいるところまで案内すると言い出した。ついていくのにリスクはあるが、いまの段階で【大風車】に戻ってもなにも出来ない。



 【シェイプチェンジ・ラピットフライ】



 「わ! なんですか急に!」

 「服を着替えただけです。驚かせてしまって申し訳ない」

 「本当に驚いた。鳥人は着替える時に光るんだね」

 「まぁ、そうですね」


 虫の代表者に精神を乗っ取られた場合のマグちゃん捕獲用スーツである【燕】の飛翔能力は半端じゃない。俺が潜伏していた獣の不干渉地帯にも飛べる生き物はいたが【燕】より速く飛べる奴はいなかった。トップスピードになってしまえばマグちゃんみたいな生物じゃない限りは、速度の有利で逃げ切れる。だがしかし、初速や機敏性という面だけで評価するならまだまだ改良の余地があると言っていいだろう。


 いくらトップスピードが速くてもマグちゃんには追いつけない。ラピット・フライの最大の特徴は機敏性なのだから、スーツもそれに対応できなければ無意味。と、いうことで創造したのが【燕】の裏【ラピット・フライ】。


 このスーツは馬鹿みたいな燃費の悪さを代償に、初速と機敏性に全振りした速度のロマンスーツ。マグちゃんの捕獲の時以外は使うことはないと思っていたが、思わぬところで出番が来た。急な攻撃に反応して距離を取るにはトップスピードよりも初速が大事だからね。


 準備は万端、なんでも来やがれ状態だ。


 赤の板が倒れてたんだから、なにもないわけがない。だが俺を案内してくれる魚人は、とてもほのぼのとした様子である。危険な事態に直面しているとは思えない。


 これは罠で、急に態度を変えて攻撃してくるパターンなんかも考えてみたのだが、魚人の男は最近恋をしているなんて話を、本当に恥ずかしそうにしだしたものだから、いよいよわからなくなった。


 いったい水になにがあったのだろう。最初は罠だろうと決めてかかっていたのだけれど、時間が経つにつれ、本当になにもないような気がしてくる。風かなにかで板が倒れただけかもしれない。辛抱できなくなって尋ねてみた。


 「ところでここ最近、なにか事件のようなものはありませんでしたか?」

 「なにも知らないの?」

 「えぇ、なにも」

 「あなたにお客さんがあったんだよ。で、鳥人の方が訪ねてきたらカトマト様のところに案内するように御触れがあってね」

 「お客さん?」

 「そうさ、あれはきっとすごい生き物だよ。みんな言ってる」

 「すごい?」

 「うん、それがね――」


 【ホメオスタシス】の揺り返しで俺が黒歴史をつくっていた頃、その男はやってきた。


 対空の守備はガバガバな水の面々であるが、その名の通り水に関していえば世界最高峰の防衛能力を誇る。だからぐるりを水で囲まれたヒキニート島を攻めようとすれば空から攻めるしかなく、といって上空をとったところで穴だらけで内部が入り組んでいるこの島への攻め手はない。しかも一度敵と認識されてしまえばカトマトの魔法やワシルの巨体が空まで届く。


 水の本拠地ヒキニート島は獣やデルアとはまた別の形の要塞なのだ。


 俺は空を飛べるが、もし飛翔能力がなくても、船を造ったり、泳いだりという選択肢はとらないはずだ。


 ヒキニート島が保有する対水中の戦力の層の厚さを考えれば、そんなのが自殺行為だというのは明白だから。


 だがその男はなんの躊躇もなく水に飛び込み、一心不乱に泳いだ。


 最初、水の兵士はその男を殺すか捕縛しようとした。


 当然だ。ヒキニート島は先代の代表者、水龍カトマトと現代表者の化け物ワシルがいる水の本拠地。近づく不審者は排除するに限る。


 しかしその男の泳ぎを見ていると、どうも心がざわつく。本当に排除していいものだろうかという気持ちになってくる。


 なぜか。その男の泳ぎがあまりにもだったからである。


 決して水に順応した体ではない。体は傷だらけで、出血もしている。足は動かないようで、手の力だけでまえに進む。いくら流れに押し戻されても諦めず、水を掻き続ける。


 ――頑張れ。


 誰かが言った。


 ――頑張れ!


 また誰かが言う。


 そな声が男に届いたかはわからない。でもそんなことはたぶん、どうでもよかった。きっと男はなにも聞こえていなくても泳ぎ続けただろうし、水の兵士も例え男の耳が塞がっていたとしても言い続けただろう。頑張れと。


 「誰もその男を助けなかったんですか?」

 「僕はその場にいなかったからわかんないね。でも彼らがなにを考えていたかはわかる」

 「なにを考えていたのですか?」

 「子供の頃を思い出していたんだ」


 水の世界の生き物のなかにも肺呼吸をするものがいる。ワシルやスキュラのように。そういう生き物は大抵陸で生まれ、泳ぐ訓練をして水に入っていく。


 彼らは傷ついた体で懸命に泳ぐその男と幼少期の自分を照らし合わせてしまった。幼い個体が泳ぐ訓練をしていたら、どれだけ不格好でも、どれだけ苦しそうでも絶対に手を出してはならない。彼らは見守り、応援するだけだ。


 ――頑張れ! もう少しだ! 頑張れ!


 俺は空を飛ぶからそう遠くは感じないが、陸地からヒキニート島は最短ルートを選択したとしても、簡単に泳げる距離ではない。


 しかし男は懸命に泳ぎ続けた。ヒキニート島しか目に入っていないように一心不乱に。


 「あの生き物は立派な生き物だ。みんなそう言っていた」

 「結局その男はヒキニ……、島にたどり着いたんですか?」

 「いや、途中で力尽きた」


 ヒキニート島の周りにはとても速い海流が存在しているそうだ。随分と昔、カトマトがこの島を根城にすると決めた時に、海底の形を変え、島を守るように水の流れを調整した。だから普通の陸棲の生き物は、島に足を踏み入れることすらかなわない。


 「死んだんですか?」

 「いや、助けたよ。あれは立派な生き物だからね」


 うぅん。なんでかな。どうも水の生き物って警戒心が薄いというか、侵略者をなめているとしか思えないような行動をとる節がある。


 空の守りを厚くしろという俺の助言も完全に無視だし、泳ぎが切実だからなんてわけわからん理由でよくわからん奴を救ったり。内戦中だというのに、この若者みたいにゆるい感じの奴が警護にあたってるのもなんか腑に落ちない。


 「それで?」

 「体がボロボロでいまにも死にそうだったんだ。だから――」


 だから彼らは立派な泳ぎをした立派な生き物をカトマトのところに運んだ。


 「カトマト様は治癒魔法かなんかを使えるんですか?」

 「そうだよカトマト様はなんでも出来るから。でも――」


 だがカトマトの魔法でも回復しきれないほど、男は深い傷を負っていた。体中の筋は切れ、ひどく疲弊し、死人のように力ない。


 「いまはどうしているんですか?」

 「眠ってるよ。とても深くね」


 もしかしてその男の生命が危険だから赤の札を倒したのかな? 俺なら救えると踏んで。


 だとしたら水の生き物の意識改革からはじめないといけない。どこの誰かは知らんが、水の本拠地に泳いで近づくなどという愚行をする者を救う暇なんて俺にはないからな。


 赤の札を倒すのはもっとちゃんとした危機が迫った時だ。


 「で、どうしてその無謀な男が僕の客だとわかったんですか?」

 「彼が言ったんだ」


 カトマトや、水の治癒魔法の使い手、医学の知識がある者が集まり、決死の治療を施した結果、なんとか男は一命はとりとめた。


 しばらくすると男は目を覚まし、言った。


 ――主君の命が、デルアが危ない。狂鳥ファウストがここにいると聞いた、会わせてくれ。


 主君? デルア? そうなってくると話は変わる。


 誰だ。


 「その男はなんと名乗ったんです!?」

 「そんなに興奮しないでよ」

 「すみません。で、誰なんですか?」

 「なんだったかな……。えぇっと……、さっきまでは憶えてたんだけどなぁ。うぅん、確かクラ……、クラなんとか」

 「クラヴァン……」

 「そうだ! クラヴァンだ! やっぱり知り合いだったんだね」


 クラヴァンか……。


 「すみません。あなたを抱えて飛んでもいいですか?」

 「え!? 空を飛ぶのには少し興味があるけどちょっと怖いな」

 「時間が惜しい。絶対に怪我はさせないからどうなお願いします」

 「うぅん。わかった。でも約束だよ、絶対に落とさないって」


 俺はすぐさま魚人用のネックガードを創造し、空へ飛んだ。


 獣はまだ情勢が落ち着かない。水は内戦中。そしてデルアも。体が一個しかないってのはどうも不便だ。どこを見ていいのかわからない。


 ちょっと落ち着いたらクローンの創造にトライしてみてもいいかもしない。

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