第142話 家族
ゲノム・オブ・ルゥが最も光輝ける場所、それは相手の意識外にポカンと存在する無の空間だ。
例えば夜の街に千鳥足で歩く男がいる。
なにかいいことがあったのだろう、えらく上機嫌だ。周囲に人影はない。闇を引き伸ばしたような、のっぺりとした暗い夜だった。
そんな彼を囲むように上空、背後、前方、近くの屋根の上に俺たちはいるのだ。音もたてずにターゲットを観察し、草むらの虎のように息を殺して機会をうかがっている。
男は、道の真ん中に可憐な少女が佇立しているのを見つけた。
遠目で見ても際立つ体のバランスのよさや美しさに胸を躍らせながら近づく。肌は白磁のように白く、美しく流れた黒髪は薄暗い夜のなかにあっても
「なにしてんだ、姉ちゃん」
あまりにも整った容姿の女は顔色一つ変えずに返事をする。
「狩り」
その場に相応しくない返答を、やはりその場に相応しくない浮世離れした容姿をした女が口にするのだ。少し飲み過ぎたのかもしれないと、男は自分の顔をこする。しかし女は彼の目前に存在し続け、この世のものとは思えないほど艶やかに微笑んでいた。
「ここには獣もなにもいやしねぇよ。いったいなにを狩るってんだ?」
ゆっくりとした動作で腕を上げる女。男はその動きに釘付けになる。
止まった腕の先、細い指が自分の方へと向けられていることに気が付いた時に初めて男は恐怖する。その少女が可憐すぎることに。そしていま自分がいる場所、メロイアンの夜の街にこんな少女がいるはずがないという事実に。
男は口を開くが声はでない。呼吸すら出来ない。
口のなかになにかが詰まっていることに気がついた時には全身の力は抜け、糸を切られた操り人形のように倒れる。世界は一瞬にして光を失った。
「やっぱり俺たちってこういうのが向いてるんだろうな」
「うん」
暗殺、潜入、テロ、裏工作。
決して表には出ない仕事だが、誰かがしないといけない。そして俺たち以上にこれをうまくこなせる奴はいないだろう。
「さて、仕事にとりかかろう」
「うん」
血液を抜くのはいい。相手が訓練されているとか精神的にタフだとか、そういう要素は関係なく弱らせられるからだ。
もちろん抜き過ぎれば死ぬ。だが俺にはいままで培った経験がある。狩りの途中、事故で死にかけたリズの治療をしたり、食用に仕留めた動物を苦しめずに楽にしてやった経験が。
生き物の血液、体液がどれほどの速度でどれだけ抜けると正常な判断を下せなくなるとか、心肺停止になってしまうとかいうことは誰よりも理解している。そしてなにより俺の隣にはいつもマンデイとマグちゃんがいるのだ。
マンデイは言わずと知れた医療のスペシャリスト。ルゥの延命、明暗から運ばれてきたリズの治療、
そしてマグちゃんも、計算を間違えて対象を危険にさらす事故から学び、そういう失敗を繰り返すうちに毒の適正量や濃度、作用と反作用、対象の体液量や健康状態などを理解して正しくアセスメント出来るようになった。マグちゃんはラピット・フライとして完成しつつある。失血による変化を観察すれば相手が現在どういう状態なのかを正しく判断できるのだ。
みんな順調に成長している。
こういう経験による成長は派手な変化ではないものの、
「さてマグちゃん毒を入れよう」
「わかっタ」
「血液が少ないから毒の量も少なめでいいかもしれない」
「うン」
ここからは本当に簡単なお仕事だ。マグちゃん、マンデイ、俺の三人が毒の量を調整しつつ投与していき、引き出したい情報を得ていく。
対象は貧血による体調不良や毒の副作用はあるものの、予後は安定しているから、元々重い病を患っていた、みたいな特殊なケースでない限り死ぬことはない。
そして貧血プラス毒の最大の利点は、自分が経験したものが果たして夢だったのかの判断がつきにくい点にある。
暗殺用スーツ【蚊】は痛みや傷をつけずに血液を吸いとるから、襲われたことに気がつかない。意識が戻ってもマグちゃんの毒でフラフラ。なにが起こっているかがさっぱりわからないまま質問をされ、情報を奪われ、また眠らされる。そもそも俺たちのことを敵だと思っていないからガードも緩い。
「おはようございます」
俺が言うと、毒を打たれた男が虚ろな目を向けてくる。
「誰だ、お前さんは」
「僕はアレンといいます。リザードマンに憧れる
「ふふふふふ。面白れぇ。キコリに憧れるリザードマンだってよ」
うぅん惜しい。
「そうそう、キコリに憧れてるんです。ところであなたの名前は?」
「グレン」
「初めまして、どうぞよろしく」
「おう、よろしくなぁ」
この人はいま夢と現実の狭間にいる。吸血と毒、すっごく楽だ。これからも多用しそうな気がする。暗殺用スーツ【蚊】、いいものを造った。
「実はグレンさんはすごい人でしょ?」
「あったりめぇだよアレン。ボイド食肉加工の突撃槍グレンと言ったら知らねぇ奴はいねぇ」
異名があるのか。
こんな時間にメロイアンを一人で歩いている時点でそこそこ腕の立つ奴だとは思っていたが、想像以上に大物かも知れん。
ん? 突撃槍……。大物か?
「なるほど、あなたがボイド食肉加工の突撃槍グレンさんでしたか。さすがに大物、雰囲気がある」
「そう、俺がボイド食肉加工の突撃槍のグレンさ。泣く子も黙るグレン。鬼のグレン」
鬼のグレン。この人が【セカンド】である可能性も……。
ないか。口を塞いだ時の対応に光る物を感じなかった。突撃槍という異名もに引っかかる。捨て駒臭がぷんぷんしてくるじゃないか。
「で、そんな大物のグレンさんにお願いがあるのですが」
「おうおう、なんだぁアレン。このグレン様に言ってみろぉ」
「五年くらい前に現れた狐の獣人を探しています。金色の毛、魔法が得意。心当たりは?」
俺がそこまで言うと、急にグレンの態度が荒々しくなる。
「てめぇ、デルアの人間だな? ちょっとまえにも来やがっただろうが。マンデイさんになんの用だ、あぁん? このグレン食肉加工の突撃槍ボイド様の拳骨を食らいたくなかったら……? グレン食肉加工……、ちげぇや、ボイド食肉加工の突撃槍のグレン様だ」
ん?
「ん? いまなんて言いました?」
「だからグレン食肉加、ちげぇ。ボイド食肉加工の突撃槍――」
「違う、そのまえ」
「てめぇ、デルアの人間だな?」
「違う、その後」
「んなの一々憶えてねぇやい! とりあえずてめぇはぶっとばす。話はそれからだ」
うぅん、まどろっこしい。
「で、マンデイさんはいまどこに?」
「あ? あぁマンデイさんなら屋敷さ。あの方は立派なお方だぁ。本物の極道がいるとしたらマンデイさんしかいねぇ」
怒ってたと思ったら急に素直になった。毒で酔ってる相手はどう動くかわからんな。だがいい感じに話が進んでくれている。
アスナの特徴を伝えて真っ先に名前が出てきたのがマンデイなる人物。こんな偶然があるはずがない。ほぼ確実にこの街のマンデイはアスナだ。しかし本物の極道とはどういう意味だろう。あまりいい予感はしないが、とにかく会ってみないことにははじまらない。
『マンデイ』
『うん』
ここは阿吽の呼吸、アイコンタクトで俺の意図を読みとったマンデイが魔力の導線をグレンと俺に繋ぐ。映像の通訳だ。
「ねぇグレンさん」
「なんだぁアレン」
「マンデイさんの姿を思い浮かべてくれませんか」
「マンデイさんの姿だぁ?」
「お嫌ですか」
「嫌じゃねぇよ」
酔っ払いの相手は本当に手間だ。常に二度手間。無駄なラリーが増える。
送られてきたのは俺の知るアスナそのものだった。痩せてもいないし、やつれてもいない。服は上等な感じで、そしてなにより彼女の隣には……。
「マリナス、テーゼ」
「ファウスト!」
「あぁ間違いない。この街にいるんだ!」
テンションが上がってきた。叫びたい気分だ。だけど本物の極道ってなに? 本人だとわかったら余計に気になってきたんだけど。
まぁいい。そんなのは後だ。
「ねぇねぇボイド食肉加工の突撃槍のダンディなグレンさん。お願いがあるんだけど」
「なんだぁアレン。なんでも言ってみなぁ」
「マンデイさんの家、お・し・え・て」
「お安い御用さぁ。なんたっておらぁボイド食肉加工のダンディな突撃槍、グレン様だからなぁあ! ははははははは」
アスナの家の情報を読み取った後、今回の功労者に感謝の言葉を述べ、胸元に多少の金を押し込んで、ボイド食肉加工のグレン様を不法投棄した。毒で変な感じに酔っ払ったおっさんを家まで送り届けてやるほど俺たちは親切じゃない。
「マンデイ、朝が来るのをまってからアスナに会いに行こう」
「いまがいい」
「さすがに夜中に寝室に忍び込むのは失礼だろう?」
フルフルフル、と首を振るマンデイ。
「いまがいい」
なんか昔に戻ったみたいだ。
俺だって会いたくてしょうがない。朝が来るのなんてまってられないって気持ちはよくわかる。
「よし! 行こうか」
「うん!」
ゴミ溜めみたいな夜の街を、俺たちは駆けた。まるで競争するみたいに。
アスナとマリナス、テーゼの三人が住む家は、まるで城だった。パッと見た感じで高級な物だとわかる門、サーモグラスで確認できた護衛らしき人影。なぜこんな家に住んでいるのだろうという疑問はあった。だが、そんなことはすっかり忘れてしまうほどに気分は高揚している。
ハクを目立たない所で待機させ、なにかが不測の事態が起こったら吠えるように指示、サササッと家に侵入、パパパッと護衛を襲って情報を得ると、真っ先に行ったのはアスナとマリナスが眠る寝室。
昔のままだった。なにもかもが。
が、一瞬、嫌なことを考えてしまった。
『ファウスト?』
と、マンデイ。
『アスナとマリナスが侵略者に感化されている可能性がある』
『ファウストなら対処できる』
『恨まれているかも』
『だとしたらちゃんと謝るべき』
……。
わかってる。だがどうしても思い出してしまう。まったく両親に愛されていなかった前世の記憶を。うまくいってる時はよかった。でも状態が悪くなった俺に対して彼らは――
マンデイがギュッ、と俺の手を握ってくれた。
『大丈夫』
そうだな。きっとなんとかなる。
『あぁ』
いける。大丈夫。マンデイが言うんだ。きっと大丈夫。また昔に戻れる。
「父さん、母さん」
面白いほどに声が震えていた。さすがは小心者。大事な場面でカッコがつかない。
目を覚ましたのはアスナ。
彼女は俺の顔を見た瞬間にすべてを悟ったようで、バッと抱きついてきた。
「ファウスト? 本当にファウストなの?」
「うん」
「これは夢かしら」
「たぶん、違うと思う」
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