水 ノ 内戦

第101話 別レ

 前世の生活に戻りたいかと問われたら、迷うことなく答える。戻りたくないと。


 集団生活から脱落してしまった人生はひどく惨めで、暗い。


 思えば前世は平坦な毎日だった。得体の知れない恐怖、名状し難い焦燥、変化のない日常。ただ狭い部屋の中には、もうもうと負のエネルギーだけが溜まっていった。


 神様に拾われて良かったと思う。ちょっとドジっ子で説明不足で強引で自分本位で後先考えないところはあるが、まえの世界から救い出してくれたことは本当に感謝している。


 こっちに来てから、様々な経験をした。


 魔法なんてファンタジーという認識だった世界から、魔力の概念がある、この(偉大な世界)に再構成されたのだから、魔法関連の経験はもちろん初めてのことばかり。


 誰かを保護したいと思ったのも、誰かが傷ついたことで自分の一部も傷ついたように感じたことも、誰かを死ぬほど恨んだことも、誰かを心から尊敬したこともなかった。


 そして、大切な相手を失う経験も……。


 規格外の魔術師ル・マウが息を引き取ったのは、まるで世界中が泣いているような暗い雨の降る、明け方だった。


 最後に言葉を交わしたのは、彼の調子がいい時にした戦勝報告の時。


 俺はおおよその戦いの流れを要約して伝え、結びに感謝の気持ちを口にした。


 「ありがとう、だってぇ」


 極端に寡黙な男の返答は、いつも通り短いものだった。彼は命を終えるその瞬間まで、生きている頃とおなじようになにかを考え込んでいるような難しい顔をしていて、やはり生きている頃とおなじように物静かだった。


 ルゥはこんこんと眠り続け、一週間後の明け方、睡眠の延長線上にあるような静かな死へと辿り着いた。


 世界最高の魔術師の隣で、森の小さな妖精、厄災最後の生き残りマクレリア・バルグ・トレンチンもその生を終えた。


 自らの死期を悟った彼女は、枕元に俺とマンデイ、マグちゃんを呼び寄せ、こんな言葉を残した。


 ――君はすぐにカッとなるから気をつけないとね。なにか大きな事をする時は、まず考えてから行動するんだよぉ。


 ――はい。


 ――それと神様からもらった能力に頼りすぎちゃダメ。いつも努力をしておかないと。


 ――はい。


 ――マンデイちゃん。ファウスト君はおバカだからしっかり支えてあげてねぇ。


 ――うん。


 ――時には鉄拳制裁してもいいから。私が許可する。


 ――うん。


 ――マグちゃん。素敵な恋をするんだよ。美味しい物をいっぱい食べて、綺麗なものに沢山ふれるんだ。


 ――マクレリア……。


 ――幸せになるんだよ。


 ――わかっタ……。


 マクレリアとルゥの遺体は、腐敗防止のために創造した布と棺桶に収め、彼らが五百年もの間暮らした家の庭に埋葬した。


 悪魔のブルジョアで、最も教養があるリズが祈りの言葉を唱え、残された我々は嗚咽まじりのリズの祈りを聞きながら、それぞれに不干渉地帯の奇妙な住人との思い出に浸った。


 戦争、そして伝説の魔術師の死は、この世界に大きな変化をもたらした。


 まずはデルア王国の面々。


 闘将ユキ・シコウは重傷を負ったものの、持ち前の体の強さとアシュリー教の信徒の懸命な治療により回復した。現在は王都復興に専心している。


 舞将リッツ・アン・デガルステンは行方不明。


 戦闘で負った傷を治療中に何者かに襲撃された。襲った方もかなりの手練れだったようだが、リッツは野生の感と生存本能でなんとか逃げ切ったらしい。事情を訊きたい王国は彼の捜索を開始するが、行方はようとして知れず。


 そして竜将のワイズ君だが、ミクリル王子に説得され、王国に戻ることになった。逃亡のとがを追求しない、飛竜をぞんざいに扱わないという破格の条件付きだ。


 表向きには竜将ワイズはさらわれた王子を救出するため、部下のウェンディと二人で神の土地に侵入し、見事王子を救ってみせた、ということになっている。


 まぁ、実際は俺たちの作戦の手助けをしていたわけで、その様子を目撃していた兵士もいたはずだ。軍内部での彼らの立ち位置は微妙なものになるかもしれない。だがあの二人なら大丈夫だと思う。ワイズ君はまぁアレだけど、ウェンディさんは優秀そうだし。


 困ったことになったのは魔将ドミナ・マウだ。


 すべてを終えて、さてドミナを焼却処分しようかという段階になって彼の死体がないことに気がついた。どのタイミングで消えたのかはさっぱりわからない。ドミナがこの世界を崩壊させる因子になると判明しているから拘束するなりやっつけるなりしておきたかった。逃げられたのは痛い。


 【ブルジャックの瞳】があれば追跡も楽なのだがのう、という犬っころの小言は華麗に無視するとして、なんらかの対策はしなくてはいけないだろう。


 次に不干渉地帯の話。


 生物の大量発生スタンピードで崩壊した壁の一部はそのうち修復されるらしいのであまり問題視していない。悪戯されないようにシェルターを創造したのだが、まぁそんなことをしなくても不干渉地帯にちょっかいかけてくるようなおバカちゃんはいないだろう。


 問題は別にある。


 圧倒的強者というものは概して孤独だ。


 神の土地の主、ムドベベ様も例外ではなく、彼はその力ゆえに孤立していた。そんな孤独な主を癒したのはやはり強者、稀代の魔術師ル・マウだった。が、彼はもういない。盟友を失った怪鳥の悲しげな鳴き声は、不干渉地帯じゅうに響き渡った。


 このままであまりにも不憫ふびんだというので動いたのはフューリー。なんとムドベベ様を自分のパーティーに加え、共闘すると言い出した。


 「え? でもムドベベ様はここの主でしょ? 抜けたら不干渉地帯はどうなるんですか?」

 (主が消えれば新しい主が生まれる。ハマドを失ったこの地がムドベベを生み出したようにのう)


 そりゃないよと思ったのは俺。


 ムドベベ様ってステージギミック的な存在だと思ってた。スカウト出来るならしたかったわ。


 ていうかフューリーさん家は過剰戦力じゃないっすかね。フューリーはいわずもがなだし、条件さえ整えればジェイは鬼のように強いし、そのうえムドべべ様が加わるとなると手がつけられなくなりそう。ていうかムドべべ様は空中戦が得意なスタイルだから空を飛べる俺と一緒に行動したほうがいいと思いますよ?


 と考えないではなかったが、口には出さなかった。というより出せない。俺が傷心のムドべべ様の精神的なケアを出来るとは思えないし。


 「確かにムドべべ様を支えてあげられるのはフューリーさんしかいないでしょう」

 (うむ)


 俺は密かに誓った。絶対にフューリーのパーティーともめるようなことはしないと。


 最後に俺たち、ゲノム・オブ・ルゥにも変化が。


 変化には、歓迎すべきものと、受け入れがたいものがある。


 今回、我々が経験した変化は、なんの疑いもなく、純粋に最悪で、受け入れがたい種類のものだった。


 不干渉地帯という特殊な場所で知り合った我々の結束は、いつも眼前の危機に対して結束し、集団としてのエネルギーを獲得していたように思う。


 デ・マウが現れるまでは環境が敵だった。過剰に傷つけたり、悪意をもった攻撃をすると、土地の怒りを受ける。神の土地で暮らすというのは、いつも死と隣り合わせなのだ。だから狩りの時もよく連携していたし、仲が良かった。


 もちろんデ・マウと争っていた時期も、常に仲間の行動や安全を気にかけていた。だが、デ・マウ打倒を成功させてしまったことで当面の敵がいなくなってしまった。


 敵という繋がりを欠いた我々は新しい関係性を築く必要に迫られた。グループではなく、個と個で触れ合わなくてはいけなくなったのだ。


 新しい関係性を築く時に最初に現れる二択。これからも一緒にいるか、それとも別れるか。


 かりに相手に嫌な部分があるとする。これからも一緒に活動したいと思うのなら、問題を解決するためになんらかの努力をすべきだろう。だが、それでももし相容れないなにかが残っているのなら、その人たちは離れるべきなのかもしれない。


 ゲノム・オブ・ルゥには可哀想な悪魔がいる。誰よりもひたむきで、ちょっと不器用で、共感的で、優しい悪魔だ。


 彼女は此度こたびの戦争で数々の敵兵を下してきた。デルア軍のキーマン、弓将ルベルや、魔将ドミナの一部だ。討ち取った数だけに言及するとそこまで多くは感じないが、質がずば抜けて高い。間違いなく今回の戦闘のMVPはリズだろう。


 彼女の戦闘スタイル的に、相手を弱らせて戦闘不能にする、なんて器用なことをするのは難しい。ライフルで負わす傷は、深くて致命的である場合がほとんどである。攻撃をしないか、あるいは殺すか。だから彼女は引き金を引く度に心を擦り減らしていっていた。


 リズベットは生物の命を奪うということに、極端に抵抗があるのだ。とても優しい性格、そして仕事と割り切って殺せるほどの器用さもない。


 壁上に姿を現し、弓将ルベルを釣り、仕留める。簡単な作戦だった。そしてリズは俺に指示された通りに動き、見事に任務を完遂してくれた。


 が、その過程で、いままで心の底に蓄積していた戦うことへの嫌悪感とか恐怖を思い出してしまうような事件が発生した。


 初弾、リズベットの狙いはルベルの肩だった。俺が出した指示はルベルに釘付けにされないように、負傷を狙ってみましょう、というものだった。リズの発した弾は、なんの迷いもなくまっすぐに飛び、ルベルの肩を貫通した。


 よかった! ちゃんと出来た! 次のターゲットを探さなくちゃ……


 「鳥肌が立ちました。ルベルさんの洗練された害意を感じてしまったのです」


 当時、リズベットの頭のなかには【ホメオスタシス】が埋め込まれていた。常に冷静な判断をしていたはずのリズが、恐れ、混乱し、すぐに逃げ出さなくてはならないと思い込むほどのプレッシャーを感じたのだ。


 「あの人、両足で弓を固定し、矢を射ろうとして来ました。次に私が撃つべきだったのはたぶん足でした。でも」


 銃口は無情にもルベルの頭部に向けられていた。


 「本能みたいなのに近かったのかもしれません」


 最初、我々にきた【ホメオスタシス】の揺り返しは勝利による喜びの発露だった。しかしリズに来た揺り返しは後悔、自責、恐怖。


 「すみません、ファウストさん。もう私は戦えません」

 「いつかこんな風な日が来るのではないかと考えていました」

 「本当にすみません。あの姿が頭から離れないんです」

 「あの姿?」

 「足で弓を抑えて、片腕だけで私を射ようとした時のルベルさんの顔が。殺意、使命、驚き、恐怖、絶望。私は彼を殺しました」

 「でもそのお蔭で皆の命が助かったのです」

 「私……、ファウストさんの元を去ろうかと思っています」


 この悪魔の精神的な限界はいつかくるとは思ってた。だが想像よりずっと早かった。


 その生き様でこちらのエースを戦闘不能にした。さすがは大国デルアの将といったところか。


 「困りますね。実に困る。でもそれもいいかもしれない、とも思う。戦いでリズさんの心が傷つくのなら、もうこれ以上その場に身を置くのはよくないでしょう」

 「本当にすみません。命を救って頂いて、生活の保護までしていただいたのに……」

 「それは構いません。リズさん、いままで本当にありがとうございました。ところでゲノム・オブ・ルゥを脱退した後はどうされるんですか?」

 「そう……、ですね。戦いには抵抗があります。ですが、私はもう世界が危機に瀕しているという事実を知ってしまいました。不幸な人達を減らすために、私が出来ることを模索してみようかと思います」


 ……。


 なにそれすっごく不安なんですけど。


 こいつ絶対するやん。侵略者と対話しようとしたりするやん。争いは止めましょうとか言ってさ。俺知ってる。この手の性格の人は死ぬまで治らない。一人で敵陣に突っ込んでいく感じだ。


 「僕なりに色々考えてみるから、ゲノム・オブ・ルゥからの離脱はちょっとまっててもらっていいですか?」

 「え? あっ、はい、わかりました」


 マズい。こりゃマズい。なんとかせねば。

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