第64話 潜入 王都 Ⅲ

 「明後日のこの時間、またここにくる。飼い主に伝えろ。一切の証拠を残さず、完璧に仕事をする男が現れたと」

 「はい」

 「オキタの仕事は全部、俺が引き受ける。貴様は俺の補助をしろ」

 「はい」

 「報復なぞ考えるなよ? その時は貴様の家族も、友も、女も、みんな俺に食われると思え。俺は甚振いたぶって殺す方が好みなのだ。楽に死ねると思うな」

 「はい」


 男は首振り人形状態になっている。こちらとしては扱いやすくて助かるが、この状態でしっかりと仕事をこなしてくれるかどうかが不安ではある。


 『マグノリア』

 『な二』

 『ファウストの元に飛んでくれ』

 『なにヲ伝えル?』

 『すべてがうまくいった、と』

 『わかっタ』

 『それと、こうも伝えてくれ。俺が行動を起こすたびにお前が来ていたら、いつか繋がりがバレる。定期の連絡以外は大人しくしていろ、と』

 『わかっタ』


 アイツの過保護は病気の域だからな。一々指示を出されたんじゃ動きにくくてしょうがない。


 しばらくオキタ邸の片付けをしているとマグノリアが戻ってくる。


 「ファウスト、カンカンに怒ってタ」


 まぁ予想通りだな。


 「そうか」

 「戻っテ来いっテ言っテル」

 「戻りたいなら戻れ。俺はまだすることがある」

 「私ハ、残ってもイイ」

 「そうか」

 「……」

 「アイツのことだ、今晩にでも連絡に来るだろう。その時にゆっくり話すさ」

 「うン」


 オキタの指輪も回収しておくか。なにかに使えるだろう。




 「問題ないか?」


 リズベットは【昇天】に戻ってきてから、口を開いていない。じっとどこか一点をみつめながら考え事をしているようだ。


 殺しをさせたのは間違いだったかもしれない。アイツにはマグノリアの侵入経路だけ確保させればよかった。


 「なにも」


 形だけの笑顔を作る悪魔が、とても不憫だった。素直に俺を責めてくれた方がまだマシだ。どうして殺しなどさせたのか、と。


 自分の目的のためにする殺しと、生命維持のためにする狩りでは根本が違う。


 リズベットがいままで奪ってきた命は、血となり肉となり、リズベットの命を支えてきた。それに獲物は、喋るほどの知能もない、比較的シンプルな行動原理で動く動物だった。だが、今回は違う。相手は社会のなかで生きる高い知能をもった生き物であり、俺たちの利己的な理由で葬り去ったのだ。


 リズベットがなにを考えるか、どう感じるかに配慮しなかったわけではない。


 しかしどうだろう、コイツ抜きで作戦を決行したとしても、また別の葛藤が生まれていたのではないだろうか。自分の無力さや弱さを嘆く、自己嫌悪の葛藤が。


 それでも俺はコイツに殺しをさせるべきではなかったのかもしれない。どちらを選んでも思い悩むのなら、せめて綺麗な身体のままの方がよかった。


 俺はかつて野盗を斬った。強盗を斬り、敵対する一族を斬り、裏切った仲間を斬った。だがコイツは違う。俺とは違う世界に生きて、違う生活を送ってきたのだ。


 これからもファウストに敵対する集団なり人物は現れるだろう。そして、その度にリズベットはこうやって思い悩み、苦しむのかもしれない。


 「おいリズベット」

 「はい、なんでしょう」

 「お前はファウストの力になりたいのだろう」

 「えぇ。そうです」

 「なら、ファウストの元から去れ」


 リズベットが大きく目を見開く。言葉はない。頭がうまく回っていないのだろう。


 「お前に殺しは向かん。もしファウストが本当に知の代表者なら、これからもアイツのまえには敵が立ちはだかる。思想をもった敵が現れるかもしれない。一見すると善良であるように見える敵が出てくる可能性もある。そのたびにお前は葛藤し、思い悩む。その邪念がお前の腕を鈍らせる。俺たちの最後尾にいるお前の気の迷いは、いつか味方を傷つけるだろう」

 「……」

 「お前に帰る場所があるのかどうかはわからん。が、ファウストと共に行くよりは楽な生活が送れるはずだ。葛藤もない。自らのおこないにさいなまれることのない、平和な生活が」

 「……」


 悪魔の目から涙が零れる。


 この女はよく泣く。感情の表現が直線的なのだ。


 俺は、リズベットのこういう部分が、どうも好きになれない。


 「その沈黙は肯定と受け取っても構わないか?」

 「……」

 「ファウストには俺から話しておく。文句も言われまい。おそらくアイツは今夜にでも連絡に来るだろう。その時に連れて帰ってもらうといい。あとは好きにしろ。お前ならどこででもやっていける」


 涙が大粒になり、呼吸も荒くなる。


 弱ったな。別に残念でもいいし短絡的でも構わない。が、こうなると、どう接していいものかわからん。


 俺はひたすら涙を流すリズベットを眺めていた。なんと声をかけていいものやら。


 しばらく、そのまま時間が経過した。マグノリアの羽音、往来の男の笑い声、そして悪魔の鼻をすする音。


 「私は……」


 と、リズベット。俺は黙って腕を組んだまま、リズベットの言葉に耳を傾ける。


 「私はこの世界が大好きでした。皆……、皆優しくて、温かくて……。私は、この世界が大好きだったんです。

 昔、父に狩りに連れて行って貰いました。朝露が降りた葉を踏みしめて、澄んだ空気のなかで深呼吸をして、冷たい川で顔を洗いました。

 大きな獲物を捕らえると、解体屋のマルトさんが褒めてくれました。武器屋のデガンさんは頭をなでてくれました。綺麗な花が採れると、近所のワジお婆ちゃんに届けました。ワジお婆ちゃんの卑曾孫さんはまだ幼い男の子でしたが、私の顔を見ると駆け寄ってきて、足にしがみついて、しょうらいオネェちゃんとけっこんするんだ、って言ってました。

 ある日、父が殺されました。

 殺した悪魔のなかにはマルトさんがいました。デガンさんも、ワジお婆ちゃんの卑曾孫ちゃんも。

 彼ら……、冗談が好きで、優しくて、幼くて、そんな善良な悪魔が、私の父に石を投げたんです。なにがなんだかわかりませんでした。嘘だろうと思いました。何度も頬をつねりました。でも、夢じゃなかった。

 フューリーさんに聞きました。

 侵略者に感化された生き物に歯止めは効かないと。かつてどんなに親切だった生物でも、かつてどんなに思いやりがあった生物でも、そんなの全部なかったことにして争うのだと。

 世を呪い、苦しんだ生物は侵略者にとり込まれます。また私の父のような不幸な生き物が生まれます。石が投げられます。汚い言葉を浴びせられます。そして、そんな世界に絶望した生き物がまた、闇に落ちます。

 そんなのってないです。嫌なんです。

 私は……。私は逃げません。これ以上、誰も傷つかないように。誰も苦しまないで済むように戦い続けます。例え鈍臭くても、例え殺しに向いていなくても」

 「ヨキ。リズは戦えル」


 確かに戦えるかもしれん。


 が、コイツは優しすぎる。いまはそう考えているかもしれない。しかし、いつまでそう考えていられるだろうか。糸が切れた時、コイツは……。


 「私の武器、銃を造ってくれた時にファウストさんが言ったんです。

 撃つ時にはなにも考えてはいけません、って。責任も重圧も恐怖も自責も。ただすべきことだけをしてください。そういうのは終わった後にゆっくり反省しましょう、って。

 もう私は悩みません。侵略者を倒した後、全部終わった後でゆっくり考えます。

 ヨキさん、色々すみませんでした。もう大丈夫。

 私には銃があります。これはファウストさんが長い時間をかけて、試行錯誤して造ってくれた武器です。スーツもあります。仲間もいます。

 だから……。

 だから安心して後ろを任せてください」


 そうか……。


 そうか。


 「おいリズベット」

 「なんでしょう」

 「殺すことが恐ろしくなったら、気持ちが折れそうになったら、俺に言え。お前のまえに立ちはだかる敵はすべて俺が斬ってやる」

 「はい。お願いします」


 こうしていると、リズベットの新たな面にいくつも出くわす。想像以上に残念だったり、人たらしだったり、強かったり。


 初めは不安しかない王都潜入だったのだがな……。

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