第49話 敵 ノ 正体
「おはよう、ファウスト」
目を覚ますとマンデイが俺の顔をのぞき込んできた。春の日の湖面のような薄いブルーの瞳のなかに、パンパンに顔の腫れた自分の顔が映っている。
体が痛い。どれくらい寝てたんだろう。
「おはようマンデイ。俺、どれくらい眠ってた? すっごく眠った感じがするんだけど」
「丸一日」
「体中が痛い。なにか食べるのある? 腹が減って死にそうだ」
「もってくる」
食事は熊手のスープだった。長時間眠っていた後にこれはキツイ。胃がもたれる。
この世界で再構成されてから色々な物を食ってきた。だから大抵のものは我慢できるんだけど、熊の手は好きになれない。まぁ食べるんだけどね。
「さて話してもらいましょうか、マクレリアさん」
「うぅん……。どうしようかな。君たちが成長して頼りになるようになったってのは認めるよ。でもね、私たちの敵はファウスト君が想像しているよりヤバい奴なんだよねぇ」
「誰です?」
「デルア王国の影、ルゥの兄、魔術師デ・マウ。たぶん君をこの場所に追い詰めたのも彼、そしてこれからも君を消そうとするだろうね」
「まったく、とんでも兄弟ですね。お兄さんも何百年って生きてるんですね」
「生きてない。生物としてはとっくの昔に死んでる。彼はね……」
それから俺はルゥの兄、デ・マウの使用する魔術についての話を聞いた。
デ・マウの十八番は相手の精神のコントロールと乗っ取り。
特殊な薬品と施術を用いて相手の人格を壊してしまう。そして、そのなかに自分自身の精神を移植する。彼はそうやって新しい体のなかに自分の精神を残しつつ、意思を
「無茶苦茶ですね」
「うん、だからデイは世界中の生き物から嫌われてる」
「ん? デ・マウがそうやって他人の人格を奪うっていうことを、みんなは知ってるんですか?」
「それだけじゃないからねぇ、デイの悪行は」
「とりあえず話を進めましょう。デ・マウの精神を奪う魔術はどう対策をすればいいんですか?」
「昔、ルゥの子供たちがデイから心を奪われるのを防ぐ魔術を考案した。ルゥの子孫はいまも活動していて、魔力量の多い人間や才能のある人間にデイに抵抗する魔術を施してるの。体を乗っ取られないようにね」
なんかワクチンの予防接種みたいだな。
「その人達とはどうやったら会えますか?」
「さぁね。ここに来るとは思えないねぇ」
「なるほど」
よくよく話を聞くと完全に精神を乗っ取るまでには一週間程度の時間がかかるそうである。つまり捕虜にでもならない限り問題はない、ということだ。
逆を言えば、マンデイやリズが敵方に捕まってしまった場合、一週間以内に救い出さないと体を乗っ取られる危険性があるということ。これは肝に銘じておこう。
「ていうかルゥ、子供がいたんですね」
「ずーと昔の話だから、全員もう死んじゃったけどねぇ」
「へぇ。相手は誰だったんですか?」
「レイブンだよ。レイブン・ガウニチ・ブロンズスター。戦う使用人」
「ですが……」
マンデイはコクコクとうなずいている。知ってたのか?
「レイブンのモデルは実在してるんだよ。でもメイスを振り回したりなんてしない。彼女は最後までアシュリーの友人で、使用人だった。争いを好まない、甘い物と編み物が大好きな、どこにでもいる平凡な女性だったんだ」
マンデイは……。驚いてる様子はないな。やっぱり知ってたのか。
「ルゥはレイブンを、レイブンはルゥを心から愛していた。いまもルゥがレイブンのことを考える時、胸が締めつけられるんだ。恋する乙女みたいに。その度に私もルゥの感じている寂しさとか、愛を感じるんだよ」
「なんだか、面倒臭そうですね」
「そうなんだ。すっごく面倒なんだよぉ」
デ・マウの話に戻る。
彼が使う魔術でもう一つ厄介なものがある。
魔術封じの魔術である。
魔術式や、魔術に影響された物に触れるだけで解術してしまう、すべての魔術師の天敵だ。ちなみにルゥかマクレリアのどちらかが触れられてしまうと体内の通路が破壊されてしまう。そうなればマクレリアは必ず死ぬ。
ちなみに五百年前、魔術の通路を使えるルゥが王国の魔術師、魔法使い軍団に捕まった理由がこれだったりする。
「最悪の相性じゃないですか」
「正攻法で戦うはずないじゃん」
「どうするつもりだったんですか?」
「ルゥが大規模な魔術で人目を引いて、デイをおびき寄せる。そして私が毒を入れる。以上」
「成功すると思いますか?」
「やってみないとわからないねぇ」
デ・マウがどういう人物かは知らないが、たぶん成功しないと思う。
俺は創造する力を授けられた。だから時間さえもらえば大抵のことには対処できる。だがもしこの能力がなかったとしても、準備をする余裕とある程度の基礎戦闘力があればラピット・フライの対策が出来ると思う。
ラピット・フライの対策をしてみて思った。
彼らと戦うだけなら対策するのは毒だけでいいのだ。
ガスマスクのようなもの、全身を覆う防具のようなもの、それさえ準備してしまえばラピット・フライと普通に戦えてしまう。なぜなら彼らには牙もなければ爪もないから。
毒という特殊な魔法が使えるということは、他の魔法は使えないということ。つまり彼らには防具を突破する術がないのだ。
ラピッド・フライに出来ることは二つ。速く飛ぶ事、そして毒を生成する事、これだけ。だからラピット・フライという生物は、完璧に対策されるとなにも出来なくなってしまう。
ルゥの近くにマクレリアがいると知っていて、その対策をしない程デ・マウは残念な人物なのだろうか。いや、それはないだろう。絶対になんらかの対策をしているはずだ。
「じゃあ僕たちの目的はデ・マウを捕まえる、もしくは殺害すること、ですね」
「捕まえるのは諦めた方がいい。無理だから。ルゥを捕まえられる?」
「うぅん。無理っぽいですね」
「それにねぇ、いまはチャンスなんだ。デイはいま衰弱している」
「ん? なぜです?」
いままで使っていたデ・マウの体が、死滅した。
デ・マウは新しい体に切り替えを行ったのだが、魔力の多い者、魔術と親和性が高い者はすべてルゥの子孫が唾をつけている。それでもいままではルゥの弟子の家系からの略取や、デルア以外から子供を誘拐したりして解決していたのだが、ルゥの子孫は、長い時間をかけてすべての選択肢を断ち切っていった。
追い込まれたデ・マウは、ごく普通の人間の体を奪うことになった。大量の魔力を消費する魔術師にとって、魔力の少ない一般的な人間の体で活動するというのは重い枷をつけて活動しているのうなものだ。
「いまなら勝てそうなんですか?」
「弱っていたとしても正面から突破できる相手じゃないねぇ」
「戦闘スタイルはどんな感じなんですか?」
「支援だね。味方を強化して敵を弱体化させる。精神を弄って士気をコントロールする。魔法は基本なんでも使える。そんな感じかなぁ」
「支援系ってことは、孤立させてしまえばなんとかなりそうですね」
「そんなにうまくいくと思う?」
「そんなこと言い出したら倒すのだって無理ですよ」
「だから無理だって言ってるじゃん」
「空から強襲、デ・マウを誘拐して袋叩き、みたいなのはどうですか?」
「デイの支援が届く場所に一人でも敵が侵入しまった時点で負け。それくらいに考えておかなくちゃダメ。距離を詰めてる間に感知されて君はヘロヘロ、強化された兵士に返り討ち」
「デ・マウの支援はそんなに強力なんですか?」
「実際に戦ってみたらわかるよ」
敵にかかる弱体化も強力、味方にかける士気高揚、身体能力の強化もハイレベル。デ・マウ一人が戦場に立つだけでパワーバランスが一気に変化してしまう。
個の力で圧倒するルゥ、集団を強化するデ・マウ。
ずっと孤独に研究し続けてきたルゥ、国の中枢に居続けたデ・マウ。
「でも、どうしてルゥとマクレリアさんの使命がデ・マウ殺害になるんですか? 悪い奴だってのはなんとなくわかったんですけど……」
「その話をするにはねぇ、この国のはじまりに遡らないといけない……」
その昔、若い魔術師の兄弟がいた。
弟はル・マウ。
一族きっての天才といわれ、尋常でないほどの魔力を保有していた。性格は傲慢で自己中心的、なによりも弱い者、惨めな者を嫌っていた。集中力という点に置いては比肩する者はなく、一度研究をはじめると周囲がまったく見えなくなった。
兄はデ・マウ。
昔は優秀な男だと評価されていたのだが、弟が生まれてからは状況が一変した。周囲の大人たちの瞳に映っていたのは、出来のいい弟だけ。いつも彼は蚊帳の外だった。だが腐らなかった。弟に出来ない方法で真理を追及していくのだと心に誓ったのだ。
そんな兄弟のまえに女が現れた。
この世の者とは思えないほどに美しい女と、その脇でモジモジとしている地味な女。
美しい女が言った。この世界を救うために、あなた達の協力が必要だ、と。
その女こそが知の世界の前代表者、アシュリー・ガルム・フェルトだった。
「ちょっとまって。アシュリーが生きてたのは一千年前だったと思うんですが」
「そだよ。デルアを興国したのは、ルゥとデイ、アシュリーの三人だからねぇ。ていうか君、いまのいままで知らなかったの?」
テーブルに並んだ顔を観察していく。
マンデイは……、知ってたな。俺の無知に驚いている。ごめんな。
リズも知ってそうだな。うなずいてる。
ヨキは……。あっ、仲間みっけ。この人も知らなかった口だ。そうだよな。千年も生きてるなんて思わないもんな。
「えぇ、まったく」
「やっぱり君はバカだなぁ」
「だって千年も生きてるなんて思わないし……」
「まぁいいや、続けるよぉ」
アシュリーは不思議な魅力をもっていた。彼女が躍れば人が集まり、陽気に歌い出した。悩みも、痛みも、悲しみも、すべてが吹き飛んでいった。アシュリーの周りに集まった人々は、みな彼女を愛していた。だが残念ながら彼女自身は誰のことも愛してはいなかった。魅惑の魔法を授けられたアシュリーは、周囲の人間の好意は魔法によって生じた虚構にすぎないと思い込んでいたのだ。
そんななか、アシュリーが出会ったのが天才魔術師ル・マウだった。ルゥは傲慢で自信家、初めて自分になびかない男だった。彼女は様々な手でルゥを振り向かせようとしたが、ルゥは彼女に興味を示さない。
――テメェの言ってることはよ。世の理より自分の方に魅力がある、ってそういうことだ。
――違う。そんなんじゃ……。
――俺は嫌いなんだ。傲慢な奴がな。自分を見てるようで気分が悪くなる。
アシュリーはルゥを振り向かせることに躍起になった。だがルゥがアシュリーの気持ちに応えることはなかった。
「ルゥの恋の話、なんか想像がつかない」
「いまよりずっと若かったからねぇ」
ある日、アシュリーは友人のレイブンが身籠ったと知らされた。彼女は心からの祝福を友人に送った。抱きしめ、キスをして、レイブンのお腹を擦る。
アシュリーは心から幸せを感じ、友人の懐妊を誰より喜んだ。
相手がルゥだと知るまでは。
――私の気持ちを知ってて、どうしてそんなことが出来るの!?
レイブンはうつむいたまま返事をしない。
騒動に気がついたルゥが駆けつけると、静かに泣くレイブンの背中を蹴り、髪を引っ張るアシュリーの姿があった。
ルゥの頭のなかでなにかが弾けた。
「なんとなく想像がつきます。あの怖いやつですね」
「そうだねぇ。あの怖いやつだねぇ」
ルゥの純粋な殺意をぶつけられたアシュリーは、その場で気を失う。
――次、レイブンを傷つけたらテメェを殺す。わかったか。
アシュリーが目を覚ました瞬間に言われたことがコレ。若い頃のルゥって血気盛んだったみたいだ。
――あとな、テメェは自分が薄っぺらで下らねぇ人間だということを自覚しろ。傲慢で、クズで、頭が悪くて、身勝手で、視野の狭いどうしようもないクソ女だ。魔法に寄ってきたからなんだってんだ。だから信じられない? だから愛せない? 生意気言ってんじゃねぇ。それもテメェの一部だとどうして誇れない。だから魔法の効かない俺に恋をした? 違うだろ。違うだろ。テメェが惚れたのはこの状況だ。俺じゃねぇ。
――違う……。
――夜、俺の肩にブランケットをかけたのはテメェか?
――え?
――テーブルの隅に夜食を置いていくのはテメェか? 俺が休むテントの周囲の酔っ払いを追い払ったのはテメェか?
――なんの話?
――いまのテメェに愛はねぇ。これから探せ。愛を知らない惨めな人間にはなるな。
その数年後、アシュリーはめでたく将来の伴侶となる男をみつけた。
「デ・マウが登場しませんね」
「これからだよ」
この裏で人知れず心に傷を負った人物がいた。
デ・マウである。
彼はアシュリーに心酔していた。彼女のすべてを愛し、求めていた。アシュリーこそが美であり、正義だった。それは信仰に近かった。
その美の化身が、弟を愛しているという。
その美の化身が、醜く暴力を振るった。聞けば嫉妬のためだという。
その美の化身が、なんの才も無い男と結婚し、子を授かった。
デ・マウは独り、研究に没頭するようになった。
アシュリー六十歳の頃、夫が失踪した。捜索隊を出したが見つからず、ルゥですら探知できなかった。
一週間後、なにごともなかったかのように帰ってきた夫を見てアシュリーは愕然とした。そこにいたのは夫の皮を被った別人だったからだ。
本能。
に、近いかもしれない。アシュリーは感じ取った。これは夫ではないと。
その日の晩、彼女はショックのあまり昏倒する。
同時期、ルゥはレイブンを失って塞ぎ込んでいた。闇に落ちていく兄の姿が心の片隅にありはしたが、誰かを救うような、そんな余裕はなかった。
しばらくして、ルゥの子供の一人が宰相として国を動かしはじめた。幼い男児であったのだが、冷静で辣腕、周囲の大人より頭が切れたそうである。そして、それ以外のルゥの子供たちはみな、デルアから追放されてしまった。不敬罪だった。
ルゥは一人で研究に没頭するようになった。なにも見ず、なにも聞かず、ただ研究に。そして戦場に赴いた。その頃の彼は人というより、兵器に近かった。
「ルゥの罪は無関心。子供が一人奪われても知らない振りをしてた。レイブンのことで頭が一杯だったから。だから研究に没頭した。そうすれば忘れられるから。あの日、あの頃、あの時に対処しておけばなんてことはなかった。でもその頃のルゥには余裕がなかった。そして五百年まえにシワ寄せが来た」
「なるほど」
「だから私たちはデイを抹殺しないといけない。こんな体にされた私の復讐でもあり、ルゥの贖罪でもある」
大まかな流れは理解した。
さて、どうするか。
ルゥの兄貴が相手か。
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