第13話 旅 ノ 始マリ
「ねぇ、他に選択肢はないのかしら」
アスナの耳が萎れている。
「もし皆で逃げたとしても、いつか捕まる。捕まったら間違いなく殺される。誰かが僕と一緒について来たら相手に不信感を与える。奴らは残った人から情報を引き出そうとする」
「そうね。わかってはいるのよ」
「うん」
「いいわ。でももう少し一緒にいたかった」
「僕も」
励ますように俺の肩に手を乗せて、アスナは微笑む。
「生き残りなさいファウスト。そしていつか必ず会いましょう。あなたならきっと出来るわ。あなたは最も美しい魔法を放つ魔法使いと、いくつもの競争に勝ち続けた百戦錬磨の商人の息子なんだから」
「約束する」
出発は真夜中。幸運にもその日はひと月で最も夜が長い日だった。
家を出るまえに俺は射撃場に火をつけた。豚の死骸を変形させて造った偽装死体と、マンデイの体を模して造った人形を残して。
射撃場の壁や床を燃え続けるような素材に変質させていったから、燃え尽きる頃には骨の欠片程度しか残らないはず。
母と打ち合わせて、魔法訓練中の事故ということで話を会わせてもらうことにした。情報管理を安易にするという目的から、俺の生存を知っているのはこの世界で母とマンデイだけ。父もテーゼも本当に俺が死んだと信じることになる。騙すことに罪悪感はあるが、しょうがない。
目的地は管理者の言う通り森にしようとしたのだが、アスナから止められた。
「子供一人、しかも神の土地で生活できるはずがない。しばらく遠くに離れた後で孤児院を探しなさい」
と。
そして充分すぎる路銀と携帯食料を手渡された。ありがたい。
だが俺は森に行く。
俺の両親は顔が広いのだ。父は商人であるため言わずもがな、母は教え子の親や兄弟などの人脈がある。彼らは俺が住む街以外にも普通に顔見知りがいるのだ。俺の顔を知っている人間がいてもおかしくない。
だから孤児院は却下。そして他に選択肢もない。
俺には宛がないのだ。助けてくれる知り合いもいないし友人もいない。マンデイが生まれるまでは射撃場や魔法の訓練を、マンデイが生まれてからは付きっきり。とても他人と交友を深める時間なんてなかった。一般的な五歳児のような生活ではなかったのだ。
(大丈夫かマンデイ)
(だいじょうぶ)
いままでマンデイには長い距離を歩かせたことがなかったから、その点は不安だった。だがマンデイに疲労という概念はない。
動けば魔力を消費するが、母から貰ったストックがあったためか、そう深刻な問題ではないようだ。
一瞬、馬車に乗って逃げようかとも考えた。いや乗りたかっただけとかそういうんじゃなくてね、楽そうだし……。
だが俺とマンデイのペアは目立ちすぎる。子供と真っ黒の人形だ。確実に
馬車以外、他の公的交通機関はないし、頼れる人もいない。しょうがないから歩く。最初はあれこれマンデイに世話を焼いていたがすぐに余裕がなくなってきた。
マンデイと俺はずっと一緒にいたのだ。マンデイが長い距離を歩いたことがないということは、俺も長い距離を歩いていないということになる。そんな簡単なことに俺は気づけてなかった。
(ファウスト、どうした)
歩くペースが落ちてきた俺にマンデイが尋ねてくる。
(靴擦くつずれしてしまったんだ。それにあちこち痛い)
(いたい?)
そういえばマンデイに痛覚があるかどうかの確認をしてなかったな。この様子だと、たぶんないんだろうな。
(こういう感じ)
俺は感じている痛みを、マンデイに送ってみた。
(うわっ、うわーーー)
生まれてはじめての痛みに混乱したマンデイは俺の周りを走り回っていた。そして壁にぶつかって倒れる。
(ごめんなマンデイ)
(もうあるけない。もうあるけないよファウスト)
(歩けるよ)
(いたいのはいやだよファウスト)
(大丈夫さ。痛いのには慣れてるから)
(なれる?)
(慣れるよ)
(それは、けが?)
(靴擦れは怪我だな。あちこち痛いのは筋肉痛か関節痛だろう。まぁ、怪我みたいなもんか)
(じゃあ、なおせる)
(!?)
母・アスナの贈り物は路銀と携帯食料だけではなかったようだ。
マンデイは睡眠を必要としない。だが俺はがっつり眠る。特にマンデイが生まれてからはボディが破損しないよう常に気を配り、最後の一滴まで魔力を振り絞っていたためにクタクタに疲れ、死んだように眠っていた。昼も夜も時間関係なく、とにかくよく眠っていたように思う。
で、俺の睡眠中、暇を持て余したマンデイに、アスナが魔法を教えていたらしい。
まったく知らなかった。マンデイは意外と秘密主義なのかもしれない。
ちなみにマンデイは光と水に適性があるそうだ。
母の授業によると魔法とは自然の動態の模倣であり、適性は自然との親和性に由来する。水や風、電気は基本属性であり、誰でも保持する可能性があるのだが、光と闇は特殊な属性の一つだ。
どのようにしてそれらの適性の獲得が可能になるのかはまだ判明していない。本来は基本属性と特殊な属性を同時に保持することはありえない。だがマンデイは一般的な生命の枠から逸脱した存在である。普通に光と水の二つに適性があるそうだ。
水はメロウの魔核の影響か? 光は……、わからん。創造する力が管理者もとい神様からのギフトであることが原因なのかもしれない。神様って光のイメージあるじゃん。
違うなぁ。違うだろうなぁ。まぁアレだ、わからん。
魔法の適性は種族によって偏りがあるって話だったけど、マンデイの種族は何になるんだろう。生物的に一番近いのはメロウだよな。だって核がメロウなんだから。
遺伝子的なのは存在してるよな? あっ、俺が造りだしたわけだからないのか? ん? じゃあマンデイは生物じゃない? あんま考えたくないが、生物というより人形の方が近いのか。
路地裏でマンデイの治療を受けた。さすがはアスナの教え、うっとりとするほど無駄のない完成された魔法だった。みるみるうちに靴擦れがあった場所の肉が盛り上がっていってツルンとした正常な皮膚に戻る。
(うまいな、マンデイ)
(おしえてもらった。そんしょうのしくみ)
(そうか)
足が短い子供の体での長距離移動は中々に辛い。
頑張って歩いているのに、まえに進んでいる感じがしないのだ。せっかくマンデイに治療してもらったのに、しばらくすると、また痛くなる。だがあまりマンデイに頼りすぎるとエネルギーが不足してしまう。マンデイの生命を維持するだけでもそれなりのコストがかかるのに、これ以上魔力を無駄にするわけにはいかない。
この世界、夜に出歩く者は少なく、あまり人とすれ違うことはなかったのだが、まったくいないことはなかった。もし見つかれば、なんらかのアクションをおこされるだろう。
子供がひとりと人形が一体、夜中に徘徊しているのだ。親切心から助けようとするか、不気味さから好ましくない対応をされることが想定される。だが一番の問題は記憶に残ってしまうことだ。
俺は死んだことになっている。俺が死んだ日に俺と同様の特徴をもった子供が目撃されていれば、家族に危害が及ぶ。だからコソコソと隠れながら移動しなくてはならない。最短距離での移動など不可能。結果、移動距離は伸びていくことになる。
体力がない、痛い、魔力が足りない、時間もない、人に見つかってはいけない。普通に移動するだけでも、そうとう高い難易度だ。しかし一番の問題は他にある。
まえの世界にあってこの世界にないものというのは沢山ある。なければないで構わないもの、ないと詰んでしまうもの。どちらも存在している。
公的交通手段、性能の高い靴、車。あれば凄く助かる。だが、ないのであればしょうがない。車がなくても歩けばいいし、靴擦れは我慢すればいい。
問題は正確な地図と標識がないことだった。俺が知っているのは、なんとなくの方角だけだ。母から地図を貰いはしたが、三十分も歩くと迷った。地図の縮尺が無茶苦茶だし、目安になる建造物も少ない。
例えば地図上に宿屋があったとする。その宿屋の横を実際に俺が通るのだが、道には灯りは少なく、建物自体もだいたいおなじ素材で建てられているため、他の建造物と見分けがつかない。しかも誰かに道を尋ねることも不可能。
どれだけ歩いても目的地に到着しないかもしれないという不安は、なかなか心に負担をかける。もし俺がしくじればみんな死ぬ。マンデイも一人では生きていけない。俺がやられればマンデイは……。
(ファウスト?)
俺の不安が魔力の導線を通してマンデイに伝わってしまった。
(もうダメかもしんない)
(どうして?)
(みんな殺される)
(ころされない)
(なぜそう根拠もなく言い切れる)
(こんきょ?)
あぁクソ。イライラする。
(なぜそう言い切れるんだ)
(ファウストはマンデイをつくった。みみもめもないマンデイのみみになって、めになった)
(だからなんだよ)
(ファウストはうごくまとをつくった。じょうずにまとにあてる)
(だから、それがどうしたんだよ)
(マンデイのしるファウストはすごいひと。だからまけない)
(それはマンデイが世界を知らなさすぎるから思うことだろ。俺より凄い奴なんて沢山いる)
(マンデイにはファウストしかいない。ファウストがマンデイのせかい)
しばらくそのまま歩いた。お互い無言のまま。
(マンデイはファウストをしんじている)
マンデイが自分に言い聞かせるように、そう言った。
バカだな俺は。
本当にバカだ。
俺がしくじったらみんな死ぬ。誰にも見つからずに目的地に辿りつかなくてはならない。
上等じゃないか。
やってやる。
もう決めただろ。誰の期待も裏切らないんだ。こうやって俺を信じてついてきてくれたマンデイのことも、自分を押し殺して送り出してくれたアスナのことも、マリナスもテーゼも。
もっと期待してくれて構わん。俺はやりきる。
(ごめんなマンデイ)
(うん)
(もう少し、頑張ろう)
(うん)
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