第7話 小心者 ハ 働キ者

 夏休みの宿題はいつ終わらせるべきか。


 そんなのはなるべく早めに仕上げるべきに決まってる、のだが、大多数の人がどうすべきかを知っていながら行動しない。理由はいくつかある。


 面倒臭い。


 確かに面倒だ。同意する。


 他にすることがあるから!


 遊ぶの楽しいもんな。


 宿題? なにそれ美味しいの?


 あ、うん。


 ちなみに俺は早めに済ませる方だった。早めと言っては誤解を招く恐れがあるから正確に言おう。


 おそらく俺は地球上で最も手早く夏休みの宿題を仕留めていた人間の一人だった。もちろん引きこもるまえの話だけどね。ひどい時は二日目の朝には終わらせていた。


 どうして朝かって? 徹夜したからだよ。


 なぜそんなことをしていたかといえば答えは簡単、俺が国宝級の小心者だからだ。


 もしひどい風邪にかかってできなかったら、もし急な用事で宿題ができない環境になったら。どんなひどい風邪だろうとひと月半もこじらせ続けることはないだろうし、なんの責任もない小学生に、夏休み全部手が離せくなるようなイベントが発生するとは考えにくい。


 でも、もし、万が一、宿題を残したままで始業式の日を迎えたとしたらどうだろう。いや、仮にそうなったとしても宿題が間に合わなかった言い訳をして、担任の教師から少し叱られるくらいで済むのだ。おでこに罪人のタトゥーを入れられるとか指を切り落とされれるなんてペナルティはない。ただコラッって怒られるだけ。


 だが、それがどうしても嫌だった。


 つまるところ俺はそういう人間なのだ。弱い個体の小心者。


 ある限定的な場面で、こういう点は俺に有利に働いたのは間違いない。


 通知表によると俺は、責任感が強く活発、協調性のある子供ということになっていた。大人というものは手のかからない子供が好きなのだ。怒られるのが嫌で真っ当にノルマをこなすような子供が。そして、まさに俺はそういう人種だったのである。


 俺はこういう側面を自分の美質だとは考えていない。宿題なんてそっちのけで遊んでいる方が勝ち組に決まってる。例えそれで不利益を被ったとしても、笑って済ませるくらいの胆力を備えている方が人生はよっぽど充実する。


 創造する力を産廃認定した後も、バカのひとつ覚えみたいにこの能力を使い続けたのは、俺のスーパー臆病クソ雑魚メンタルが原因だ。


 自分でも嫌になるが、一日に一回は創造する力を行使しなければ眠れない体になっていた。


 まったく自分の小物ぶりに反吐がでる。もし使わないことでこの能力が劣化したら、あるいは使えなくなってしまったら。産廃認定したくせに失うことにビクビクして使い続けたのだ。


 砂鉄程度のサイズの欠片を集めて勇者の剣を造っていこうかと考えたが、弱者である俺の発想はどこまでも退屈で惨めったらしく、保守的だった。


 攻めるより守り。剣より盾を。盾より汎用性の高い被服を。といった風に思考を転がしていき、はじめて創造した布の続きを織ることにした。例えタンクトップと短パンしか造れなかったとしても、ないよりはマシだろう。


 少しずつ理解しはじめたこの世界の尺度で一週間も経過すると、短かった糸はミリ単位ではあるが、着実に伸びていった。この糸は確かに優れものらしく、俺のベッド上にあるどの布よりも手触りがよくて強そうだった。もっともいまの俺の体で正確な強度を測定するなんて無理だから、あくまでも感覚的なものではあるのだが。


 そして何本かの糸を握って(紡げ)と念じると、掌のなかで組み合わさっていって、小さな黒い布の欠片になった。


 いやー興奮したね。半袖のシャツとジーンズを造ることも夢じゃない。


 その段階でようやく俺はあることに気がついた。いまのサイズで服を造ったとしても、体が成長して大きくなったら着れなくね?


 あはははは、面白いなぁ。笑えるなぁ。


 ということで黒い布を握って「伸縮性自在な糸になれ」と念じた。半分冗談で半分マジな感じで。すると俺の体から力が抜けていく感覚があった。


 あれ、成功した?


 不自由で小さな子供の体で、四苦八苦しながら布を引き伸ばしてみると、これが面白いくらいによく伸びる。チーズもかくやというほどに。しかもゼロから創造するより、抜ける力の量が少ないではないか! なんということでしょう!


 この能力の本質は無から創造するよりもむしろ、そこにあるものを変質させたり新たな性能を付与させることにあるのではないだろうか、という仮説を立てた。


 それで俺の周りにあるシーツを握りしめて念じてみた。「伸縮性があって、強く、通気性のある布になれ」と。全力を費やしてみると、二センチほどの黒い点になった。おそらく俺が無から造りだしたものと似たものだろう。完全に同一のものであるかは不明だが、一つ、確実になったことがある。こっちの方が断然効率がいいのだ。


 一週間かけて造ったものと同じサイズのものを一日で造ることができた!


 これは凄い! パーカーと靴下とマフラーも造れるぞ! 銅像に氷をお供えされることを懸念する必要がなくなった! 素晴らしい!


 「あら、シミが」


 優秀なる使用人・テーゼが無慈悲にも俺の努力の結晶を燃えるごみに出してしまったのは翌日の朝の話。


 愛するということは苦しむことだ。


 というのは、さる高名な映画監督の名言だ。


 赤ん坊というのは社会公認のニートである。


 そしてこれが俺の格言。


 一日中眠っているか授乳されているくらいしかすることがない。もし暇死という死に方が存在していたら、俺は幾度となく暇死しているだろう。


 この世界にはテレビも携帯電話もポータブル式ゲーム機も存在しない。というより一切の電気製品がないのだ。この金持ちの家にないのだから、おそらくこの世界のどこにも存在していないのだろう。


 母に抱かれて往来を散策してみたが車すら走っていない。生まれてはじめて馬車を見て感動した。道路は舗装されておらず、砂埃がひどい。この世界の技術は想像以上に発展していないようだった。


 そういえば改造中、医者らしい人物がした処置といえば胸に深緑色の軟膏を塗って、よくわからない冷たい液体を浸した布をそのうえから被せたくらいのものだった。手から暖かい光線のようなものを出してたが、あれは魔法だろうか。まったく効き目はなかったがな。


 もしかすると、外科的な処置や内服、静脈注射といった技術はまだ発見されていないのかもしれない。一瞬、その知識を利用してリッチになれるかもしれないと考えてしまった。俺の体に商人の血が流れている証拠かもしれない。


 次第に体を自由に動かせるようになってきた俺は、人の目を盗んで布を創造。出来上がった物をベッドのしたに隠していった。まるで如何わしい本を母親の魔の手から逃がす思春期の男子みたいだと思いながらも日に日に大きくなっていく布を隠し続ける。


 テーゼの動向は常に意識の片隅に置いておいた。俺の努力が水泡に帰すとすれば彼女が関与してくることは間違いないだろうと考えたからだ。


 彼女にさえ注意しておけば問題ない! 体が自由になる頃には最強のスーツを装備しているはずだ! ふはははは、まっていろ魔王! この創造系主人公の俺様が引導を渡してやるわ。ぬはははははは。


 油断、慢心。


 知らず知らずのうちに俺は、見事なフラグを立ててしまっていた。どうやらフラグの神様というのは俺以上の暇人らしく、ニッコニコの笑顔で駆け寄ってきて、回収していった。


 敵は別の場所にいた。


 商人の父マリナス・マリア・レイブである。


 いい商人の条件とはなにか。先見の明、あるだろう。人脈、大いに必要だ。だが最も大切なものがある。


 嗅覚だ。


 彼らは金の匂いというものに敏感で、超人的な感覚でそれを探り当てる。まるで猟犬のように。


 ベッドに下に隠してあった布を彼が見つけ出したのは必然であったのかもしれない。


 「おぉこれは素晴らしい」


 父は使用人や母を集めて、布についてあれこれ尋ねはじめた。これは誰が手に入れたものか、なんのためにベッドにしたに敷いていたのか、いつからあるのかなどを。


 だが誰も答えられない。当然である。それは俺が一から造りだして、俺が隠したものだから。母や使用人が知るはずもない。


 といって犯人が俺であるとは露つゆとも思わない。当然である。離乳食がはじまったばかりの赤ん坊は布を造らないし、隠しもしない。


 そして父はなんの迷いもなく、信頼する生地商人に布を預けてしまった。


 水の泡である。


 俺の短い人生の大半と、多大な情熱を費やした布は俺のまえから消えてしまった。娘が嫁ぐ時の父親の心情はこんな感じなのかもしれない。まったく嘆かわしいことである。


 もうやめだ! やってられるか!


 と、なりそうなものだが、ならなかった。小心者は働き者理論である。


 俺は創造する力を用いて壁に仕掛けを造った。


 外見ではまったく変化がないが、魔力を注ぎこんで留め金を外すと開く仕組みの至極簡単な収納である。造った布は人目を盗んで収めていき、余裕がある時に結合させ、少しずつ丁寧に布を造っていった。


 紆余曲折あったが、こうして創造する力の処女作、黒い高機能インナー上下一組セットが完成した。値段は勿論プライスレスだ。ちなみに俺は二歳になっていた。洗い替え用の二組目を造る頃には四歳になってるかもしれない。


 テーゼの巡回をやり過ごした後、両親の寝息を確認して袖を通してみた。想像通り肌触りは最高。裸でいるみたいに軽く、動きやすい。防御性能は確認のしようがないから不明。


 大体は満足のいく出来だった。ただサイズが若干小さいか。いくら伸縮性があっても小さいものは小さい。想定していた以上に体の成長が早く、自分のサイズをよく理解していなかったのが要因だろう。


 まぁそのうち調整するさ。ゆっくりやればいい。


 と、考えたのも一瞬で、すぐに焦燥にかられた。


 体の成長と共に一着づつ造ってたらキリがない。いっそ大人のサイズで造っておくか。いやでも俺の体がどこまで成長するかなんてわからない。


 俺が洋服屋さんごっこをしている間に、他の世界の代表はめきめき力をつけていって気がついた頃には侵略者は撃退されてて、(名のない世界)の代表はマジ足手まといだな。雑魚おつ。しょうがないよ弱い個体だものプププ。あれ? 代表なの? ブティックの店員さんでしょ? 店員さんwww


 みたいなことにならないか?


 マズイぞ。それはマズイ。


 やっぱり聖剣を造るか? でも造ったとして俺、剣なんて使ったことないしなぁ。


 むむむ、どうしよう。

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