第5話 勤労

 確かに管理者が宣言した通り、肉体の改造は神経をいじった時に比べるといくらか楽だった。


 あくまでも、いくらか、である。


 今回の改造で感じたのは、様々な種類の痛みだった。


 まず最初が内臓の痛み。


 たぶんこれが一番厄介だった。肉をねじられているような感覚。洗濯物を絞るように、内臓がキューっと収縮していくのがわかる。


 痛みの波がくる度に冷や汗がでて、体中の力が抜けていった。はじめは腹部、恐らく腸だろうと思うのだが、その辺りの変化だ。


 これはまぁ耐えられた。前世で大腸炎にかかった時、似たような痛みを味わったとこがある。楽勝だ。


 こんなもんかとすら思った。確かにこれなら余裕かもしれないと。


 だが他の臓器が改造されはじめると、認識を改める必要にせまられた。


 特別な病気にでも罹患りかんしないかぎり、心臓や肺や腎臓が捩られることはないし、痛みを感じることなんてこともない。


 よって腸以外の臓器がいじられている時、いままでに経験したことのない個所が、やはり経験したことがないような痛み方をするのだ。塗炭の苦しみである。


 相変わらず時間経過の把握が曖昧でよくわからないのだが、体感ではとても長い間、もがき苦しんでいたように思う。


 そして痛みの後には出血がきた。神経の改造の後の短い休息で蓄えた栄養や水分が、ごっそりともっていかれたのか、体がだるくてしょうがなかった。


 吐瀉物には血液が混じり、便は黒く変色していた。周囲の大人たちは新たな症状に狼狽ろうばいし、また、暗い表情になる。両親やテーゼの陰鬱いんうつな顔を眺めていると、とても悲しい気分になった。


 以前の世界で、両親やかつて友達だった人たちがそういう表情をしていても、悲しくなんてならなかっただろう。前世の近しい人は俺にとって畏怖の対象であり続けたわけで、心配や同情の対象にはなりえなかったから。


 だが、この世界の人々の苦しむ姿は、情け容赦なく俺の心をえぐった。


 筋肉や皮膚の痛みは、内臓に比べるとたいしたことはなかったように思う。それらは日常生活でも損傷する機会が多かったために痛みに慣れており、耐えがたいと言うほどではない。


 皮膚の痛みはチクチクと針で刺されるような種類のもので、筋肉は摘ままれて引っ張られているような感覚に近かった。症状が穏やかな場面では仮眠をとることすらできた。


 優秀なる使用人のテーゼは俺が痛みに苦しんでいるということを一早く察知してマッサージのようなものを施してくれた。


 彼女には本当に瑞々みずみずしく鋭敏な感覚が備わっているようである。生まれたばかりの赤ん坊が痛みを感じているなんてどうしてわかるのだろう? そのうち俺が喋れるようになったら尋ねてみよう。彼女の手の温もりが、内臓の痛みで苦しんでいる俺の数少ない救いであったということを否定するつもりはない。


 ただ皮膚や筋肉が痛い時にそれは止めて欲しかった。いつか察知してくれるだろうと様々なリアクションをしてみたが、内臓をいじられている時の俺の反応がよかったという事実が彼女の目を曇らせていたのか、不思議なマッサージは改造が終わるまで、定期的に施された。


 ようやくすべての工程を終了した時、俺はかなり疲弊していた。


 肉体的なものは勿論であるが、精神的にもまいっていた。後悔や憤怒、普通の人生を送り、普通に死んでいく人々への嫉妬やら諦念、様々な負の感情に飲み込まれていた。


 前世に経験した挫折、懊悩、うまくいかなかった側面ばかりが次々と浮かんでくる。


 ある日、学校に行ってみると教室に居場所がなくなっていた。誰かから嫌がらせをされたとか無視されたとか暴力をふるわれたとか、そういうことはなにもない。


 隣の席の、家が貧しい女の子はいつも通りの澄んだ声で挨拶をしてきてくれたし、おなじサッカークラブに所属してた男の子は親しげに俺の肩を叩いてきた。普段とかわらない、世界中にありふれた平和な朝だった。


 表面的には。


 その日の朝から最も大切な部分、根幹にあるなにかが、ゆっくりと歪み始めていった。


 それからは、なにをしてもうまくいかなかった。


 結局、人間という生き物は集団のなかで生活していかなくてはならないのだ。教室に行くのが嫌で保健室に直行してみても、そこには養護教諭がいる。家に帰って部屋にこもってみても、扉の向こうから母の嫌味が聞こえてくるし、窓の外から俺より小さな子供が楽しげに遊ぶ声が。それらすべてにビクビクと怯えながら生きていくのはなかなかハードだった。


 ようやく精神が安定しだしたのは、周囲の人々が俺に期待しなくなった頃からだった。


 ドア越しに行われる父の説教も、食事のお盆に「生んだのが間違いだった」と書かれた紙の切れ端が乗ってくることも、思い出したようにお見舞いにくるクラスメイトもいなくなって、やっと少しだけ楽になれた気がした。


 だがこのままではいけないと思った。


 学校に通いたいと言った時、母は目を潤ませていた。仕事を終えて帰ってきた父の手にはホールケーキのはいった箱が握られていたのを、いまでも憶えている。


 両親と話すのにもかなりの労力を要したが、学校を出てなにかしらの資格さえ取得してしまえば、家にこもって仕事をしていく道もあるかもしれない。


 入学の日の夕方、震えながら帰ってきた俺に、両親は失望の色を隠そうともしなかった。しかし両親以上に、俺が俺自身に失望していた。どうかこの世界から俺という存在を消してくれと願った。


 一生懸命に生きていた。できる限りのことをしているつもりだった。でも他人が恐ろしくてしょうがなかった。なにを恐れているのかが自分でも説明できなかった。それがまた苦痛だった。


 「※※※、俺の子だ」


 この世界の俺の父、腕利きの商人が俺の額にキスをする。チクチクと髭が刺さって煩わしい。


 「※※※可愛い※※ファウスト」


 母が子守唄のようなものを歌う。


 最初は音痴なのだろうという認識だったが、もしかするとこれがこの世界のスタンダードなのかもしれない。こういう音程の歌なんだ。いや違うな。単純に音痴なだけだ、間違いない。


 彼らのユニークな愛情表現は、改造を終えて、過剰になった。心配した分、より愛おしいのだろう。面倒でないと言えば嘘になるが、幸せそうな両親の顔をみていると、こちらも暖かい気持ちになった。


 あるいは俺がもっとうまくやりさえすれば、前世でも幸せになれたかもしれない。


 地球にいた頃の父は平凡なサラリーマンだった。高校時代は野球をしていたらしい。選手としては平均以下だった代わりに学業の方はトップクラス。それなりの大学を卒業してそれなにり大きな会社に就職。


 平凡な人生を送る、なかなかに退屈な人だった。


 母は神経質で、綺麗好きだった。生粋のお嬢様学校をエスカレーター式に卒業して、そこそこ有名な私立の大学を卒業し、父とおなじ職場に就職した。二人はごくありふれた恋愛の末、ごくごく平凡な息子を授かった。


 きっと俺がもう少しちゃんと生きていたら、彼らは普通の幸せを感じながら普通に老いて、普通に死んでいっただろう。前世でも俺が生まれたばかりの頃は、こんな風に穏やかで甘い時間が流れていたのかもしれない。


 今度はちゃんとやろう。彼らを失望させないように生きていこう。そして自分自身に失望しないように。


 そう決心すると、前世という負の遺産も、なぜか有意義で大切なものに思えてくるから不思議だ。


 さて、散々苦しんで改造の工程を終えたわけだが、苦痛の元凶である管理人から労いの言葉の一つでもあるだろうと、そりゃもう遠足前の子供みたいにソワソワしながら待機しているのだが、待てど暮らせどなにもない。なしのつぶて。


 おい。


 おい管理人。


 返事はない。


 ねぇ。


 ねぇってば。


 突如はじまる放置プレイに、俺はただただ困惑するのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る