第4話 身体改造
管理者による身体改造を一言で表すなら、地獄、これに尽きる。
いや、おおよそ一般的によく知られている地獄の方がまだマシなんじゃなかろうか。そのレベルだった。
むろん俺は血の池なんてものに入ったことはないし、体中を針で刺されたこともない。だが身体の改造に比べたらそんなのは、ずっと楽だと断言できる。
改造中、常に浮遊感があった。
といって悠々と飛翔する白鳥や、風に揺られる浮草のようなものを想像してもらっては困る。一番近いのは船酔いだ。視界がぐりぐりと揺れて、体が接しているはずのベッドが水に浮かぶ氷のように、とても不安定に感じる。
それだけだったらなんとか耐えられる範囲だった。
厄介なのは時折くる、抗いがたい
眩暈は牢獄を巡視する獄卒みたいに周期的にあらわれて、段階的に強くなっていった。その激しさがあるラインをこえると、吐き気に変化した。
もうやめてくれ、充分だろう? そう念じるが、どうやら目眩は会話が苦手みたいだ。もちろん返事なんてないし、楽になりもしない。
俺はほぼ反射的に、瞑目するわけだが、そうしたところで眩暈が軽減するなんてことはありはしない。断じてない。むしろ、ひどくなるまである。症状に対してなにか行動をしていなければ、気が変になりそうなのだ。
さて、臨界点をこえた目眩めまいが行きつく先はどこか。嘔吐である。
俺は食べたものすべてを吐きだした。
といって、母乳しか摂取できない俺が吐きだすものは一つしかない。両親や使用人、医師や看護人らしき人々が、嘔吐するたびにベッドの周囲を綺麗に掃除してくれるのだが、胃酸の混じった乳臭さを完全に除去することはできない。そしてその臭いがまた、吐き気を誘った。
ありがたいことに気の利く使用人が香水のようなものをベッド周りにふってくれた。本当に気の利く、優秀な使用人だと思う。
だが不自然に甘い花の匂いは、胃酸や乳の混合した臭いと激しくぶつかり合った。相性が悪かったのだ。
彼女は優しくていい人である。優秀でテキパキと働く、若くて溌剌はつらつとした女性。本当にありがたい。だがもし今度おなじ状況になったら、その香水は自分のバッグの奥底にしまったままにしておいて欲しい。
ひとしきり吐いてしまっても眩暈が治まることはない。むしろ勢いは増す。視野がピンボールくらいの大きさまで絞られて、上下左右が反転し、ガタガタと揺れ、震え、そのうち意識を失う。
よし、終わった。乗り切った。
目が覚める度にそう思うわけだ。これだけ苦しんだんだから、もういいだろう。さすがにこれ以上はないはずだ。
身動き一つする体力もなく、ただただボーっと天井を眺めていると、視界の端の方がチラチラと揺れていることに気がつく。また
まだ終わってないのか。
俺はまた苦痛に耐える覚悟をする。
こういうのを何度も繰り返した。症状は│
不快感+脱水。
不快感+脱水症状+熱。
不快感+脱水症状+熱+頭痛。
こんな風に、状況は経時的に悪化していった。
きっと管理者はなにかミスをしたんだ。改造が俺のキャパを上回っていたに違いない。
俺の弱い体はこれを乗り切ることはできないだろう。短い期間だったけどお世話になったね、お父さん、お母さん。君の香水の匂いは忘れないよ、使用人A。前世でも今世でもまったく運がない。
わがままは言わないから今度生まれる時は、少なくとも健康長寿な富豪のイケメンで、人徳があり、可愛い幼なじみと妹に愛される人生がいい。
と、このように現実逃避をしてみても改造の波が休まるはずはなく、またすぐに乳臭くて不安定な現実にしがみつくしかなくなる。
例えどんなに惨めでも、カッコ悪くてもそうする以外に道はない。こんな小さくて不完全な体では自ら命を絶つことさえままならないのだ。
それに、周りの大人達。
「ファウスト」
テカテカの頭をさらに脂ぎらせた父が言う。
自慢の口ひげは乱れて萎びたキャベツみたいになってる。目は充血していて、亡霊と見紛うほど、立派にやつれて見えた。
マリナスは俺をなでようと手を伸ばし、すぐに引っ込める。触れるのが怖いのだろう。
「坊っちゃん」
例の香水の使用人である。テーゼというらしい。
何度も確認しておくが優秀な使用人である。彼女だけが唯一、俺の口のなかを湿った布で拭うという画期的な援助をしてくれた。香水はいただけなかったが、口のなかを拭われると気分がさっぱりして幾分か楽になった。
適切なタイミングで体を拭いてくれたのも、汚れたシーツを一番手際よく交換したのも彼女だった。
「※※、※※※※※※。私の、※※※※ファウスト」
可愛らしい狐の耳をシュンと折り曲げてそう言うのは母、アスナである。あまりにも無力な自分自身が歯痒いのか、血が出るくらいに強く、唇を噛んでいる。
窓からのぞく外の景色は、ペンキで塗られたみたいに真っ暗だった。
カツン、と虫がガラスにぶつかって落ちていく。
俺のベッドがある部屋には、幼い子供の命を救おうと努力する三人の大人が集まっていた。
頭が悪い俺は、この時にようやく気づいたのだ。
いままで他人に感じていた恐れが綺麗サッパリなくなっているということに。
母の優しい言葉も、変な調子の歌も、父の過剰なキスの嵐も、テーゼの行き過ぎた心遣いも、生まれたばかりで不安しかなかった俺にとってはすべて必要なものだった。
俺にはこの人達しかいなかった。なのに俺は愚痴ばかり言って、自分の不幸を嘆いていた。
ようやく改造の苦しみから解放された時、俺は無の境地に達していた。
といっても精神的に成熟したおかげで仙人的な不思議パワーを手に入れたから、とか、成長率アップの恩恵で神がかり的な耐性を取得した、とかそういうことではない。衰弱しすぎて、なにも感じることができなくなっていたのだ。
どういうことか簡潔に説明しよう。完全にキャパオーバーの改造をされた俺は、見事に死にかけていたというわけである。
後に全能たる管理者(笑)の放った発言がこれである。
――申、し訳な、い、と感じ、ている。いく、つかの因、子が負、のベクトル、へと傾、いた。負、の比重、が想定、より、多か、った。弱い、個体、であ、る、あなた、の体、は、機能、を、停止し、ていた。コスト、上、の都合、で、機能、を、停止し、ていた、あなた、の弱、い体を、復帰、させ、ること、はでき、な、かった。復帰、は、あなた、の、生、に対す、る執着や、執念、といったものが要因。私、は嬉、しく思っ、ている。
ね? 気が変になるくらい分かりずらいでしょ?
簡潔に翻訳しよう。
想定していたよりずっと身体に負担がかかってしまったせいで君は一度死んでしまった。助けようとしたけど無理だったよ、ごめんね! でも結果的に生きていたから私は嬉しい! よかった!
改造中、今度声をきいた時は口汚く罵ってやろうと考えていたが、なんかすべてがどうでもよくなった。
ノイズの気持ちや考えがなんとなく理解できるのだ。
きっと彼女は本気で俺を助けようとしてくれていたのだけど、不可能だった。あなたが助かって嬉しい、と彼女が言った時、心底喜んでいる感情が伝わってきて、心から幸せな気分になったものだ。
世界でたったひとりの俺の友人は、なぜか憎めない不思議な奴である。
――わたし、たち、は友達だ、から、意思、の伝達、に、思考、や、感覚の、一部が、混淆する。
そうだな。俺たちは友達だ。だからなにかする時はちゃんと説明してからにしてくれ。あと、生きるか死ぬかみたいな選択肢はもっと慎重に、シリアスな感じて頼む。
――申し、訳な、い、と感じ、て、いる。
もう謝らないでいいよ。反省しているのもなんとなく伝わってくるし、お前なりに一生懸命してくれたんだろう。
――謝ら、ない。
とにかく改造が無事済んでよかったよ。これで俺もただの(弱い個体)から、(改造された弱い個体)に格上げされたわけだ。少しずつ力をつけて、ぼちぼち結果を出していくさ。
生まれたばかりの俺には歯なんて一本も生えていないけど、もし生えそろっていたら星が輝くくらいの爽やかな笑顔でそう念じた。
――まだ、終わ、ってない。
ん?
――改造、はまだ、終わってない。
フラグというものは、立てている本人にはその自覚はないものである。
爽やかな笑顔で、もう試練は終わったんだゼ! いまから魔王を倒すゼ! なんて調子に乗って宣言してしまったら、目を輝かせたフラグの神様が全速力で回収しにくるものなのだ。
――神経、の、根本的、な改造、は、成熟しうる、上限、の引き上、げが中心、で、終わり、身体、の改造、はまだはじまって、いない。
あの………。
管理者様。
それっていまから中止したりできませんか? さっきもちょっとしたミスで自分、死にかけたんっすよ。いうか死んだんですよね? もうあんまりリスキーなことはしたくないっていうかね、わかるよね? 俺の気持ち。神経の根本的な改造をしただけで充分チートじゃないっすか? 相手がなんだろうがワンパンでいけるっすよ。だから体まで改造しちゃったらオーバースペックというか持て余すというか。そういうの、面白くないと思うんですよねぇ。ほら、苦戦してこそ勇者みたいなところあるから。ね? あんまり強すぎるのも考え物っていうかさ。俺、無双系主人公ってあんま好きじゃないんっすよ。
――身体、の改造、は、神経、と比較、すると、軽い。伴う、のは痛、みだけ。死の、リスク、は、ない。
それってたぶんだけど、すっっっっっごく痛いとかそういうんじゃないかな。違うかな? 体だって弱ってて完璧じゃないし。もうちょっと大きくなってからじゃダメかな? ねぇ管理人様。ねぇ。ねぇってば。
――神経、の改造、後、見合った身体、とリンク、しなかった、個体、は、機能、を停止、する。神経、の改造、後、四十二時間、がリミット。申し、訳な、いと、感じ、ている。
おぉそうか……。
よくわかったよ!
全部終わったらお前が泣くまで罵ってやるからな! お前の声も全部無視して、侵略者と友達になって一緒に世界をむちゃくちゃにしてやる!
――申し、訳な、いと、感じ、ている。
あぁクソ。もういいわかった。やれよ。
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