第31話 狂気のにおい

「――誰が」


 連中が動くよりも早く、私は先手を打った。

 一直線に、聖を目指す。


 飛び掛ってきた生徒になど目もくれず、短剣を一閃させる。

 感触など何もなかったが、それでも名前も知らない生徒の両目を引き裂いて、潰したはずだ。


 そのまま駆け抜け――聖の正面へと踊り出る。

 思った通り、生徒たちの動きは緩慢だった。


「ふん、ちょこまかと」


 聖が手をかざす。


「!」


 勘だけを頼りに横へと跳んだ。


「ぎゃあああああ!」


 絶叫がこだまする。

 私を襲おうとして迫っていた生徒が、聖より放たれた鬼火をまともに受けてしまったのだ。

 そのまま服だけを残して、ぼろりと崩れ去る。


 とんでもない炎だ。

 でも――!


「――〝レデスの矢″!」


 当たらなければ意味は無い!

 お返しとばかりに、咒法の炎を叩き込む。


 茜直伝の赤い炎。

 威力だけなら茜にだって負けてはいない。


「そんなやわな炎で……!」


 大鎌を振るい、聖は炎を弾き散らす。


「どこが!」


 散らされたと思われた瞬間、炎は消えることなく再び定められた目標へと収束する。


「ふん!」


 さすがにまともに受ける気は無かったのか、彼女は大きく後ろへと下がった。

 そこへと飛び込む!


 ジャ! と鋭い音共に、すれ違いざまに腕を切り裂く。

 すかさず大鎌が振るわれるが、聖の体勢が崩れていたのと武器が超重の類だったおかげで、制服をかすめるだけですんだ。


 私は勢いのまま前進して、聖と距離を置く。

 振り返り、息を整えて、彼女に向かって不敵な笑みを浮かべて言ってやる。


「……大したことありませんわね? わたくしなどに、傷をもらうなんて」

「……生意気ね?」


 私の挑発が少なからず効いたのか、不快そうに睨んでくる聖。


「動き回るしか能が無いくせに。そんななまくらにいくら切り裂かれたって、どうってことないわ」

「……どうかしら」


 会話をしながら、気づかれぬように息を整える。

 ……よし、案外早く動悸は収まった。

 まだいける。


 それにしても、動き回るしか能が無い、か……。

 言ってくれる。

 でも、悔しいけれどそれは当たっていた。


 どれだけ強化咒法をかけようとも、私の能力ではたかが知れている。

 それこそ動き回ることしかできない。


 その咒法も、持続時間に問題があった。

 茜に無理に叩き込まれたこの強化咒法は、はっきり言って私には水準レベルが高すぎるのだ。

 だから、長くはもたない。


 連続稼動だと五分程度が限界で、それを少しでも伸ばすために、こまめに咒法のオンオフを繰り返しては息継ぎをしているという有様だった。


 短期決戦を挑もうにも、決定的な攻撃力が私には無い。

 それに加えて、彼女自身にも厄介な問題があった。


 私はさりげなく、聖の腕と頬へと視線を走らす。

 顔を殴られた際に出血した血の痕こそ残っているものの、怪我をした様子は微塵も無い。

 そもそも左腕は折られたはずなのに、平気で動かしていた。


 異常な回復力だ。

 これが、彼女の言う鏡像世界とやらと関係があるのだとしたら、かなり厄介である。

 どうすべきか……。


「……少しは休めた?」

「――――」


 まるで見透かすように、聖が言う。

 彼女はにやりと笑い、これ見よがしに肩をすくめてみせる。


「じゃあ続きを――と言いたいところだけど、最初にも言ったわ。あなたの相手は彼らで充分って」


 その言葉と同時に、今まで距離をたもっていた生徒たちがまた動きだす。


「くっ」


 速い。

 聖ほどではないものの、明らかに常人を越える俊敏さで私を囲み、生徒たちはなだれ込んできた。


 複雑に動きながら何とか囲まれないように切り抜けつつ、聖へ向かおうとする――が、できない。

 今度は警戒されたか……!


「このっ!」


 私を掴もうと伸ばしてきた手を切り裂き、横へと跳ぶ。

 すぐさま群がってくる幽霊もどきたち。


 一度捕まってしまえば動きが止まってしまう。

 そうなればお終いだ。

 その前に何とかして聖へとたどり着き、彼女の集中を解かないと。


「邪魔!」


 二人を蹴り飛ばす。

 こっちの足も痛いけど、構ってられない。


 この幽霊もどきの生徒たちは、半ば聖に操られているのは間違いない。

 最初の夜、初めて見た彼らはかなり素早い動きで、こちらを襲ってきた。


 でも昨夜、つまり紫堂くんに助けられた際の彼らの動きは鈍くて、どうってことはなかった。

 その差は何なんだろうと思っていたが、きっとそれは近くに聖がいたかどうかという違いじゃないかと思う。


 昨夜、私と由羅は別行動をとった。

 だから、私の方には手が回らなかったと見るべきだ。


 つまり聖の意識に余裕を与えず、戦闘に集中させてしまえば、彼らはほぼ脅威ではなくなるはず。

 だから私は聖一人を目指すのだが、それは向こうも承知のようで、今度はなかなか近づけさせてもらえない。


 まったく……!

 このままじわじわと体力を削られていけばいくほど不利になる。

 それなら、と無理を承知で広域に効果のある咒法を発動させようとした瞬間、鋭い光は私の目の前を突き抜けた。


「うわ……!?」


 どんな光なのか、為すすべなく吹き飛ぶ生徒たち。

 地面すら抉る威力に、効果範囲内にいた聖も慌てて後ろへと避ける。


「これが〝息吹″……!」


 目を見張る聖の前に躍り出たのは由羅だった。

 傷は――さすがの彼女でも、こんな短期間で治るはずがない。

 きっと我慢できずに割って入ってきたのだ。


「由羅!」


 私も飛び掛る。


「――ふん」


 それでも冷静に、聖は片手を振るった。

 溢れる淡い炎。

 鬼火だ。


「こんなもので……!」

 由羅はあの光で防御をしなかった。

 蒼い炎を左手で絡め取ると、肌が焼けるのも構わずに右手を聖に向かって押し付ける。

 そこで、光が弾けた。


「…………っ!?」


 聖の身体が震える。

 一点集中された光は、あっさりと彼女の腹を吹き飛ばし、風穴を穿った。


 明らかに致命傷――どう見ても助からない傷を負い、のけぞるように聖は倒れこもうとして――持ち直した。

 右手にしていた大鎌の刃を地面へと付き立てて、それを支えに起き上がったのだ。


「うそ!?」


 驚愕が、由羅の顔いっぱいに広がった。

 それもそのはずだ。

 一秒もたっていないというのに、聖の身体から風穴が消えてしまっていたのだから。


「なんで――きゃああああっ!」


 聖が倒れ、収まるかに見えた鬼火が再び勢いを取り戻し、由羅の左腕を席巻し始めたのだ。


「言ったよね……? この世界で、私は誰にも負けないって」


 凄絶な笑み。


「このっ!」


 一拍遅れて間合いに入った私は、がむしゃらに短剣を突き刺し、少しでもと由羅を引き離す。

 そのせいで、自分自身の回避が遅れてしまった。


「負けないって言ったでしょ!」


 横殴りに大鎌を振るわれて、それを避けることができなかった私は、まともに一撃を受けてしまう。


「あぅ……!」


 為すすべなく吹き飛ばされ、地面へと転がった。


「……っ、かはっ」


 起き上がろうとして、僅かに血を吐いた。

 肺でも痛めたのか……。


「残念ね。刃の方だったら真っ二つだったのに」


 大鎌を掲げ、嘲笑する聖。

 その通りで、下手をすれば死んでいた。

 でも、この打撲も……たまったものじゃない。


「う……」


 ダメージが足にきたのか、震えてなかなか立ち上がれない。

 これは痛みよりも厄介だ。

 まず、い……!


「みんな。動けないようにしておいて」


 一度由羅に吹き飛ばされたはずの生徒たちが、またわらわらと集まってくる。

 私へと向かって。


「させない……!」


 どうにか鬼火を振り払った由羅が、こちらへと飛び込んでくるものの、それを遮ったのは聖だった。


「だめよ。あなたの相手は私がしてあげるから」


 彼女は態勢を低くし、バネで弾かれたように由羅へと向かった。

 大鎌が振るわれる。


「邪魔を……!」


 由羅は左手を動かそうとして、苦痛に顔をしかめ、右手で迫る大鎌の刃へと合わせた。

 そしてあろうことか、素手で受け止める。


「へえ、やるじゃない!」


 嬉々として、聖は更に力を込めた。


「…………!」


 由羅の右の掌から、血が滲み出す。

 半ば炭化していた左腕は全く使えず、彼女も反撃できない。


「ふふ、本当に馬鹿力。鬼の怪力を軽く上回っているなんて。さすが西洋の怪物ね?」

「また、そんなこと……!?」


 挑発にあっさりと乗せられた由羅へと、先手を打ったのは聖だった。

 聖は私が突き刺したままになっていた短剣を、自分の胸から無造作に引き抜き、由羅の胸に向かって力任せに突き立てたのだ。


「!?」


 心臓のある場所を貫かれ、由羅の力が緩む。

 その隙を逃さず、聖は由羅を蹴り飛ばすと、哄笑と共に鬼火を打ち放った。


「もっともっと血を流すがいいわ!」

「甘く見ないでよ……!」


 痛みなど知らないように、由羅が叫ぶ。

 全身から溢れ出す光は、これまでの比じゃなかった。


 何をするかは分からない――でも、凄い……!


「〝光陰千年のラウザンド〟――――」

「――――!」


 聖から、嘲笑が消えた。

 本能的に、危険だと悟ったのか―――


「〝息吹ゼロ〟ォォ!!」


 目の前が真っ白になる。あまりの光に。

 何が起こったのかは分からない。

 でも、光は確実に聖へと収束して――炸裂した。


「うわっ……!」


 大地震かと思わせる地鳴りと、爆発音。

 鼓膜が破れそうになる衝撃に、夢中で耳を塞いで耐える。

 そのあまりの衝撃は、私や私を抑える生徒たちもろとも吹き飛ばしてくれた。


「っく、あ……!」


 体中のあちこちを地面にぶつけ、受身すらままならず、打撲に顔をしかめる。

 しかし不幸中の幸いで、私を拘束しようとしていた連中も地面に打ち付けられて、散り散りになった。

 慌てて起き上がって周囲を確認すれば、視界が一変していた。


「は……?」


 わけが分からず、間抜けな声が洩れてしまう。


 無かった。

 どうやら光が直撃したであろう校舎の二階部分から上層が、完全に消えてしまっている。

 残った校舎の窓ガラスも、全て割れて飛び散っていた。


「な、なんですのこれ……?」


 どうやったらこんな破壊ができるのか。


「――ひどいことするわね。私たちの学校に」

「な」


 見上げた上空には、鎌を片手に左半身を無くした聖の姿があった。

 うそ……空、飛んで……!?


「よけ、たの……?」


 膝をついた由羅も、愕然として空を眺めていた。

 脇腹から流れ出す出血は止まらず、見ているこっちが痛くなるのに、彼女にはそれを気にする余裕すら無いようだった。


「冗談じゃないわ。直撃していたら、いくらこの世界でも存在を抹消されかねない……なんてでたらめなの」

「でたらめって……」


 おかしいのはそっちの方だ。

 半身を失って、それでも平気で宙に浮かんでるなんて……。


「……こんなにも力を持っていて、どうして人間の味方をするの? あなたならば、その力だけで望む世界を作ることもできるでしょうに」


 聖が地面へと降り立つ――その時にはもう、失われたはずの半身は元に戻っていた。


「……私は今の自分に満足しているもの。望む必要なんて……」

「本当に?」


 重ねての問いかけに、なぜか彼女は言葉を詰まらせる。

 由羅……?


「何だかそうは見えないけど? だってあなた、ひどく表裏が激しいもの。そっちの最遠寺さんを気遣う一方で、私になんかは何の容赦もしない。ううん、私だけじゃないわ。たとえこの場が鏡像世界でなく、無関係な他人が多くいる場所であったとしても、さっきのを躊躇わずに放ったでしょうし。……何を我慢してるの?」

「わ、私は別に……」


 明らかに、戸惑う様子を見せる由羅。


「そうかな? あなた――私と同じにおいがするような気がするもの。狂気の……ね」

「――――」

「何かにすがってそれを堪えているのかしら。でもそんなのって、本当の自分なの?」

「うるさい――――!!」


 悲鳴のように、由羅が叫んだ。


「私は私よ!? 私は今のままでいいの――真斗がいてくれれば、それでいいんだから!!」

「まさと?」


 聖は小首を傾げる。

 すぐに悟ったように、笑みを浮かべた。


「ふうん、それがよりどころ?」

「あなたには関係無い――!!」


 高ぶる感情に我を忘れたように、由羅が聖へと襲い掛かった。

 おかしい――


「由羅!?」


 私は思わず叫んでいた。

 彼女の様子がおかしい。


 いったい何が気に障ったのか、由羅の怒り方が尋常ではなかった。

 そのせいか、彼女のまとう気迫はほとんど殺気に近い。

 ここまで露骨な殺意を見るのは初めてだった。


 ぞっとなる。

 でも――このままじゃいけない。


「由羅! 戻って!!」


 叫ぶ。

 届かない。

 慌てて私も駆ける。


「そう――それよ? それがあなたの本性……!」


 微動だにせず、聖は哄笑する。

 真っ直ぐに――ただ一直線に、由羅は突き抜けた。

 凶器と化した彼女の右手が、抉り込む。


「ふ……」


 自分の身体を貫かれ、心臓を鷲掴みにされたまま外に引きずり出されたというのに、聖の表情は変わらなかった。


 そうだ。

 どう見ても致命傷。

 でも、きっと効いていない。


 相手は半身を吹き飛ばされながらも、あっさりと蘇生してみせたのだ。

 たとえ内臓を引きずり出されたからって、どうにかなるはずもない。


 けどそれを由羅は忘れてる。

 ううん、見えていない……!


「あは……素敵。その狂気。でも――」


 一瞬、聖は視線を鋭くさせる。

 彼女は自分に突き刺さった腕を無理矢理に引き抜くと、心臓が握り潰されるのも構わずに由羅を押し退けた。


 そして、血を撒き散らしながら大鎌を下から上へと、かき上げるように振るった。


「う……あ――」


 身体の半分を切り裂かれて、由羅が背後に倒れこむ。


「甘いわ」


 ひっくり返った由羅を大鎌の柄の先で叩きつけると、起き上がれないようにその胸を踏みつけた。


「ぐ、あ……!」


 傷ついた胸を圧迫され、悲鳴を上げる由羅に構うことなく、聖は踏みつける足に力を込める。


「そんなに自分の狂気が嫌? 怖い?」

「く、かは……っ」

「そんなのじゃ甘すぎるわ。狂気なんて、そんなものは――」

「このっ!」


 聖が何か言い終わるよりも早く、私は炎の咒法を投げつける。


「雑魚の分際で」

「あう!」


 鼻先で笑われ、いとも簡単に弾かれてしまう。


「最遠寺の直系といっても、この程度。本当、どうしてこんなのに桐生さんが一緒にいるのかしら」


 地面を転がった私へと、大鎌の凶悪な刃が向けられる。


「あなた、蝿よりうっとうしいわ。もう死ね」


 あっさりとそう告げて、聖が歩み寄る。


「か、要!」

「――――!」


 私の首を掻き切ろうと大鎌が振り下ろされるその瞬間、だった。

 異変が起こったのだ。

 もの凄い音が、周囲に響き渡る。


「! なに……?」


 原因は私ではないし、由羅でもない。

 状況が分からないのか、聖が周囲へと頭を巡らして――

 何かが大鎌の刃へと当たり、弾かれた。


 これは――銃声?


「誰!?」

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