第29話 鬼燈聖②

「血……?」

「――ふざけないで!」


 痛みを振り払うかのように、由羅はその場に立ち上がった。


「私の命をすすっていいのは、この世で一人だけなんだから! あなたなんかに――血の一滴だって、あげるわけがないじゃない……!」


 激昂したまま、由羅は痛みを完全に無視して、聖へと飛びかかる。


「ふっ」


 笑みを崩さぬまま、聖は再びあの大鎌を振るう。


「っく……!」

 受けられないと判断したのか、由羅はそれをかわし――その刹那、淡い光に包まれ、何かが一気に発火した。


「あああああっ!」

「由羅!?」


 それは蒼い炎――その現実にはあり得ない炎に焼かれ、もだえ苦しむ由羅。

 思わず駆け寄ろうとした私へと、嘲るような声が響いた。


「最遠寺さん、近寄らない方がいいわよ? あれは蒼魂そうこんの鬼火。ただの人間など、魂すら焼き尽くす鬼燈の炎。あなたなんて、ひとたまりもないわ」

「そんなこと……!」

「こんなもの――!!」


 それでも彼女の元へと向かおうとした私を遮るかのように、由羅は声を上げ、その蒼い鬼火を振り払う。

 金色の光が溢れたかと思った瞬間、青い炎が霧散した。


「へえ……さすが」


 がっくりと膝をつく由羅を見て、特に驚いた様子も無く、それでも感心したように聖は軽く手を叩いてみせる。


「西洋の魔種ましゅ、か。それも千年ドラゴンとか称される伝説の存在。大したものね」

「由羅……!」


 傍へと駆け寄って由羅を助け起こせば、衣服こそなんの変化も無いというのに、彼女の皮膚の至るところが焼け爛れていた。

 鬼火と言っていたが、まともな炎じゃないのは間違いない。


「大丈夫……大したことないから」

「でも……っ」

「本当だから。心配、しないで」


 そう言って私の手からそっと離れる由羅の負傷は、見る見るうちに回復していった。

 まず火傷の痕が嘘のように消えていき、やがては大鎌に抉られた肩の傷までも塞がっていく。


「ね?」


 笑顔を作って由羅は不器用にウインクしたものの、それでもやはり、安心しきることはできなかった。

 だって、脇腹からは相変わらず出血が続いていて、彼女の表情から痛みを堪えているのが分かってしまったから。


 一方で、その様子を見ていた聖は呆れたようだった。


「でたらめね。そんなあっさり治っちゃうなんて、本当、化け物なんだから」

「化け物……?」

「違うと言うの? だとしたら、自覚があるんだかないんだか、笑っちゃう」


 くすくす、と笑みをこぼす聖へと、由羅は無言で睨みつける。


「それにしても、この世界はやっぱりまだ不完全みたいね。現状では桐生さんの方が私よりもずっと存在力が上。この鎌が証明してくれたわ」


 どこか見せつけるように、彼女は軽く大鎌を持ち上げてみせた。

 それを、睨みつける由羅。


「……それ、イリスの鎌でしょ……? どうしてあなたが持ってるの」


 由羅の言葉に驚いたのは、私の方だった。


「イリスの……?」

「うん。間違い無い。あれって死神の鎌タルキュートス

「じゃあ……!?」


 驚いた。

 少し前にあのイリスが何者かに大怪我を負わされたということは、もちろん知っている。

 その際に、大事なものを奪われたとも。


「それは間違い」


 首を傾げ、制するように指を一本立てると、聖は外れと言う。


「これはもらい物。私が犯人じゃあないわ」

「じゃあ誰だって言うのよ……?」

「さあ?」


 空とぼけてみせる聖に対して、由羅が歯軋りしたのが聞こえた。

 由羅……ちょっと……?


 普段にないくらい彼女が怒っているのが目に見えて、怖くなかったといえば嘘になる。

 でも素直に怯えてばかりもいられない。


 私は意を決すると、今にも飛び掛りそうな由羅を遮るように、一歩出た。


「鬼燈聖――でしたわね。聞かせていただけませんか? あなたが、この学校での幽霊騒ぎの首謀者ですの?」


 それはまず確認しなければならないことだ。

 彼女が本当に、この一連の騒ぎの原因なのかどうか。


「そうなるんじゃない?」


 軽く、聖は頷く。


「そう……。ではあなたは、いったい何をしていたんです? それにあの生徒たちは何なんですの?」


 生徒、とは、散々私たちを襲ってくれた幽霊もどきのことだ。


「ああ、彼らね」


 ぱちん。

 彼女が軽く指を鳴らした途端、彼らが姿を現した。


「――――」


 息を呑む。

 この場を囲むようにして、一人また一人と、この学校の制服を着た生徒たちが宙より出でては現れていく。


「彼らはこの鏡像世界の住人。大して使えない連中だけど、誰もいないっていうのも寂しいでしょ?」

「鏡像世界……?」

「そ。今私たちを取り囲んでいる世界のこと。これまで毎夜発動してはいたんだけどね。でもあれはみんな子供騙しみたいなもの。でも今夜は違うわ。あなたのおかげでね、桐生さん」

「由羅、が……?」


 含みのある言い方に、思わず彼女の方を振り返ってしまう。

 当の由羅は、聖を睨んだまま何も言わない。


「この鏡像世界はね、最遠寺さん。決して安定した世界じゃないの。だからそれを確定させるために、力のある存在が必要だった。だから生贄として、この学校の生徒たちから血を捧げてもらっていたの」

「血って、あなた……!?」

「そんなに驚かないで。別に誰も死んでないわ。彼らからはほんの数滴、もらっているだけだから。でもただの人間の存在力なんてたかが知れてるし、血の数滴なんて、それこそあってないようなもの。彼らは実像世界からの受容体として、存在しているわけ。本人の存在力を虚像世界に投影できるようにって。だからどれだけ殺そうが死ななかったでしょ? 所詮は鏡に映り込んだ虚像。そうしたければ、実像世界の本人を殺さなきゃ、ね」

「…………」


 よくは分からない。

 でも彼女の言葉から察するに、どうやら今私たちがいる空間は、外界とは隔絶された特殊な場ということになるのだろう。


 結界とはまた違うような気もするものの、似て非なるって感じだろうか。

 そしてその空間の維持に、他者の存在力を使っている、と……。


「そのために、私の血を使ってるのね……」


 ぽつりと確認するようにつぶやいた由羅へと、聖は微笑をもって応えた。


「言ったように、この空間を世界にまで昇華させるには、人間なんかじゃあまりに力不足。だから力に溢れた異端者の力が欲しかったの。でも現代で、生粋の異端種なんてそうそう残っていないわ。私のように、先祖返りを起こした者なんて稀。でも調べて――最遠寺さんのいる事務所のことを知って。色々根回しして、うまくそこの事務所の人たちが介入してくるように仕向けたんだから。それで桐生さんの血を舐めてみて、歓喜したわ。こんなに力に溢れているなんて、思ってもみなかっただけにね。これまでかなりのこの学校の生徒を生贄にしたけれど、それら全てを合わせてもあなたの血一滴にも満たない。本当に素敵よ?」

「……っ。じゃあこの変な空間は、私がいるからってこと……?」

「あなたがこれまでに流した血は、全て頂いたわ。おかげでこんなにも早く世界を構築できたのだから、感謝しなきゃね」

「ふざけないでよ……? それだけじゃない、私の血、呑んでるくせに!」


 由羅が怒鳴るように叫ぶ。

 そういえば、さっき聖も言っていた。

 極上の美酒のようだったって……。


「えぇ、もちろん。おかげで信じられないほどの力を得ることができたもの。ま、血の残り香が私に残って、あなたにしてみればそれが不愉快に感じちゃったのでしょうけど」


 由羅が聖のことに気づいたのは、自分の血を呑まれ、力とされていたから――ということになるのだろうか。

 だから食べたのかなんて、彼女は聞いたんだ……。


「……由羅、どういうことですの? あなたの血に、何か特別な意味でも……?」

「別に、私のだからってことはないと思う。でも、アルティージェと凛に聞いたことがあるの。ずっと昔に、凛はアルティージェの血を舐めたことがあるって」

「彼女が?」


 凛、というのはあのイリスの身の回りの世話をしている女性のことで、やっぱり異端種らしい。


 同じ異端である由羅なんかには優しいが、反面普通の人間のことはとても嫌っているとか。

 そこまで剣呑じゃないものの、茜とよく口喧嘩もしてたりするし。


 もう一人のアルティージェもやはり異端で、イリスの天敵っていう表現が一番しっくりくるかもしれない。

 どういうわけか兄の定に相当な好意を抱いているようで、妹の私としては警戒している相手の一人である。


 由羅、凛、そしてアルティージェ。

 この三人の共通点は、異端種であること以上に、千年ドラゴンであるという点だ。

 私も詳しいことはよく知らないけど……。


「うん。それで凛は、純粋な魔族に匹敵するほど、存在力を向上させることができたらしいの。だから自分が千年ドラゴンに生まれ変わるまでの百年間、生きることができたって……」

「あなたの血にも、そんな力が?」

「……わからない。でもアルティージェが言うには、常人が舐めようものなら毒にしかならないって。私たちのはあまりに強すぎるから……。凛だって、一舐めしかしなかったらしいし」

「ですが、彼女は飲んだと」

「よっぽど適正があるのか、それとも何か別の要因があるのかはわからない。でも、嫌……!」


 心底嫌そうに、表情をしかめて由羅は声を絞り出す。


「ジュリィに無理矢理に生気を吸われた時と同じで、凄く不愉快だったし、何より私の命を誰かにあげられるのだったら、それは真斗だけって決めてたんだから……! それを、勝手に奪って、飲んで……力にするなんて、許せない。絶対に……!」

「由羅、落ち着いて下さい。今は」


 毛を逆立てた猫のようになる由羅を、私を半ば必死になだめた。

 変わらず、彼女の出血は続いている。


 このおかしな空間で、聖が何を企んでいるのか分からない今、迂闊な行動は避けるべきだ。

 せめて、彼女の目的を知るまでは。


「それであなたは、この変な世界とやらを作るために、わたくしに依頼を持ちかけた……ということですか」

「そうだって言ったでしょ」


 本当にそうだろうか。

 聖の言葉にどこか釈然としないものを感じて、私は顔をしかめる。


 由羅がこの学校に来ることになったのは、偶然といえば偶然だ。

 必ずしも彼女が来ることになるとは限らなかったはず。


 そもそも茜が最初に推したのは真斗とエクセリアだった。

 それを二人が嫌だと言ってこうなったのだから、やはり由羅がここに派遣されてくることは難しかったと思う。


 結果的に由羅を利用できたのかもしれないけど、あくまで結果的にであって、当初の目的だったとは思えないのだ。


「では、こんな世界を構築して何を企んでいるんですの? わたくしたちに喧嘩を売ってまでして」


 そう――喧嘩。

 いやもっとたちが悪い。

 これだけの数の生徒を巻き込み、由羅をこんなにも怒らせたのだから。


 そして、由羅が言うイリスの鎌。

 イリスが負傷した事件と関連があるのならば、今回のことは決して小さなことではない。私には荷が勝ちすぎているんじゃ……。


「そんなの」


 聖が笑う。


「鬼燈と聞いて、私の出自は知れたよね? だったら私が九曜を恨んでいることくらい、察しがつくでしょ」

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