第17話 勘がいいとは


     /真斗


「よし、今がチャンスだ」


 昼下がり。


 今日の授業は午前中だけだったので、学食で昼ご飯を済ませた後、俺は事務所へと戻ってきていた。


 事務所で俺が使っているデスクに座ったエクセリアが、小さく頷く。

 油断なく周囲を見渡すが、特に変わった様子は無い。

 事務所の奥からは、シュッシュッと蒸気の吹き出る音が聞こえてくる。


 頃合いだ。


「黎、準備はいいか?」


 声をかければ、肩をすくめるような気配が伝わってきた。


「いつでも」

「よおし」


 俺はにやりと笑うと、やかんのかけてある台所へと足早に向かった。

 左手にはカップラーメン。

 すでにふたは開いており、準備万端である。


 台所まで行くと、火にかけたやかんの傍で、黎が苦笑してなりゆきを見守っていた。

 コンロの火を消すと、煮沸が収まり静かになる。

 即座にやかんを持ち上げて、カップラーメンの中へと熱湯を注ぎ込むことしばし。


「黎、時間は?」

「一時四十九分ね」

「よし、きっかり三分だからな」

「五十二分ね」


 ふたをしたカップラーメンを両手で大事に抱え、そそくさとエクセリアの元へと戻る。

 そこには表情にこそ出さないものの、どこか待ちわびた感のあるエクセリアの姿があった。

 片手にはすでにフォークを装備済みである。


「ふっふっふ……。どうやら今日も俺の勝ちのようだ」

「何の勝ち負けか知らないけれどね」


 一緒に出てきた黎が、近くの椅子に座り込んで、頬杖をつく。


「あなたとエクセリア様ならば、いくらでも機会はあるでしょうに。どうして事あるごとに事務所でしようとするの?」

「もちろん、このスリルがたまらないからに決まってるだろ?」


 時計を見る。あと一分半というところか。


「真斗」

「ん?」

「まだか?」

「まだ」

「……長い気がする」


 と恨めしそうにふたのされたカップラーメンを見ながら、ぽつりとつぶやくエクセリア。

 そわそわしているのが目に見えて、それなりに面白かったりする。


 今事務所に残っているのは留守番の黎だけで、東堂さんは調査で外出中。

 ついでに茜も仕事で外に出ていて、しばらくは帰ってこない予定だった。


 茜がいる時には絶対にできないのだが、いない時を見計らって時々エクセリアにカップラーメンを食べさせるのが、最近の俺の趣味になっていた。


 インスタントを嫌う茜に見つかったら最後、エクセリア共々袋叩きにされかねないわけで、妙な緊張感があってそれがまた良かったりする。


 黎の言うように、素直に俺の部屋で食べさせればずっとリスクは少なくてすむけど、それではやっぱり面白くないわけで。


「それにしてもお前、本当に好きだよな」

「……わからない。でも、悪くはない」


 見た目とは裏腹に、エクセリアはインスタントの類がけっこう好きだったりする。

 カップラーメンを筆頭に、その他ファーストフードなども口に合うらしい。

 基本的に好き嫌いが無いので分かりにくいが、間違いない。


 特にこのカップラーメンはお気に入りのようで、放っておくと十杯でも二十杯でも食べてしまうから、時々油断できなかったりするが。

 これまで何回か、俺の非常食を悉く食べ尽くしてくれた前科もあるし。


「時間ですよ、エクセリア様」


 黎に言われ、エクセリアはふたを丁寧にはがし、フォークを突っ込んで軽くかき混ぜる。

 ふうふうと息を吹きかけて、そうっと小さな口へと運ぶ。

 その味に満足したのか、ほんの僅か、エクセリアの表情が緩んだ。


 まあ……何ていうか、見てて飽きないというか。

 普段とのギャップが面白いっていうか。


 実を言うと、茜は茜でエクセリアに手作り料理を食べさせるのが趣味だったりする。

 色々何やら拵えては、エクセリアに試食させているのだ。


 美味しいとか美味しくないとか、エクセリアの主観的な感想はともかく、他の料理との比較云々に関しては的確だったこともあり、茜も重宝しているといった具合だ。


 その一方でインスタントな食事を食べさせているんだから、見つかった日にはただじゃすまないだろうなあ……。


 と、不意に事務所の電話が鳴った。


「出るわ」


 黎が立ち上がり、受話器へと手を伸ばす。


「はい、柴城興信所です」


 そのまま二、三喋った後、黎は受話器をこっちへと向けてきた。


「俺?」

「ええ。坂貫さかぬきの事務所から」

「あん?」


 疑問符を浮かべつつ、受話器を受け取り耳にあてる。

 そういや坂貫っていえば……。


「……もしもし?」

『……あれ? 茜ちゃんは?』


 聞こえてきたのは女の声。

 聞き覚えがあったりする。


「茜なら出てていないけど」

『あ、そうなん? 代わるって言われたからてっきり……』

「あいつに何か用か? ていうかあんた、誰だ?」


 聞き覚えのある声なんだけど、思い出せない。

 しょうがないので素直に聞いておくことにした。


『あれ、聞いてへんの?』

「ちっとも」


 黎の言った坂貫の事務所っていうのは、心当たりがあったりする。

 確かここと同じ関西における九曜の出先機関の一つで、表では探偵事務所をやっているところのはずだ。

 ちなみに所在地は大阪だったはず。


『あたし、坂貫の事務所の所員で華賀根かがねっていうの。そっちは?』


 華賀根って。


「お前――まさか、れんか? 華賀根蓮――」


 一瞬、受話器の向こうでちょっと驚いたかのように押し黙る気配がした。


『……だれ? あたしのこと知って……あれ、なんや聞いたことのある声やけど……?』

「そりゃあるだろ」


 思わず苦笑してしまう。


「桐生だよ。桐生真斗。四年振りくらいか?」

『……あ、真斗!? うそ……?』

「うそじゃねえって」


 なるほど。誰かと思えば蓮だったってわけか。これまた妙なとこで再会した――っていうわけじゃないけど、まあそんな感じである。


『なに、今茜ちゃんの所にいるん?』

「ん、まあ」


 元々茜の所にいるってわけじゃなくて、茜の方からやってきたっていうのが正しいけどな。


 華賀根蓮――というのは、俺が九曜で修行してた頃に一緒にいた、同世代の一人である。

 確か二つほど年下だったっけかな。


 高校の頃まではよく顔を合わす機会もあったものの、京都に来てからは縁が無かった。

 だから四年振りくらいになるってわけである。


「今、大学生か?」

『うん、そや。幸造こうぞうのおっちゃんに所員として扱ってもらってるけどな』


 幸造、というのは多分、坂貫幸造のことだろう。

 あそこの所長で、もちろん九曜との関係者である。

 つまり今の蓮は、俺とよく似た境遇にいるってわけだ。


『そやけど懐かしいなあ。茜ちゃんのとこってことは、京都におるんやろ? けっこう近いやん』

「そーなるな」


 俺の実家の田舎と違って、ここは交通機関が便利なせいもあり、実際の距離の割には京都と大阪は近い。


「ま、積もる話は置いておいて、だ。何か用だったんだろ? 茜にか?」

『うん、そうなんや。けど真斗でもかまへん――っていうか、真斗の方が都合がええし』

「? 何だそりゃ」

契斗けいとさんのことなんや。相変わらずなんやけど、行方知れずで」

「って、兄貴……?」


 思わぬ名前に、ちょっと驚く。


「知らへん?」

「いや、俺は兄貴がどこほっつき歩いてるかなんて、ちっとも知らねーぞ」

「まあ……そうやろなあ」


 ちょっぴり落胆したような声を、蓮は洩らした。

 ちなみに契斗というのは俺の兄貴の名前で、桐生家の長男である。


「で、兄貴がどうかしたのか?」

『うん……ちょっと捜してるんや。実は茜ちゃんに頼まれて』

「何を?」

『人捜し』


 人捜しって……あ。


『うちの事務所って、表向きは普通の探偵やっとるから。人捜しなんかも請け負うんやけど、実はかなり評判なんや』


 なるほど。柴城興信所の場合だと、東堂さんの浮気調査に定評があるのと同じってわけか。


『ただな、難しい人捜しはよく契斗さんに頼んでたんや。あの人、ああ見えて顔が広いし、日本中あちこち行き来してるから地理にも強いし』

「まあ、確かに」


 兄貴は俺と同じで九曜にて修練していたけれど、実力的には俺とそんなに変わらない。

 才能、という点では無いに等しかった。


 もっとも兄貴は俺と違って、咒法を扱えない面を現代武器で埋め合わせようという発想には至らなくて、銃とかナイフとかの腕は、そんなに大したことはない。

 ただ知識という点においては、九曜本家の連中に比肩するほどの勉強家だった。


 もともと学者肌で、九曜という古い歴史そのものに興味を持ってからは、あれこれ研究するようになり、それが転じて今では民俗学っぽいことを趣味でやっていたりする。


 趣味がフィールドワークなので、気ままにあちこち出歩いているというのが兄貴の現状だった。


 ま、兄貴らしいといえば、兄貴らしい。

 つまり、それが更に転じて時々人捜しなんかを手伝っているってわけか。


『いつもやったらすぐに見つけるんやけど、今回はどうしても連絡取れんくて……。それで茜ちゃんにすぐには無理かもって、伝えようと思ったんや』

「ふーむ……」


 茜が人捜しを頼む理由など、今のところ一つしか思い浮かばない。

 しかもかなり明白だ。


「わかった。伝えとくよ。あと、もし兄貴に連絡ついたらまた知らせるし」

『ほんと?』

「ああ」

『助かるわ。ほな、お願いね』

「はいよ」


 一応、茜のためにもなるしな。


『……あ、そや。真斗、今度そっちに行っていい?』

「あん?」

『久しぶりに茜ちゃんにも会いたいし。……茜ちゃん、日本に帰ってきてたんやね』

「なんだ、会ってなかったのか?」

『電話でしか話してへんもん。どや? 大きくなったん?』

「そりゃあな」


 俺と蓮ですら、四年ほど会っていない。

 茜はぐれて家出していた経緯があるので、その年月はもっと大きい。


「生意気なとこは変わってねえけどな」

『あ、そんなこと言っていいん? 茜ちゃん、怒るやろ?』

「短気だしな」


 そんな光景が目に浮かんでおかしくなる。


「時間があるなら来ていいんじゃないか? あいつだって喜ぶだろ。久しぶりなんだしさ」

『そやね』


 その後、蓮と少し話してから、俺は受話器を置いた。

 ふうと息を吐き出して、黎を見る。


「お前、知ってただろ?」

「ええ」


 あっさりと、黎は頷いてみせた。

 やっぱりな。

 あっさりと受話器を渡してきたことからして、途中からそんな気はしてたんだけどさ。


「茜もなあ……らしい、ってのは分かるけど、水臭いっていうか」


 自分のことになればなるほど、あいつはあまり俺らを頼らない。

 意地みたいなものなのか、照れくさいのかはわからないが。


 あいつが人捜しを頼むとしたら、それはもう楓さんのことしかいない。

 表にこそ出してはいないが、やっぱり心配なんだろう。


「誤解はしないでね」


 不意に、黎はそんなことを言う。


「誤解?」

「今回外部に人捜しをしてもらうよう勧めたのはわたしなのよ。坂貫の事務所を選んだのもわたし。定評がある関西の探偵をあたってみたら、坂貫探偵の所が評判だったの。九曜の関係っていうのはたまたまで、後で知ったのだけどね」

「ふむ……それで?」

「市内に関してならば、このままあなた達に任せておけばいいと思ってるわ。エクセリア様もいらっしゃるのだし、市内のどこかにいるのならば、いずれ見つかると思って疑っていないから」


 なるほどな。

 俺らは街中ばっかり捜していたけど、そもそも市内にいない可能性だって充分にあるってわけか。


「やっぱり視野が広いよな。お前って」

「そうでもないけどね」


 黎が軽く、肩をすくめてみせた。

 年季というか、大人というか、やはり黎が誰よりも気が利く。

 そしてさりげなく導いてくれる。


 あの茜ですら、黎の提案は受け入れるのだから、大したものだと言わざるを得ない。

 まったくもって、由羅やエクセリアにはもったいないくらいの姉である。


「で、お前のことだから坂貫のことは調べたんだろ?」

「一応、一通りはね。依頼する以上、ある程度信頼できるところじゃないといけないし」


 そうなると、すぐに俺と蓮のことにも気づいただろう。

 だからこそ、あっさりと受話器を渡してきたってわけか。


「茜からは切り出せないでしょうし、そのうち真斗には話そうとは思っていたの。今日は茜もいなかったし、ちょうど良かったから」

「なるほどな」


 頷いて、何気なく横を見れば、エクセリアと目が合った。

 すでに食べ終えていて、カップの中身は空になっている。


「……真斗」

「ん?」


 もう一杯、とねだられるのかと思いきや、エクセリアが発した言葉は違っていた。


「誰だ?」

「はい?」


 何のことやら分からず、思わず聞き返してしまった。


「だから、その」


 そこで視線を外し、珍しく口ごもるエクセリア。

 そのまま口の中でごにょごにょと何か呟き、再び上目遣いに見上げてくる。


 そんな様子に戸惑ったのは俺の方だった。

 らしくない、というか見たことの無いエクセリアの様子に、嫌な予感を覚えてしまう。


「なぜだか……楽しそうに、聞こえた」

「えっと……俺、が?」


 こくり。


 言葉少なに語られて、エクセリアが何を言わんとしてるのか何となく分かってしまった。

 多分、電話の相手のことを聞かれているんだろう。


 むう……。

 ていうか、楽しそうってのは何なんだ。


「そりゃまああいつはむかしの馴染みだし、懐かしいって思える程度には仲も悪くはなかったとは思うけどさ」

「だから、誰、なんだ?」

「う」


 別段後ろめたいことは無いはずにも関わらず、妙なエクセリアの迫力の前に、つい怯んでしまう。


「あー、ええと」


 慌てて頭の中で色々整理する。

 何も問題は無い……はず。

 うん。


「電話の相手が誰かっていうと、華賀根って名前の奴だよ。華賀根蓮。俺より二つ年下で、まあ幼馴染の一人っていうか、遠い親戚の一人っていうか」

「親戚?」

「あ、いや……親戚って呼べるほど血縁が近いわけじゃないんだ。先祖が多分同じってだけで」


 ちなみにその先祖っていうのは、茜や楓さんの実家である九曜家のことだ。


「親戚、というよりは一族、って方がいいかもな。有名どころで八つの家があって、その中心に宗家として九曜があるってわけだ。例えば和泉いずみさんとこの家もその一つだし、うちの桐生もそう。あとは法月ほうづきとか菊咲きくさきとかがあって、華賀根はその一つなわけだ」


 九曜八家くようはっけに名を連ねているといえば聞こえはいいものの、実際未だに力を誇っているのは数家だけだったりする。


 例えば和泉さんの家なんかはすでに没落していて、九曜との縁も薄い。

 もっともあそこは家同士の縁はともかく、九曜の長女の楓さんとの個人的な縁が深いから、色々微妙なんだと思う。


 ちなみに俺の桐生家は格としては没落したもいいとこなのに、律儀に九曜に奉仕しているという状態だ。

 俺や兄貴がいい例で、咒法云々の腕に至っては、八家以外の連中よりも劣る始末である。


「華賀根は宗家に継ぐ家柄で、実際の実力はもちろん、才能も九曜に劣らないって言われてるな。それに経済力もあって、金持ちなんだよなあ……あいつのとこって」


 つまりお嬢様なのである。

 茜と同じく。


「実力はあるわ、金はあるわ……本家の連中と一緒で、正直俺とは格が違いすぎて本当は話す機会だってないような相手だったんだけど、いい奴でさ」


 気さくな奴で、実は仲が良かった。

 おかげであいつの取り巻き連中にいじめ……っていうか、連中とよく喧嘩したりもしたっけかな。


 特に菊咲の…………いや、まあいいか。


「……そうか」


 小さく頷いて。

 なぜかぷい、と横を向いてしまうエクセリア。

 むう、何なんだ、この反応は。


「ふふ」


 と、笑い声。


「あんだよ」


 面白そうな顔してこっちを眺めている黎へと、俺は仏頂面で聞き返した。


「別に……ね?」

「……ったく」


 本当、何だっていうんだか。

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